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2016年5月5日

愛宕神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・・兵庫県丹波市市島上垣!

兵庫県丹波市市島上垣・・愛宕神社 ・・
下図は、普通のGoogleMap・・で、その位置を・・・
いま、ひたすら、完成度を上げようとしている、中井権次一統の足跡のマイマップ・・・
一の鳥居・・
・・・付近に「P」できる場所無く、・・轍も沢山あるので・・えいっ・・入ってしまえと!!
そして、突き当たり付近に「P」させていただきました!
主祭神 は 迦具土神(カグツチノカミ)
由 緒:創立年不詳  明治6年(1873)、村社に列せられる・・と、ある
鳥居をくぐり、左、社務所の横ラインにくると・・「・ピィビィビィ・」・と、ちょっと違うけど、防犯警報が鳴りだしました・・・
・・・おおおぉ・・なんじゃこれは!・・・

驚きました・・・初めてです、警報が鳴るなんて・・・
しばし、その場に立ち止まり、誰か来るか、待っていました・・・いや! 一応、不審者ではないことを証明しなければ・・・
しかし、誰も来ません・・・まぁ、一応、脅しと、警告ですかね!・・・おいおい!
本殿・・・
向拝の龍・・凄みがあるね!
左右、脇障子・・
福知山市の神社でよく見かけた・・脇障子が斜後方に開いて付けられていますね!!

  左脇障子の裏に刻銘がある・・・

・・・なんとなくしか、判別できない・・・

中井権次一統資料より・・・
彫り物師、 栢原住、 久須善兵衛政精
そのすぐ左に、五代目、 中井丈五良正忠

・・・と、あるようです
左面・・手挟み
妻壁・・蟇股は、鳳凰か?
向拝、龍の背面、手挟みの見事さ・・・
本殿、右手より・・・向拝の龍・・龍の顔をまともに見える位置・・さらに凄みがある!
参拝も終わり、「P」へ戻ろうとして、社務所横ラインを通過すると・・・
・・・「・ピィビィビィ・」・と、警告音が鳴りました・・・

参道に立つ、石灯籠・・安永三年(1774年)とよめる・・

警告音、防犯音に驚かされました・・・これが普通かもしれませんね!
でもね、・・突然、鳴ると、ホント、ビックリしました・・・(^_^;)

愛宕神社、警報には、驚かされましたが、脇障子、向拝の龍の素晴らしさに、免じて許そう!!




参拝日:4月15日





三ッ塚廃寺跡・・・国指定史跡を訪ねて・・兵庫県丹波市市島上田!

下図、下の赤線部分の済納寺から、右上、赤線部分の岩戸寺へ向かう途中に・・・発見?
岩戸寺から帰途の折り、立ち寄ることに・・・
公園の正面入口
国指定史跡 三ッ塚廃寺跡

三ッ塚廃寺跡は七世紀後半(白鳳時代約1300年前)に建立された寺院跡です
東西に並ぶ3つの基壇は、中央が小規模な金堂跡で、東西は地下式の心礎をもつ塔跡です
講堂跡は不明ですが、この伽藍配置は全国的にも珍しいものであります
中門の他にほぼ一町の四周に、南門・東門・築地を伴う北門が検出されています
使用された瓦は、素緑八葉蓮花文軒丸瓦と三重孤文軒丸瓦で、三ッ塚東南山麓の瓦窯で焼成されたものです
三ッ塚廃寺跡の周辺に広がる数十棟の堀立柱建造群は、8~12世紀(奈良、平安時代)にあいついで建てられたもので、三ッ塚廃寺と密接なつながりが考えられます
現在この地(41,976㎡)は、国指定史跡となっています・・・案内板より引用

写真下:中央の松のところが、金堂跡・・
西塔跡・・・
上西の無加工のチャート材の礎石四個が残っており、その他礎石跡とあわせて方三間の塔跡と判断しています
中心の塔心礎は既に失われていますが、東塔と同じく地下式であったと考えられます
現在その上に建つ塔心柱の一部を復元しています

西塔跡に立ち、東塔跡(上)をみる・・・



金堂・・心礎
この心礎は薄手の花崗岩で表面に径89cmの浅い柱座を中心に径深さとも11cmの舎利孔を穿っています 礎石表面はほぼ地山面と同位で心礎は壇上面から1.4m下にあります
心礎

二千平米の敷地の江戸系、肥後系、伊勢系の花しょうぶ2万本が植えられています・・観光案内より引用
丹波市教育委員会発行配布のパンフより引用・・・こんな風な伽藍だったのですね!!

観光案内には、白鳳時代のロマン・・・・と、あります!

あらためて、白鳳文化・・・とは! ググってみました・・・m(_ _)m
645年(大化元年)の大化の改新から710年(和銅三年)の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化であり、法隆寺の建築・仏像などによって代表される飛鳥文化と、東大寺の仏像、唐招提寺の建築などによって代表される天平文化との中間に位置する
なお、白鳳とは日本書紀に現れない元号(逸元号や私年号という)の一つである(しかし続日本紀には白鳳が記されている)
天武天皇の頃に使用されたと考えられており(天智天皇のときに使用されたとする説もある)、白鳳文化もこの時期に最盛期を迎えた・・・Wikipediaより引用

いろいろ見ていると、この地域は、旧石器時代にはすでに人々が生活していたらしく、日本海と瀬戸内海を結び、都へ通ずる山陰道にも近い交通の要衝だったと・・・
5~6世紀ごろはずいぶん開け、当時の古墳も100基ほど点在していると・・・

この市島・・舞鶴市まで、直線で31kmぐらい・・・そこは日本海ですものね!!

