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2015年12月3日

生野町口銀谷の街を歩きます・・・兵庫県朝来市生野町!

生野町口銀谷の街を歩くのは、これで三度目・・・何度訪れても雰囲気のよい街です・・

観光者用「P」・・ここに生野義挙碑があります

文久三年(1863年)十月の生野義挙(生野の家)の軍跡を後世に伝えるために昭和十五年(1940年)、生野代官所跡に碑が建立されました 生野の家は、勤王の志士と但馬の農民が一緒になって生野代官所を占拠した事件ですが、僅か三日で破陣となり、明治の世まで、生き延びたものは数名に過ぎませんでした 生野の義挙は維新の魁、という言葉が伝わっています・・・案内板より引用



国登録文化財・・・綾部邸


明治時代に建築されたと考えられ、平屋の安定した外観に駒寄せ(大阪出格子)の縦の線が、立派な見越し松などとあいまって美しい表情を見せています また、日本の近代化に貢献したフランス技師、ドウー・セポーズの子、ルイが育った家でもあります

道幅狭く・・広いお屋敷・・・全体は写真には入りきりません・・

国登録文化財・・・旧海崎医院

海崎医院は明治二十一年頃、この地に建てられました
軒下の蛇腹や鎧戸のついた両開き窓など、当時生野にあったフランス人屋敷の模倣も見られますが、内部の待合室には格天井に一枚一枚花鳥風月の絵が描かれており和洋折衷の様式になっています 明治時代の生野鉱山ではけが人も多かったようで、フランス人医師の意見を取り入れながら治療に当たった様子が多くの記録に残っています・・・案内板より引用

建物自体の維持が難しいようですね・・
この道沿いの商店・・・「仕入れに行きます」の貼り紙がありました・・・ええなぁ!・・(*^_^*)

国道312号線を北上します・・和田山、朝来方面へ・・・口銀谷の街並みです

では・・・生野北峠を越えて、「α君」走ります・・・(*^_^*)



訪問日:11月26日






東西寺・・・中井権次一統の足跡を巡って、兵庫県朝来市生野町!

兵庫県朝来市生野町口銀谷、東西寺・・・中井権次一統の足跡を尋ねます

その前に・・・
今日は、越知ヶ峰名水を汲みに走ってきました・・訪れた回数も、今日で5回目・・・
その越知ヶ峰名水への途中、銀の馬車道街道を走り、新野の水車など、訪れてきました・・・
水汲み終われば、北へ・・中井権次一統の足跡を訪れる予定です・・・

越知ヶ峰名水・・・

その越知ヶ峰名水のを汲む量も前回から100L越え・・
・・23L×2+ペットボトル2L×28本=102Lです・・・

我が家の水の消費もはやく、102Lが40日でなくなりました・・・

越知ヶ峰名水への到着が丁度、お昼・・・

そう、ランチタイムです・・

途中、スーパーに立ち寄り、弁当を購入・・・
今日は、紅葉を眺めながら・・この越知ヶ峰名水でお昼ご飯です
午前中は曇っていましたが、青空が見えてきました・・・


さぁ、「α君」に102Lの名水を積んで向かう先は、今年、4度目となる、生野銀山、口銀谷・・・
実は、この口銀谷町の寺町通りに、中井権次の足跡の東西寺があったのです!
しかし、過去三度とも見逃したので・・・本日、走ってきました・・・

東西寺・・・

宗派は浄土宗知恩院派
境内には徳川家康の尊像と歴代将軍の位牌が安置されています

元和二年(1616年)家康の没後、当時の銀山奉行、山川庄兵衛が現在の学童保育センター付近に御霊屋を建立、家康の尊像を祭祀して御宮と称し東照寺(後の玉翁院)に別当として堂主に当たらせ将軍の位牌を安置しました
これ以降、歴代の奉行、代官は将軍の位牌を安置することがならわしとなり、十四代将軍までの位牌が置かれています
昭和27年(1952年)玉翁院廃寺合併の際、東西寺に移されました・・説明板より引用
本堂・・・
向拝に・・・久しぶりにみる、中井権次一統の足跡・・・です
左、木鼻・・・
右、木鼻・・・

龍の裏・・左に彫物師・・ 右に明治十七年・・と銘が刻まれている・・
写真上の拡大写真・・・
・・・写真左下:彫物師丹波住中井清治良 橘正實とある・・・
・・・写真右下:明治十七年大暁山十六世・・と、読める・・発起人ともあるが・・・



東照宮・・・徳川家康の尊像と歴代将軍の位牌が安置されています
     
堂内をガラス越しに・・・すみません!
              


山門をみあげれば、由緒がありました・・・
東照寺山門・・・創建、元和二年(1616年)、享保六年、玉翁院を改称・・右、移管復元・・と、よめる
なかなか、姿の美しい、山門ですね・・・玉翁院の遺構として、移されたのです!


久しぶりの、中井権次の足跡でした・・・
これで、口銀谷の寺町通りの中井権次一統の足跡は完了です・・・
では、せっかく、口銀谷にきましたから、国登録文化財の建物を拝見しに行きましょう・・・

続きます・・・


参拝日:11月26日






2015年12月2日

日吉神社・・・「播磨風土記 堲岡の里」・・兵庫県神崎郡神河町!

新野の水車の郷から、県道404号を走ること僅か・・その県道404号沿いに、日吉神社があります・・
播磨風土記のお話に、この地が出てくるようです・・・
拝殿・・・
本殿・・左側面
木鼻など、彫り物も素晴らしいが、向拝などはまったく見えません・・
右から本殿、弊殿、拝殿・・頑丈にガードされていますね・・・しかし、立派な社殿です!

銀杏の黄色は散りはじめていますが、しかし、紅葉が未だ色づいていませんね・・・

播磨風土記・・堲岡の里、神河・・
播磨国風土記には 「大汝命と小比古尼命の二柱の神様が、埴(赤土の粘土)の荷物を背負って歩いて行くのと、便意を我慢して歩くのとどちらが遠くまで行けるか、という我慢比べをしました。 何日か経って我慢しきれなくなった大汝命がとうとうその場で大便をしてしまいました。 それを見て、小比古尼命も、笑って自分も苦しかったことを告げ、埴を道端に投げ出しました。この埴が投げ出された岡を埴岡と、また、大汝命の便が、笹の葉にはじかれて飛び散った場所を、波自賀(はじか)と言うようになりました。
投げ出された埴と便は固まって石に姿を変えました。」 とあります・・・
 この里の話は、「古事記・日本書紀」の神話の世界とは全く異なったユーモラスな伝承です。
現在、神崎郡神河町比延に鎮座している日吉神社の辺りは、「埴岡の里」の伝承地といわれ、神社前の道脇には「播磨風土記 堲岡の里」の標柱と、説明板が建立してあります。 そして、小比古尼命が投げた埴から変わったと言われる大きな岩が社殿の裏山の中腹に注連縄をかけて祀られています・・・はりま風土記から引用

残念ながら、社殿の裏山の中腹に注連縄かけて祀られている大きな岩はわかりませんでした・・(^^;)

そして、おもしろいものを発見・・・「播磨風土っ記ん」のサイトにあります・・神河町の播磨風土記の笑えるお話・・・
・・・Youtubeにアップされていましたので・・・ご紹介いたします・・・、

youtube.com/watch?v=zAtNsqCZA3M&feature=youtu.be





参拝日:11月26日