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2018年4月5日

桜見物、そして、国重要伝統建造物群保存地区を巡ります・・兵庫県篠山市

篠山市に桜見物に来ています・・・
ここは、篠山城から東へ、僅か・・河原妻入商家群、国重要伝統建造物群保存地区です
「P」の白壁に桜・・・お似合いですね


            「 丹波篠山五十三次」の石標・・・お馴染みですね
河原妻入商家群
篠山城下町は1609年(慶長十四)築城の篠山城を中心に整備された町です。 河原町は1620年に町が築かれ、商業の町として栄えました。東西500mの通りに沿って、江戸時代から昭和前期 に至る伝統的な町屋が数多く軒を連ねています。町屋の7割以上が妻入で、特徴的な町並み景観を作り出しています。2004年 12月に国の国重要伝統建造物群保存地区に選定されました


妻入りが続いていますね・・・しかし、人影が無い・・
そうか! 店舗は休日なんだ!!   散策するには、もってこいです・・・

伝統的建造物、篠山市指定文化財・・・川端家住宅
・・・この住宅は、入母屋平入りですね・・・

うん? 骨董店の飾りが・・・おおぉ、神社の脇障子では、ありませんか!!

             右の脇障子だが、枠は外されているね・・・裏面には刻銘は無かった・・
        しかし、なぜ、脇障子が・・・神社再建、改築時に出たものか? 聞いてみたいね!
             反対側は、欄間を漆喰壁にはめ込んでいる
「下河原町 鳳凰菀」・・公園ですね
「下河原町 鳳凰菀」内の桜
なんていう桜かなぁ?

小林家住宅
建築年代 明治十二年(1879)妻入・平入建築を組合わせ町医者として建て昭和四十年まで開業されていました

伝統的建造物 篠山市指定文化財  西坂家住宅
屋号「綿屋」元は綿花栽培、醤油屋を営んでいた。主屋は中二階建てで、入母屋造妻入

見事な「うだつ」ですね
懐かしいガソリン給油機ですね

道路に・・「方位図」ですね
と、いうことで、河原町商家群の通りを散策しました
店舗が休日とあって、人影がなく、のんびりと道路の真ん中を歩き、左右を交互にみて・・
思えば、確か、三度目か? 備忘録を記する前でしたね・・・





2018年4月4日

桜見物・・篠山市、篠山城跡です

4月に入り、好天に恵まれ、花びらを散らす風も吹かず、桜見物に絶好の天気ですね!
新聞の、桜開花情報は、満開ばかり・・・姫路城、明石城公園、夙川等々・・・

その中、私どもの、2018年桜見物は、色々考えた末、やはり、篠山城、丹波市青垣、篠山市中、綾部街道へ行くことにしました・・

篠山城です
・・・お城の周りにも「P」はありますが、いつものように、たんば田園交響ホールの「P」へ駐めます
北外堀です・・・今年は、堀を巡るボートが営業されていますね・・・30分/500円
見慣れたとはいえ、いつ来ても、この桜は見事です
・・・中央の桜は篠山城の開花標準木です・・・

篠山城跡、二ノ丸です・・・

天守台です
天守台は本丸本丸「殿主丸」南東部の城内で最も高く、奥まったところに位置し、石垣の高さは約17m、平面規模は東西約18m、南北約20mであります
築城「1609」年時に、天主閣は江戸幕府の指示により、城郭が堅固すぎるとの理由で建築は中止し、代わって、南東隅に二間四方(4m四方) 単層の隅櫓を配置し、東西と南面に土塀をめぐらせていました
東方には丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山「八上城跡」が美しい姿を見せております


中央に位置するのが、丹波富士と呼ばれる中世の山城である高城山「八上城跡」です
東外堀と篠山小学校、奥は篠山市役所
青山神社、鳥居と石灯籠と桜・・・



さぁ、下城しましょう・・・石垣の上に見えるのが、開花標準木です

大手馬出土塁の一部です
今日は大正ロマン館で、お昼ご飯と、休憩です

丁度、昼時・・・やや、並びました
そして、早めにでてくる食事と云えば、カレー、今日は、ハヤシライスにしました
・・・ハヤシライス、久しぶりです+黒豆入りコロッケ1ヶ・・・美味しかったです


桜見物は続きます・・・





2018年4月3日

新宮神社、新宮古墳・・篠山市の神社巡り・・兵庫県篠山市郡家177

篠山市の神社を巡ります

篠山市郡家177、新宮神社と新宮古墳です

県道301号線沿い、毎度のことなれど、何度この前を通ったことか・・・「P」がね!
でも、今回は手前の、空きスペースに「α君」を停めて、歩きます
じっくり見れば、小山が見えます・・・そう、市指定史跡、新宮古墳です

市指定史跡 新宮古墳案内と、丹波篠山五十三次の石標

新宮古墳は、篠山市郡家に所在し、古墳時代中期(5世紀)後半に築かれた円墳である 新宮神社の背後に位置し、墳丘の規模は直径約52.5m、高さ約7mであり、篠山盆地に築かれた円墳としては 最大の規模を有する。古墳の周囲は周壕が巡っており、その規模は径約87.5m、幅18.5mある
貞享四年(1687)に編纂された「篠山領地志」にあり、墳丘を堀削したところ石室内には甲冑や太刀があったお という。新宮神社には2枚の板石が保存されており、石室に関するものと考えられている
新宮古墳はその規模から、当時の篠山盆地における有力者の墓である可能性が高く、時代が下がり郡家 周辺に設置されたと推定されている多紀郡衙との歴史的なつながりを考える上で重要な史跡である


新宮神社、拝殿
覆い屋と社殿・・・姿を見せないよ!
手水鉢・・・文政七(1824)年と読める
うん? これは、これは・・・27個の「盃状穴」が・・・
・・・一つの手水鉢にこれだけの「盃状穴」は見かけないですね・・・

・・・盃状穴について・・・
盃の形に回転により擦りあけた穴のこと・・・
一説には子孫繁栄と五穀豊穣を願った説と陰陽の陰の説もあり、穴に鯨の油などを入れ灯明としたともいわれています。現在、盃状穴は謎が多く学会でも解明されていないそうです。

石に対する信仰は日本でも古くから存在した。盃状石は縄文時代から作られている。元々は磐座に彫られ、子孫繁栄や死者の蘇生を願ったものとされている。
古墳時代には古墳の棺に彫られた。
鎌倉時代には村の入り口に魔よけの目的で作ったり、神社の灯篭や手水石等に彫る事が多くなった。東大寺の転害門に彫られた盃状穴もこの頃に彫られた物である。
江戸時代には従来の目的に加えて、昔作られたものを元にして新たに数多く作られた。盃状穴信仰は維新後も残り、昭和初期までは作られていたという説もある。

日本では明治時代に坪井正五郎や鳥居龍蔵によって考古学的な研究が行われたが、その後の考古学者の興味を引く事はなく、あまり研究は行われてこなかったようである。
最近は民俗学の学者が研究している・・・Wikipediaより引用

東側から古墳をみるが、鬱蒼とした木々で形も分りませんね