いやいや、三ッ塚廃寺跡を訪れたおかげで、いろいろググって、勉強させていただきました!!・・m(_ _)m





訪問日:4月15日









岩戸寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市市島岩戸!

5:済納寺から、6:岩戸寺へ・・・
下図、備忘録にも記しましたが・・・GoogleMapのマイマップを使っています・・・

社寺の頭の数字は、中井権次一統の足跡資料にある、社寺の番号・・
黄色は訪問済み、赤色は、未訪問・・・
緑色は、指定文化財か、建築年代が古い建造物・・の、社寺を・・
例として、黄色の岩戸寺は中井権次一統の足跡・・・緑色は、仁王門の建立が、天正十九年(1591年)・・てな訳です・・

これぐらいしておかないと、どこを参拝、訪問したか、わからなくなるのです・・・(笑)
そして、せっかく、そばを通りながら、重要有形文化財が、県指定文化財がある社寺があったのに・・てなことになるのです!・・・
・・・・いや、なっているのです・・・(汗)
岩戸寺に到着です・・・
仁王門・・・天正十九年(1591年)と資料にある・・
・・・見事なまでに、桧皮・・剥がされていますね・・・赤肌がキレイです!!
この仁王門の彫物も見事です・・しかし、千社札、邪魔なんですよ・・(^_^;)
江戸時代前半享保十五年(1730年)に造立された、石段・・白壁と相まってよき景色ですね!!

大師堂・・
つい、見とれてしまいました・・・(*^_^*)
石段、登りきりました・・・神仏混淆時代ですね・・・左、熊野権現!

高野山真言宗、明燈山岩戸寺・・縁起及び歴史

本尊:十一面千手千眼観世音菩薩(秘仏)

縁起及び歴史
丹陽氷上郡鹿集明燈山岩戸寺は奈良時代宝亀二年(771年)に法道仙人により開基され、本尊十一面千手千眼観世音菩薩は法道仙人自身の作で、鎮守は熊野権現である
その後、天正二年(1574年)に明智光秀の丹波攻めにあい、一山灰燼と化したが、仁王堂のみはこの兵火を逃れた
天正六年(1588年)に源宥上人が再興し一宇を結んで千手院と号した
後に、総持院が建立され、総持院は、明治の初期に移転され鴨庄小学校の前身となり、千手院が現在の庫裡の元となった
石段は江戸時代前半享保十五年(1730年)に造立され、観音堂は寛文十一年(1671年)に建立、寛政七年(1795年)に再建、仁王堂は天明元年(1781年)に再建された
中興第十五代宥憲上人の時、明燈山より流れる清水が目の秘薬であると多くの参詣者があった 聖天尊は昭和七年四月に生駒山より観請した御分身である・・・案内板より引用


見事な、向拝・・・彫刻は中井丈五郎正忠・久須善兵衛とある
・・・彫刻の部位の写真は、備忘録、末尾に・・・m(_ _)m

本堂観音堂の十一面観音菩薩の大悲殿の欄間に彫り込まれたの・・・龍・・・
中井権次一統の足跡の資料では、久須善兵衛政清の銘が、 墨で鮮やかに残されていると・・
熊野権現へ・・・


本殿・・・
・・・高欄の宝珠柱は禅宗様式の逆蓮柱になっていますね!


拝殿横の石灯籠、一対・・寛保二年(1742年)とよめる・・

左横から、向拝を・・一対の石灯籠は、嘉永四年(1851年)とよめる・・




下ります・・・左手に岩戸寺、西門があります・・・入ってみます・・


おおぉ・・珍しい・・笠部分が長いね・・・
・・・ググって見ました・・なんでも、ググってみる、癖・・
どうも、利休形かも・・・う~ん?
・・・千利休が好んだ燈籠・・一般に言われているのは笠が長半休状にのび、火袋が中央でふくれ、、中台に長い蓮弁がついたものをさしているようです・・と、ありました!

その先に、山門があります・・


鶴二羽の見事な彫物・・・木鼻は、象と唐獅子・・・刻銘は残念ながらありませんでした・・

「P」からふと見渡すと・・・
・・・法道仙人 笈立て岩(休息の岩)とある・・・



これから下部は、中井権次一統の足跡です・・・
兎毛通の鳳凰・・すばらしい・・
天女が・・
木鼻の漠、持送り・・
本堂内の欄間の龍・・・屋内では、保存状態がすばらしいです・・

いつも感じることなのですが・・・千社札・・この本堂内にもありました・・・
岩戸寺のHPでは、通常は本堂、施錠とセキュリテイがあり、入堂は不可・・
内部拝観は電話で・・と、あります・・・しかし、千社札・・う~ん?

千社札、意味理解しているのですが、・・・正直、汚い・・です・・・私感!
今回、備忘録作成の折、虹梁などにある千社札、加工して消しました・・・・よ!



訪問日:4月15日