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2013年10月13日

橿原・明日香エリア・・・石舞台古墳、橘寺へ!

平凡なおっちゃん「ぶらっと、のんびり・ひとり旅」・・・石舞台古墳、橘寺です

石舞台古墳、ほんと、明日香を代表する有名な古墳です!
今は、キトラ古墳とか、高松塚に集中しているようですが・・・

平凡なおっちゃん、嫁、子供、小さい折、一度、子供連れて、訪れています!
うっすらしか記憶はありませんが、そこは、有名な石舞台古墳なんです!


なぜ、明日香村の地に、来たのか・・・
やはり、JAFのエリアマップを見たとき
そう、いかなくてはと!
石舞台古墳なんですよね
・・・特別史跡なんです!・・・


「カーナビ君」この辺はルートを組んでも2㎞以内、すぐ、着きます!

運よく、一番近い駐車場を確保・・・
さぁ、入場料250円を支払い、入るかと!



なんか、記憶と違う雰囲気なんです
記憶では広っぱのなかに、どんっとあったイメージなんですが・・・
記憶の絵柄が違っているのでしょうが、・・・記憶、いいかげんですね!

そして、案内図が・・・国営飛鳥歴史公園、石舞台地区公園・・・おぉ?、国営やったかいなぁ?

国営・・・
備忘録を記するとき、ググってみれば、全然知らないことばかり・・・
明日香を守るために、保存活動をされ、当時の佐藤首相に直訴を・・・そして、今は、公益財団法人 古都飛鳥保存財団が・・・
簡単には記せませんが・・・個人の力から‥凄いことです!
ほんと・・・ありがたいことです

公益財団法人 古都飛鳥保存財団のホームページから、ゆっくり、経緯など、拝見したいと思っています・・・のめり込んでいきそうですが!

地区?
甘樫丘地区、石舞台地区、祝戸地区、キトラ古墳周辺地区、高松塚周辺地区があるって・・・

国営飛鳥歴史公園とは・・・
総面積約60haある飛鳥の豊かな自然と文化的遺産の保護、活用を図る一環として、国土交通省によって整備されたのが国営飛鳥歴史公園です
今日は、キトラも、高松塚地区も行きません


昔からか?‥と、一人ぶつぶつと、いや、違う?と‥ブツブツと!
石舞台古墳・・・
どんっと、さぁ、どうや!と‥
やはり、すごいね、古代人の人々の権力は・・・

石舞台古墳は、飛鳥歴史公園内石舞台周辺地区の中央に位置するわが国最大の方墳です。
30数個の岩の総重量は約2300トン、特に天井石は約77トンとかなりの重量で、造られた当時の優れた土木・運搬技術の高さがうかがわれます。


石舞台古墳・・・
墳丘の盛土が全く残っておらず、巨大な両袖式の横穴式石室が露呈しているという独特の形状で有名な、わが国における代表的な方墳です。
天井席の上面が広く平らで、まるで舞台のように見えるその形状から古くから「石舞台」と呼ばれています。
被葬者は明らかではありませんが、7世紀初頭の権力者で、大化の改新で滅ぼされた蘇我入鹿の祖父でもある蘇我馬子の墓ではないかといわれています。(上部:国営飛鳥歴史公園HPより引用)


沢山、観光客が訪れていましたが、皆さん、見学所要時間は平均10分ぐらいかなぁ?
ぐるりと一周、今は入れる?・・玄室内を見て・・・


平凡な、おっちゃんは写真を撮りまくり、最後は小高い山の上からパチリです!!

でも、凄いよなぁ・・・こんな巨石を運ぶとは!
しかし、飛鳥は、石の関連史跡が多いよなぁ‥なにか、あるのかなぁ?
後日、ググってみよっと!

時間見ると、おおぉ・・・13時40分、昼食や
石舞台古墳の休憩所でトイレ‥売店見れば、「柿の葉寿司」
そや、これ食べよっと!
久しぶりの「柿の葉寿司」‥奈良やしね!
5個、670円、こんなもんやね!
石舞台古墳を見ながら、しばし、昼食タイム
そうそう、持参した、水筒のお茶、空っぽ、補給しておかなければ・・・
なにせ、ホント、汗、すごいのよ!・・・タオルハンケチはぐちゃぐちゃ状態
はい!・・・おしっこ、出ません!!

