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2017年7月8日

七面堂、七面大明神・・・中井権次の足跡を巡って・・京都府宮津市伊根!


京都府宮津市伊根・・七面堂、七面大明神・・・中井権次の足跡を尋ねます

GoogleMapでは、七面堂・・・それも、拡大しないと出てこない
事前調査では、ガイドマップの住所がたより
京都府宮津市伊根町平田・・・これではね??

住所、「カーナビ君」たよりに走るが?、郵便配達の人に聞いても知らない・・・う~ん!
「カーナビ君」に郵便局が、そこへ、走ります、そして、お尋ねしました
「七面大明神の場所を」・・・局長さんでしょう? う~ん? 考え込んでいましたね!

七面大明神は知らないけれど、地元では、七面さんと、呼ばれるお堂が、あの山の上に
あの「P」の上・・・ええぇ! あそこからきたのですよ・・・ってね!
さぁ、戻りましょう



その「P」へ戻る際に階段を確認、・・・表示なし、これでは、分かるはずないよ!!
上図、赤丸部分、階段、それも道路のカーブの頂点にあり、わかりませ~ん!
それでも、場所が分かり、さぁ、参拝です・・・

階段を上がると、忠魂碑がありました
さらに奥に階段が見え、進みます


 おおぉ!
見えてきました・・・彫物も確認できますね!


 素晴らしい!
まずは参拝して、撮影のお許しをお願いいたします

さぁ、心して、拝見します


神額・・・読めない
霊?寉?閣?・・・m(_ _)m


全体的に大柄で、大胆に、躍動感のある、厳しい表情で彫られていますね
龍は天を睨み、木鼻の漠、唐獅子も睨みをきかせています
持送りは、籠透かし彫りか!!

そして、六代目の時代の作としては、現状の姿が、大変良い状態と思い思います・・・私感


六代目、 中井権次橘正貞の名が刻まれている


 右手、木鼻、持送り

 左手、木鼻、持送り

 手挟み


 屋根見上げれば、懸魚、妻飾りには、獅子噛みか? その下にも龍がいてますね


南無妙法蓮華経 七面大明神 文久三年(1863)と読める・


この境内にも、観光案内にも、七面堂の情報がありません・・・
備忘録、記するとき、ググっていくと、・・・伊根町誌があり・・・そこに!

七面神社
祭神:七面大明神
配祀:妙見菩薩・清正公・鬼子母神
沿革:「鎮守七面大明神略縁起」によると、七面大明神は法華経を守る神としてあり、「水・火の二難を守り下病平愈」を願って文政十三年(1830)8月、「芸州巌島」(広島県宮島町)より勧請した
この七面神社建立の動機は、当時他宗寺院はそれぞれ蛭子神社、大下神社、秋葉社、愛宕社等の別当職としてあったが、日蓮宗大乗寺は誦経の神社をもたず、神仏習合の風潮が強い時代に、日蓮宗にあっても一宗門の男女が集まり、題目を唱える神社の建立が図られたのである。
文政十三年(1830)八月、法華経を守る神として七面大明神が勧請され、七面神社が建立されると、妙典山大乗寺が別当寺としてあたる。
その後神社には日蓮宗の僧侶が居住したが無住となり、現在は平田地区全体の神社として宗旨をとわず参詣し、誦経は大乗寺住職があたっている・・と、ある!・・・伊根町誌、記事より引用



この階段の急なこと
林の奥には、青い海がみえますし、「P」も少しみえますね!




六代目中井権次橘正貞は、丹波柏原住・・・11代目のお話では、この伊根の地に、どのようにして、丹波からの道のりを、材料を、大工を手配し、引き連れて、やってきたのでしょうか?・・・と!


想像もつきません・・・過去、90社の中井権次の足跡を尋ねましたが、寺社仏閣は平坦地とは限りませんからね
仕事とはいえ大変な労力だったことでしょう

その地を訪ねることも、心して・・・との意味もあるかもですね





参拝日:2017年6月15日







伊根町の船宿・・・京都府宮津市

伊根の船宿・・・有名ですよね!
説明は不要かと・・・しかし、なぜ、伊根に来ているのかというと・・・
中井権次一統の足跡・・七面大明神の場所でもあります・・・しかし、その位置、全く分かりません

大昔、子供達を連れて、伊根の船宿を見学にきました・・・その時と様子が変わっています
数カ所、有料の観光用「P」ができています・・・釣り客が長時間「P」するのと、車中泊?が多く、観光客が増加による、対策のため、有料の観光用「P」が作られたらしい・・・のです!
料金は20分、50円ですけどね・・・



伊根町伊根浦重要伝統的建造物群保存地区・・・


丹後半島の東端にある伊根町では、船のガレージを舟屋 と呼んでいます。
周囲5キロメートルの湾に沿って230軒あまりの舟屋が立ち並ぶ風景は壮観で、全国的にも大 変珍らしく、重要伝統的建造物群保存地区選定地でもあります・・・

伊根町の中心部?の手前の「P」から・・・海、空・・・キレイです!!
この「P」に停めて、しばし、伊根の船宿を眺めます・・・
対岸の「P」からは、船宿の様子がよく分かりますね・・・
いまや、伊根湾クルーズの観光船が走っています・・・勿論、大型バスが来ていますが!!

