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2017年5月1日

阿上三所神社・・・京都府京丹波町下粟野

京都府京丹波町には、阿上三所神社が四カ所あると・・・ここは、・・・下粟野

この地域は雪が多い?ので、本殿が覆屋で、護られていますね!

三間社流造柿葺・・・



由緒・・・
ピンぼけです・・(^^;)

創建時期は現存する最古の棟札により永徳三年(1383年)と考えられています
古くは「阿上三社大明神」と呼ばれていたそうです

御祭神 :伊佐那岐尊
      伊佐那美尊
          国常立尊

左右脇障子・・・右、ピンぼけ・・m(_ _)m
手挟み・・・

木槌か? それとも、トンカチか? 奉納には間違いないのですが・・・う~ん?
奉納絵・・・天保十四年(1843年)と読める・・・


境内末社・・・
・・・廣峯大神、稲荷大神、天照皇大神、愛宕大神
結構、急勾配の石段です!!

新緑ですね・・・キレイです!

京都府京丹波町には、阿上三所神社が四カ所ありますが・・・
本庄に位置する、阿上三所神社は、中井権次一統の足跡なんで、一番に参拝しました・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2017/04/blog-post_30.html

ここ、阿上三所神社(下粟野)は、彫り物の姿からみて、中井権次一統では、違うと思いますが?・・・私感!

探索を続けましょう・・・


追記:ピンぼけが多いね・・・





大福光寺・・・国指定重要文化財・・京都府南丹波町須知色紙田

真言宗御室派 雲晴山大福光寺・・・
本尊に毘沙門天を祀るところから“蕨の毘沙門さん”とも、知られている



雲晴山大福光寺は真言宗御室派の末寺で、延暦年間(782~806)に鞍馬寺の中興法印釈峰法延が建立いたしました
当時は現在地より北方の空山(深山)に建てられ栄えましたが、足利尊氏公の信仰により嘉暦2年10月にこの地に移し建立されたました
南北朝時代には、足利家の祈祷所として栄えた
天正年間の兵火により多くのお堂は焼失しましたが、本堂と多宝塔は、今も当時の姿を残しています
・・・案内板より引用




【国重要文化財(建造物)】

大福光寺本堂(毘沙門堂) 1棟
【建立】足利尊氏公により嘉暦二年(1327年)この地に移し建てられる
【様式】方五間単層入母屋造桧皮葺
【特徴】菱欄間、格子戸等、鎌倉時代の様式を残す
    内陣は土間で、外陣の後方を廻れない等、日本でも数少ない特徴を持つ





大福光寺多宝塔(塔婆)

【建立】足利尊氏公により暦応2年(1339年)に建立と伝えられる
【様式】方三間二層桧皮葺
【特徴】鎌倉・室町時代の様式を伝える
    外側に蛙股12枚(内4枚は江戸時代の後補)がはめこまれている



蛙股・・四面です
・・・画像をクリックいただければ、拡大します・・・(*^_^*)







いや~! 久しぶりに美しい姿の、多宝塔を拝見できました・・・
・・・蛙股の彫り物も、実に美しいです・・・


その他、宝物・・

【国重要文化財(書跡典箱)】
紙本墨書方丈記 一巻
・・・紙本墨書方丈記は鴨長明が建暦2年(1212)に著した中世文学の代表作「方丈記」の写本で、方丈記の写本としては最古に属する貴重なもの・・・
玉篇(巻第二十四断簡)一巻

【京都府指定文化財】 彫刻・・・・
木造羅生門天立像(本尊) 一躯
古文書・・・制札 一枚
絵画・・・・板絵著色竹虎図 一面

【京都府登録文化財・町指定文化財】
懸仏附懸仏残欠 十五面八個

【町指定文化財】
仁王像

京都府南丹波町須知色紙田の地に、国指定重要文化財の建造物、多くの宝物を寺宝として持ち・・・
・・・静かに佇む大福光寺・・・

本堂(毘沙門堂)は足利尊氏公により嘉暦2年(1327年)この地に移し建てられ、多宝塔は、足利尊氏公により、暦応二年(1339年)に建立と伝えられるが、京丹波町の案内を見るまでは、全く知るよしもなく・・・

一人、のんびりと拝見させていただきました(建造物のみ)!






