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2020年12月20日

花山院菩提寺・・・兵庫県三田市尼寺352

兵庫県三田市尼寺352、花山院菩提寺を参拝します

実は、紅葉の終わりぐらいに訪れたのですが、ブログへの掲載が遅れてしまいました
そうなんです・・・訪れたことも、忘れていました

遅ればせながら、記します

花山院菩提寺、山門です

   山名:東光山
正暦三年(992年)頃、三十三の観音霊場を巡礼した花山法皇が、播磨清水寺に登った際に東方の山上が光り輝くのを見て訪ねて隠棲の地とし、その後晩年に帰京するまでの約14年間を過ごしたとされる。これに因んで元は紫雲山観音寺の名であった当山は東光山と呼ばれるようになったという ・・・Wikipediaより
      



境内
菩提寺は真言宗花山院派の本山である寺院
別称は花山院で、通常は花山院菩提寺と呼ばれる
西国三十三観音霊場の番外札所
本尊は薬師瑠璃光如来


花山法皇殿

向拝の龍

木鼻、持送り



薬師堂



すさまじい「千社札」の数です 

紅葉も終わりの時期でした・・・

        加護の木 右端の木です
ここで、着電が!
・・・急遽、下山、戻ることになりました


ふと、見れば・・・
赤い毛糸の帽子を着せていただいてるお地蔵さん
・・・寒いしね!

中途半端な参拝になりましたね

来年2021年の紅葉時期に来ましょうかね











2017年11月17日

永澤寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県三田市永沢寺210

兵庫県三田市、中井権次一統の足跡を巡っています・・・

丹波新聞の中井一統の技のコラムから、永澤寺が中井権次一統の足跡と知りました・・・
この永澤寺(ようたくじ)・・・「えいたくじ」とばかり思っていました・・・

三田市の駅から北へ・・・山へ入っていきます・・・
ドンっと、開けて見えたのが、永澤寺・・・これはこれは、すごいですね!

左が、花しょうぶ園・・有名ですね! 右が、境内と、墓地・・・
境内地は16000坪、寺有林は40町歩・・・こんなに広かったのかと、驚いています・・・

山門が、三カ所・・・玉兎門・勅使門・金鶏門


摂丹境 永澤寺
永澤寺は、応安年間(1370頃)に、五州の大守細川頼之卿が後円融天皇の命により七堂伽藍を建立し、高徳善知の誉れ高い傑僧通幻寂霊禅師を開祖とする禅寺である。
寺籍は、曹洞宗に属し、大本山總持寺(能登、現在は横浜市鶴見)の直末である。
末寺は17カ寺、更に、通幻禅師ゆかりの寺院は8900カ寺を数え、これを通幻派といい、曹洞宗がわが国で最大の宗団になる基になったのである。
  本尊は、釈迦如来、大日如来、阿弥陀如来の釈迦三尊を祀り、秋葉殿には火防に霊験あらたかな秋葉三尺坊大権現、開祖堂前には大地蔵菩薩、妙高閣には大観世音菩薩、奈良生駒の信貴山本尊の御分身毘沙門天が祀られている。

  建物は、安永七年(1778)に再建された本堂、開祖堂、庫裡、接賓、書院のほか、昭和40年の台風で崩壊した後に再建された勅使門(茅葺きでは全国で2カ所といわれる)、玉兎門、金鶏門、山門(仁王門)、妙高閣(地下1階、地上3階)がある。境内地は16000坪、寺有林は40町歩、更に、6町歩の寺有林を活用した「三田霊園」と「さんだ動物霊園」を所有している



     勅使門・・・茅葺きでは全国で2カ所といわれると・・・

山門(仁王門)






仁王門からまっすぐが、本堂です

本堂・・・

曹洞宗の寺院・・・本尊は釈迦如来・大日如来・阿弥陀如来である
本堂へは、自由に入いることが許されています・・・・広く、立派な本堂です

唐破風、向拝に・・・中井権次一統の世界です!
兎の毛透し・・・
獅子噛み・・・久しぶりの大作を拝見できましたね!
彫物師、四代目中井言次君音の秀作と・・・
唐獅子


本堂左手に繋がる、鐘楼・・・
観音堂・・・
総高:9.2m  御身丈:4.6mという大観世音菩薩立像がありました

紀元後2~3世紀に仏像源流の地・ガンダーラ地方で制作された10数点の石仏を展示しています・・・貴重な資料でしょうね!

恐らく、先代の仁王像・・・
花しょうぶ園・・・今は季節はずれで、来園者は? いました、ご夫婦が・・・
一度、花しょうぶ園は、訪れたことがある・・・
しかし、忘れるぐらい昔のこと・・・しかし、一大企業ですね・・・永澤寺!
境内の手入れも見事で、気持ちよく、参拝させていただきました・・






2016年3月4日

蓮華寺‥県指定重要文化財を巡って・・・兵庫県三田市下槻瀬!

