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2019年10月3日

中井権次一統の足跡・・・春日神社、兵庫県篠山市野尻391

中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集「76」 兵庫県篠山市野尻391、春日神社です



撮っていきましょう……


鎮守の杜
・・・右の道を進みます、2015年5月の時は、いや~探しました
その結果、道に迷い込み、「α君」の底をガリガリと擦った思い出がありますね・・・

社頭
・・・鳥居、平成七年兵庫県南部地震のため倒壊し、再建されました・・・

社殿


右の奉納額には、寛政八(1796)の文字が見えます

主祭神:春日大神
由 緒:寛文二年(1662)、社殿建立、明治三年(1870)、社殿再建
    同六年(1873)、村社に列せられる



手挟み




       左脇障子

       右脇障子

中井権次一統の足跡ですが、彫物師の刻銘は見つかりません
しかし、四代目中井権次君音ということは、資料で分かっています
として、見れば、脇障子なんか、素晴らしいです



「α君」に戻る際、お! アオサギか? なにを狙っているのか?

ほとんど、稲は刈られていますね・・・
これからは、名物、丹波の黒豆のシーズンです
そう、今年から、篠山市は、丹波篠山市になりました!





2019年10月2日

中井権次一統の足跡・・・沢田八幡神社、兵庫県篠山市沢田523

中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集「No64」兵庫県篠山市沢田523、沢田八幡神社です


撮っていきましょう……


社頭です

沢田八幡神社

ご祭神は、八幡大神、春日大神、事代主命と国土開発国魂神、同姫神及び元沢田城主小林近江守長任の神霊であります。境内の不動堂に、文治元年(1186年)、護摩堂再建の棟札があり、平安時代の創建かと考えられます。 その後、沢田城主の小林近江守が源氏の氏神、八幡大神を勧請して、現在の社名となりました。
毎年十月十六日の祭礼には当地方を開拓した祖神様を称えて、大蛇に模した鱧を切る神事、奇祭「鱧切り祭り」(町文)があります・・・案内板より引用

天正三年(1575年)、明智光秀の丹波攻めが始まると、小林一族は八上城主波多野氏に属して明智軍に抵抗したが、八上城周辺の城はつぎつぎと陥落、天正七年に沢田城も落城、そのとき沢田八幡神社も兵火により焼失した・・・
寛永九年(1632年)に篠山城主松平山城守忠国が本殿を再興し、城の鬼門の鎮守とした。それ以来、歴代城主が寄進と保護を続け祈願所となっていた・・・


境内には、「鱧切祭」の旗が並べられています

拝殿

右側から・・・

向拝





       左脇障子

       左脇障子、背面

右側:當国彫物師 氷上郡柏原町 青龍軒
左側:中井丈五郎正忠、中井文五郎正貞 刻


       右脇障子



・・・阿吽の龍と木鼻・・・


妻飾り

角度を付けて、妻飾り

海老虹梁と手挟み




       向拝柱、木鼻

桁隠し


蟇股

蟇股

蟇股

「不動堂」に、文治二年(1186)、護摩堂を再建したという棟札があり・・・





市指定無形文化財「鱧切祭」


往古この地方を開拓された祖神(澤田比古神、澤田比咩神)の御神徳を称えた毎年十月十六日北沢田、前沢田の公民館で執り行われ夕刻行列を整えて宮入り奉告祭を斉行、鱧切役が四天王を従え鱧を大蛇になぞらえて一刀両断のもとに退治する特殊神事
報恩感謝の真心を今に伝える
天下の奇祭で、当宮の厄除開運信仰の源流でもあります(市無形文化財)

篠山の三大奇祭

篠山には三大奇祭と呼ばれる祭りがあります
沢田八幡神社の「鱧切祭」、小野原住吉神社の「蛙おどり」、新荘轟八幡神社の「もち祭」です
「鱧切祭」は、大蛇退治を模した神事です
柳田国男の「日本の祭」にも奇祭として取り上げられています
「蛙おどり」は笛や太鼓に合わせて祈願の舞が演じられます
口伝えにより200年間の間、代々継承されている貴重な民族芸能です
「もち祭」は、当番の家が大小様々なもちをつき、翌日当家から宮入して氏子に分けられます



篠山市の中井権次一統の足跡でも、見事な社殿彫刻の一つです
2015年4月に参拝した時、目の前現れた中井権次一統の足跡をしばし、足が止まり、見入ったことを思い出します






2019年10月1日

中井権次一統の足跡・・・東吹八幡神社、兵庫県篠山市東吹1577

中井権次一統の足跡を巡っています
中井権次一統作品集「62」 兵庫県篠山市東吹1577、東吹八幡神社です

社頭

拝殿その奥、本殿

本殿
主祭神は八幡大神、創立年不詳、明治6年(1873)、村社に列せられる

木鼻

向拝の龍の姿を撮影できない

妻飾り

妻飾り


       左脇障子

       右脇障子

上の左右脇障子は、2015年3月撮影時は、破風から下部は、新調されていました
中井権次一統の彫物ではないでしょう・・・新調される前の脇障子には、刻銘があったかも?
前回の参拝の後、調査の結果、六代目青竜軒中井権次橘正貞と分かりました


左、境内社 天満神社

       左脇障子

石灯籠‥文政四(1821)

元禄十六(1703)と読める

境内

社務所

このお爺さん、御年83歳・・・ 


このお爺さん・・・「写真撮ってるのかい!」‥と
・・・はい、社殿の彫物がすばらしいので、撮影させていただいています
「へぇ~、どこから来たのや?」
そんな会話から始まり、しばし、お話しをお聞きしました

社殿は、先代の時代に、小枕から運んできたらしいと・・・
屋根も檜皮葺から銅板葺に変えたと・・・

そして、この地で、農家三代目・・・今は米も作らなくなったらしい‥
聞いていると、なんか、難しそうな、国?篠山市の政策があるらしい・・・

で、今はなにをされているのですか?の問いに・・・
・・・・自宅用に「榊」を切ってるのやと・・・

それはそれは・・・(^o^)

お話の時間は、20分間にも及びました
いやいや、実に有意義な時を過ごさせていただきました

軽トラを運転して、帰っていかれました・・・