はい、石舞台古墳を後にして、次なる目的地、聖徳太子誕生所 別格仏頭山 橘寺へ・・・
「α君」走り出して、5分・・到着です
伝飛鳥板蓋宮跡から、南を見ると、遠くに見える寺の雰囲気、広大な様相、きっと、橘寺やろと・・・ピンポンでした!

着きました・・駐車場に一台‥見たことが?
そうや、平凡なおっちゃんの先々を観光しているご夫婦の車‥最初の藤原宮で隣に駐車していた岐阜ナンバーの車だったんです!
誰しも、同じコースやなぁと、思いながら、山門へ・・・


そうすると、写生されている方が・・・
側を通り、山門くぐり‥えぇ?こんなに沢山の方が写生を!
それもご高齢!‥会話が耳に・・・絵画教室みたい

 平凡なおっちゃん、写真・・撮れませ~ん
できるだけ、写らないように・・・でも、写生の方、知らん顔・・・う~ん?
よく、三脚を立てて、写真撮る人と同じとはいいませんが、広い所ではいいのですが
ここ、史跡、見えません!!
人、写ってしまいます・・・写真構図になりませしぇ~ん!!
「ぼやき」はこれぐらいで・・・

橘寺でいただいた、創建と変遷の案内書から・・・
聖徳太子様がお生まれになったところで、当時、ここには、橘の宮という欽明天皇の別院があったとのこと!
太子はその第四皇子の橘豊日命(後の三十一代用明天皇)と、穴穂部間人皇女を父母とされて、西暦572年この地にお生まれになられ、幼名を厩戸皇子、豊聡耳皇子となどと申し上げた
・・・後略
・・・

当日は聖倉殿で、特別公開があり、重要文化財を拝見できました、

・クシャクシャですみません!・
    木造伝・日羅立像 貞観時代(平安時代前期)
    木造地蔵菩薩立像 藤原時代(平安時代後期)
    絹本著色太子絵伝 8幅のうち2幅・・
  ・・あとの6幅は奈良国立美術館に・・・
  ・・5と6が展示 確か35-45歳時代と思います
    だ太鼓縁 鎌倉時代
    石灯籠 吉野朝時代(室町時代前期)
ゆっくりと素晴らしい「
絹本著色太子絵伝」などを、拝見できました・・・もちろん、写真禁止です!

本殿(写真左下)には、重要文化財で、木造聖徳太子坐像-太子の彫刻としては最も古いものとのこと!
この橘寺のほとんどの建物は火事で消失してしまい、現存するものは、江戸時代に徐々に再建されたようです
写真、左下は五重塔の
塔礎です・・40mの高さの五重塔とのことです
右上の写真は東西に走る県道155線側、橘寺の北にある川原寺跡方面から撮した橘寺の全景です。
後方に見える小山は橘寺の山号でもある仏頭山といい、同寺院の寺域でもあるとのことです

そして、県道155線沿いには、川原寺跡・・・伝飛鳥板蓋宮跡を中心に、川原寺跡とも記され・・・
 その、川原寺は・・飛鳥寺(法興寺)、薬師寺、大官大寺(大安寺)と並び、飛鳥の四大寺の一に数えられた大寺院であったが、中世以降衰微したとのこと!


川原寺跡は国の史跡に指定されており、現在はかつての中金堂跡に川原寺の法灯を継ぐ真言宗豊山派の寺院・弘福寺が建っております。(Wikipedia引用)
中金堂跡付近に建つ弘福寺・・今回はすみません・・知りませんでした・・!

遷都・・・これによって、移設した寺、移設されなかった寺・・その時の勢力?・・難しいですね!

飛鳥三大寺とか、飛鳥五大寺とか・・平凡な、おっちゃんにとっては、新語?がでてきました・・いや、謎だらけ・・・
黒丸部分:残念ながら、行けませんでした!

「1」の甘樫丘に登り、この飛鳥の地が360度パノラマで、見える景色が最高と・・・・

右端の酒船石、休館日だった明日香民族資料館・・亀石・・高松塚古墳・・

最大の失敗は・・・右上の飛鳥資料館・・
ここには、山田寺の東面回廊の発掘物が・・・

又、来ましょう・・・

これで、飛鳥、明日香と・・巡ってきました・・最後は橿原といえば、橿原神宮へ・・参りましょう・・続きます!!

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