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2013年10月12日

橿原・明日香エリア・・本薬師寺跡、山田寺跡へ!

平凡なおっちゃん・・「ぶらっと、のんびり・ひとり旅」は・・本薬師寺跡、あの山田寺跡へ!

藤原宮を後にして、僅かな距離・・ほんと、すぐ側に・・本薬師寺があります!
地道の駐車場に停め、案内板を・・・よく、読んで・・!
うん?・・携帯Qrコード・・試してみようっと・・うん?・・何処かにあったなぁ?(画像:右)
そや、唐招提寺や・・・・でも、ちょっと方法が違いますね!

唐招提寺・・実は、10月4日~7日までの特別公開(東山魁夷)・・残念ながら、所用で行けず(涙)!
本薬師寺・・いや、本薬師寺跡なんですね!
日本書紀では、680年に、天武天皇が後の持統天皇である皇后の病気平癒のため祈念して、発願されたのです。
現在奈良市の西の京にある薬師寺の前身にあたる寺です。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。
当時は、金堂や東西に二つの塔がありましたが、平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です。
それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。
前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎などが残されています(橿原市観光ガイド引用)

もの寂しげな跡地へ入ると、確かに金堂の礎石や東西両塔の上壇、塔の心礎と云われる石が処狭しの如く置かれています!
それにしても、特別史跡・・寺には小堂が建っているのですが・・・!

周り・・以前の寺敷地?には、ホテイアオイの花が、美しく咲いていました!
その場所に地元のお婆さんが野良作業されていたので、ちょっと、声をかけました
「綺麗に咲いていますね・・」
「今年は暑かったから、未だ咲いているね」
「地元の人で管理していたのやけど、皆、年寄りで・・・」
「ボランティアの人達の協力で、ちゃんと手入れしてもらっています」って・・・

帰り際に花の池の淵に・・・
「来年のボランティア募集の箱」が置いてありました!
寺跡といい、ホテイアオイの花の池といい、・・多分、管理費用がないのやろね!!
なにか、「跡」という場所・・好きなですが・・寂れ、訪れる人も少ない・・残念やね!

次なる、山田寺跡へ・・・・・
なにか、「跡」で・・もしや?・・と!・・走っていくと、えぇ・・桜井市・・そうやったんか・・
そして、何処や?・・入口は・・・「カーナビ君」の指示どうり、入ると・・・
おい!・・なんじゃ、この看板は・・・やはり、史跡は・・??
民家を間を進んでいくと・・開けた空間が・・・そこに案内板が・・・
この案内板をよくみると・・うん?・・文化庁・・!

左の写真の説明文拡大です

備忘録、興福寺の折にも、記しましたが・・・ 興福寺に所蔵される銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった・・と!
この場所が、その「山田寺跡」・・・仏頭は国宝として評価されているが・・
ここ、「山田寺跡」は処遇は・・如何に?・・・


山田寺は・・・・案内板から引用・・
蘇我倉山田石川麻呂の発願により7世紀半ばに建て始められ、飛鳥時代を代表する寺院の一つです。石川麻呂の自害(649年)で中断し、その後676年塔が 完成、685年仏頭が残る本尊丈六佛の開眼供養が行われたとのことです。中世以降は衰微して、明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となりましたが、1976 年以降の発掘調査で東面回廊が倒壊したままの状態で見つかるなど飛鳥時代の建築様式を知る上で貴重な発見が相次いだと記載されています

公益財団法人 古都飛鳥保存財団のホームページ「飛鳥の文化」の一文に・・・
現在、飛鳥文化をそのまま伝えるものとして、山田寺回廊や飛鳥大仏の他、斑鳩の法隆寺及びその周辺を挙げることができると、あります(後日、追記いたしました)


再度、仏頭について・・・・
「銅造仏頭」「白鳳の貴公子」と呼称され、破損仏でありながら、異例ともいえる国宝指定を受けている仏像です。もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であったのです。
『玉葉』(九条兼実の日記)によれば、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。当時の興福寺は平重衡の兵火(治承4年・1180年)で炎上後、再興の途上であった。この薬師如来像は応永18年(1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ち、かろうじて焼け残った頭部だけが、その後新しく造られた本尊像の台座内に格納されていた。この仏頭は昭和12年(1937年)に再発見されるまでその存在が知られていなかったのです。  (Wikioedia引用)


その昔、昔、隠されたなにか謎がありそうな・・思いで、寺領を眺めていると・・・
「まむしに注意!」の看板・・・・まむし・・が、この史跡の番人をしているのか?・・<(_ _)>
それでも、一周して、寺跡を・・・でも、広い・・案内板の絵図と比べながら・・うん!うん!と、一人うなずき・・

右下写真:跡の右側にある、現在の山田寺・・荒廃しているが如き、お姿・・いや、寂しいね!
まぁ、仏頭の出身地を探して尋ねて来たのです・・・・

今回の目的の一つは達成しました・・・
興福寺、宝物殿の仏頭は、未だ拝謁していないので、後日、伺いましょうね!
そう、今、東京美術館へ、出張中で~す!! (2013年11月24日まで)

では、次なる目的地・・・飛鳥寺です!・・続きます

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