旧須知小学校・・・京都府京丹波町須知金剛寺谷

初めて訪れる地で、見所情報、パンフを頂戴するのが、観光協会案内所・・・充実しています
・・・南丹波町の観光協会は、「道の駅、丹波マーケス」内にあります
スーパーマーケットや、飲食店や、マクドまで、ありましたよ!


早速、パンフ頂き、京丹波町のホームページで、事前調査してきたのと、位置関係など、ジックリ眺めています・・ホームページの案内が充実していますので、現地で案内説明板がないケースが多いので、助かりますね!・・・
勿論、Nexsus7で閲覧していますが・・!


左マークが、旧須知小学校・・・
・・・現在の国道9号線の左側の道、旧須知小学校側の道が、旧街道とのこと・・・

旧須知小学校・・・

・・・京丹波町観光協会説明文より、引用・・・

映画「銀河鉄道の夜」のロケ地になり、舞台ともなった須知小学校舎・・・

いわれは古く明治5年、須知村の前田九一郎氏別荘を仮校舎に尚綗校を創立したのが始まりとされる
明治20年7月、学制改正により尚綗校改め須知尋常小学校と改称
明治23年5月、校舎を現在の金剛谷に移転した
その後、何度か校舎を増築したが、昭和8年から、それまであった校舎を全面的に改築する工事が始まった。昭和10年までに、北校舎ほか本館、講堂改築、南校舎改築工事も同年10月に完成、それぞれ現在にいたっている
新校舎は昭和8年以前にあった校舎の規模や平面を踏襲しながら改築したものである
戦後、本館2階にあった旧音楽室を図書室に改めたり、畳敷きの会議室を児童会室にしたり手を加えたほか、平成6年から同9年にかけて床の張り替えやアルミサッシ、外壁のペンキ塗り替えなど建築維持の工事が行われ、おおむね建設当初の状態が保たれている
全体的に保存状態は良好で、各廊下や階段など四半世紀を経た総桧造の木造校舎としては、風土にあった風格すら感じられる

平成12年3月、統合のために閉校。
現在は学童保育やスポーツ生涯学習などに利用されている。


総桧造の木造校舎として、講堂天井まわりの意匠や外観、外壁の下見板張りなどに昭和初期の小学校建築の典型的な姿を残していると・・・

正面玄関上の紋章・・・


正面から、ガラスドア越しに、講堂?をみる・・・
・・・説明では、講堂天井まわりの意匠は昭和初期の小学校建築の典型を見ることができるとあるが、残念ながら、正面しか、見えないよ!
今、見えている、廊下など板張りは桧造りなんですね・・・すごいね!

外壁の下見板張りなどに昭和初期の小学校建築の典型を見ることができる・・・

ガラス越しに校舎内部を・・・パチリです!
運動場から・・・


小学校といえば、この像、二宮尊徳像は必ずといってありますね・・・・
・・・二宮先生幼年時代銅像・・・と、あります

正面玄関の右横にあった、須知小学校の位置・・
・・・海抜172メートルもあるのか! ちょっと、へぇ~と!!


一般公開はしていないのかなぁ?・・・

因みにググってみました
・・『銀河鉄道の夜』は、宮沢賢治の童話作品・・・
・・・孤独な少年ジョバンニが、友人カムパネルラと銀河鉄道の旅をする物語で、宮沢賢治童話の代表作のひとつとされている・・・Wikipediaより

お恥ずかしいことですが、知りませんでした・・・m(_ _)m

今回の旅?で、この京丹波町で、閉校になった、小学校を3校訪れることになろうとは・・・

・・・続きます