兵庫県三田市下槻瀬、蓮華寺‥山門・室町末期、多宝塔・文化九年(1812年)・・いずれも、県指定重要文化財である・・・

境内、参道より



川原観福寺の門と同形式の単層仁王門であったところ、昭和63年の解体修理にあたって屋根下の木組みを検討した結果、創建時は二層の楼門であったことが確認されたので、原形に復元した。

縁腰組は三手先に組み、中備は間斗束、和様を基調に室町時代末の特色をよく残している。

寺伝によれば戦国の兵乱に罹災、のち豊臣秀頼の命により片桐且元が再現したといい、また仁王像(市指定文化財)は観福寺と同様運慶作と伝えている。

なお正面上に掲げてある山号額は享保十九年(1734年)京都門跡尼寺宝鏡寺よりおくられた額である
・・・案内板より引用

山号額・・・
享保十九年(1734年)京都門跡尼寺宝鏡寺よりおくられた額である
仁王像(市指定文化財)は観福寺と同様運慶作と伝えている
    
真言宗 大覚寺派 深谷山 蓮華寺・・
奈良時代、法導仙人の開山と伝える。中興の祖は慈心尊恵といい、比叡山に学び川辺郡清荒神清澄寺の住持となり、有馬温泉寺に入った僧で、「平家物語」の「冥土蘇生記」の主人公。
尊恵が闇魔王宮に持参したという曼荼羅・教本・数珠などは、寺宝として伝わる
七堂伽藍を備えた大寺であったといい境内に堂跡が残る
本尊阿弥陀如来は文永八年(1271年)の制作で、聖観音菩薩と地蔵菩薩を脇侍とする
楼門は戦国時代焼亡、豊臣秀頼による再建という
山号額は京都門跡尼寺宝鏡寺の寄進
多宝塔は文化九年(1812年)の再建、市内唯一の塔である
中世の石造物も多く、嘉歴二年(1327年)造塔の阿弥三尊種子石碑は聖衆が寄進、一石五輪塔は長享三年(1499年)曼荼羅の由来を裏書きした寺僧良真を供養したもの
・・・案内板より引用
多宝塔・・県指定重要文化財・・三田市唯一の塔である・・・

近世後期に再建された多宝塔であるが、設計図面を残している。
塔正面三間の中央は4枚の桟唐戸、両脇は花藤窓、側面中央に引違い戸、その両脇は板張。蟇股は正面三間共あって、側面と背面の三間は中央間のみで両脇には間斗束を付けている。
垂木は初重が平行、二重が扇形で図面通りである。下から見る扇形垂木は見事である。屋根葺きは初、二重とも、元々桟瓦か桧皮葺であったかは原図ではよくわからない。
堂内は四天柱なく奥壁に須弥壇がつくられ、釈迦仏をまつり、床板張り格子天井造りである。
棟札によれば文化9年(1812年)鴻池組によって建てられたものである・・・案内板より引用
塔正面三間の中央は4枚の桟唐戸、両脇は花藤窓、側面中央に引違い戸、その両脇は板張
多宝塔付近から見る景色・・いや、みごとな景色です・・
この坂、緩そうに見えますが、いやなんの・・結構勾配があり、キツイのです!

木器の興福寺にある板碑と同じ彌陀三尊種子を刻んだ板碑である。この地方に多く使われている石英粗面岩(波豆岩)である 主尊種子阿彌陀如来を大きく彫り、その下左右へ脇侍である観音・勢至両菩薩種子を配し、下半分には一行の銘文がある 彫りは全体にやや浅く、形状は自然石利用なのでタテ・ヨコ線ともすっきりしていないが、頂部の三角は手を加えたもののようである 造塔供養こそ仏の教えにかなうものと、遊行している立場の「ひじり」たちが、嘉歴二年(1327年)秋彼岸の日に立てた珍しい石造物である・・・案内板より引用

        嘉歴二年(1327年)造塔の阿弥三尊種子石碑・・・県指定重要文化財
            
     市指定文化財・・・五輪塔  
     波豆石造品の1つである・・ 銘文・種子はないが、室町時代後半の作品と思われる
           
本堂・・・
川原観福寺の山門といい、宗派も同じ・・・そして、高売布神社の拝殿の扁額も京都宝鏡寺門跡尼の寄進・・・
さらに波豆石の名がよくでてきます・・・最近の備忘録では、酒滴神社の重要文化財の鳥居など・・

ご近所、この地域は、なんらかの歴史的関連性があるかもです・・・私感



参拝日:2月24日