まぁ、海、キレイなこと・・・魚、美味しいでしょうね・・・(*^_^*)

こんな、好天気ばかりではないのですよね、冬は、う~ん! 雪、風、凄いでしょうね!
海を眺めるのは、贅沢ですが、夏、晴れの日、それもべた凪に限ります・・・ね!




さぁ、この付近にあると思うのですが、中井権次一統の足跡・・七面大明神の場所を探します・・・
そうや、郵便局で聞きましょう・・・・


訪問日:2017年6月15日








2017年7月7日

真名井神社・・・京都府宮津市!


元伊勢籠神社を参拝して、奥の院「真名井神社」へ向かいます
写真下、縄鳥居をくぐり、右へ、進みます・・・

道路脇に石標と、鳥居が・・・うん? 
・・・真名井神社殿内にお祀りしている神様は平成28年10月15日に仮殿遷祭りを行い籠神社にお遷し申し上げました
真名井神社境内にの磐座には縄文時代より神様をお祀りしており、引き続きご参拝して頂く事ができます・・と、ある!
完全な工事中・・
・・・ここまでの道のりは、竹林に囲まれ、結構、距離ありますね・・・


都市伝説・・・(*^_^*)

写真下:赤い枠が三つ巴の紋・・・
・・・以前は、籠目紋(ダビデの星・六芒星)が彫られていた・・・
古代ユダヤを想起させるため?三つ巴に変えられたと・・・云われている!
ちなみに、籠目紋は籠神社宮司家・海部氏の裏家紋とも言われる・・・講演会で聞きましたね!


真名井原縁起・・・
天橋立北浜にある真名井原に鎮座する真名井神社は元伊勢籠神社の奥宮であり、古代には「匏宮・吉佐宮」と呼ばれていました。 匏宮は天照大神の孫神であり、海部家の始祖でもある彦火明命が創祀した「宮」で、丹後の最高神である「豊受大神」をお祀りしていました。
その御縁故により、第十代崇神天皇三十九年に皇女豊鋤入姫命が御杖代となって「天照大神」を倭国笠縫邑から当地の真名井原にお遷しになり、豊受大神と天照大神を並び併せて「吉佐宮」と称して四年間お祀り申し上げました。つまり「吉佐宮」とは、神代から豊受大神をお祀りしていた「宮」或いは、崇神天皇の御代に真名井原において豊受大神と天照大神を一緒に四年間お祀りした「宮」のことを云います。
天照大神は最終的には垂仁天皇二十六年九月に皇女倭姫命が伊勢の地にお鎮め申し上げました。 その後おおよそ四百八十年経った第二十一代雄略天皇二十一年に倭姫命の御夢に天照大神がお現れになり、「皇大神(天照大神)、吾、天之少宮に坐しし如く、天の下にしても一所に坐さずは御饌も安く聞こし食さず、丹波国の與佐の小見の比沼の魚井原に坐す道主(丹波道主)の子、八乎止女の斎奉る御饌津神、止由居太神(豊受大神)を我が坐す国へ坐さしめむと欲す」とお告げになりました。それによって豊受大神は雄略天皇二十二年七月七日に天橋立北側にある真名井原から伊勢の地にお遷りになりました。両大神が伊勢にお遷りになった後、飛鳥時代に「宮名」を「吉佐宮」から「籠宮」と改め、奈良時代に奥宮の地から現在籠神社が鎮座する場所に遷宮いたしました。遷宮した後の「吉佐宮」においても祭祀は続けられ、「真名井神社」と呼ばれるようになりました・・・神社由緒より引用



狛犬ならぬ、阿吽の龍か?

御霊水 天の真名井の水・・・

社殿がすべて覆われ、ここから、拝礼いたしました・・・
「P」に戻る途中・・・天橋立 対岸のロープウェイが望めますね・・・逆さ?でしたけ?
「P」



神秘?に満ちた、元伊勢籠神社、真名井神社と参拝してまいりました・・・あいにく、真名井神社は工事中でしたが・・・

都市伝説もそうですが、いろいろ想い巡らすのも、また、これ、楽し・・・ですね!


天橋立の観光客が、その帰りか? どっと、元伊勢籠神社へ・・・
その時の会話が聞こえました・・・
・・・なぁ、この神さん、なんの御利益があるの? まぁ、ええか! とりあえず拝んどこか・・ってね!
所謂、大阪のおばさんでしたね・・・いやはや、バスガイドなり、由緒案内など、読んでほしい・・・のです!
まぁ、それでも、ちゃんと、拝殿で、お賽銭を入れ、二礼二拍一礼してはりました・・・(*^_^*)

どこか、おかしく、それでいいかもですね!!







参拝日:2017年6月15日