ページ

2016年5月25日

須賀神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・・兵庫県丹波市氷上町日比!

中井権次一統の足跡の資料、GoogleMapでは、荒神須賀神社の表記なのですが・・
道路脇の案内板は、「日比宇の荒神さん・・・安産の守り神!」
神社庁では、須賀神社・・通称、荒神社・・どれを選択して、ググってみるのがいいのかなぁ?

県道7号線沿いに立つ案内板・・実はなんどか、この道を、通過しています
だって、名前が違ってたから、単純に、荒神須賀神社と思わなかったのですぅ・・(^_^;)

芹田神社から、すぐでしたが、この場所が、なかなか見つからず・・・(^_^;)
住宅の間の奥に、鳥居、発見・・「α君」進みますが、ええぇ・・行き止まり状態、「P」できません

車幅ギリギリで、バックして、近辺の路肩に乗り上げ、「α君」を「P」します・・
・・・そして、徒歩にて、再度、住宅の間を進みます・・・
舞殿?

狛犬君・・・なかなかの面構えですね!

日比宇 荒神須賀神社とある・・・これが、正式名称なのですね!

日比宇に御鎮座まします氏神、須賀神社は、俗に「お産の神様、日比宇荒神さん」と呼ばれています
御祭神は、素戔嗚尊を祀り奉り、古来より安産の守護神として、郷土民は元より遠く丹波、但馬、丹後、阪神方面より参詣者著しく、是、古き社なり
・・・樹齢千二百年のご神木・・・
木の廻り6m、長さ20mの桧の大木は昭和25年のジェーン台風の為枯れ、昭和31年伐す、鑑定によると1200年余りの歴史を有していました
社殿は天明二年(1781年)再建 明治六年、村社に列せられる 昭和八年、天明の再建から百五十余年に大改修をおこなう

・・・安産お守り石の由来について・・・
箱の中からお守り石をひとつお持ち帰り下さい、妊婦のおなかを、この石で撫でて神棚にお祭りください
御礼詣りには、流れ川のきれいな石を一つ拾って、安産後三十三夜の宮参りに元の石と一つにしてお返し下さい
また、百日目の食べ始め膳に、箸をこの石で撫でて、ご飯粒を口に入れてあげると、歯の丈夫な子になると云われていますと・・

・・御社の鈴の緒ふりてゆかずけば まだみぬ吾子のうぶごえきこゆ・・案内板より引用


さぁ、石段を登って

賽銭箱と、安産御守石 二つの箱があります
・・失礼と思い、安産御守石箱の中は見ていません・・・m(_ _)m



左、脇障子・・右脇障子、ピンボケの為、掲載不可・・m(_ _)m

さぁ、降りましょう・・・結構、急な石段・・妊婦さん、気をつけてくださいね!

氷上町 マンホール 多分、旧氷上町の時代でしょうね!
中央に町章、周囲に町の木マツ、町の花ヤマツツジ、町のシンボル・ヒバリ のデザインとある

荒神須賀神社、須賀神社、日比宇荒神と呼び名が異なるようにも思えるのだが、よくよく見れば皆同じ・・m(_ _)m

安産を祈願する御神は、いろんな神社に鎮座されていますが、安産のお守り石の風習は、ここ、日比宇荒神須賀神社で初めて知りました・・
・・・安産を願うのは、皆、同じ・・伝承は、今でも、続いているのですね・・・(*^_^*)

ふと、考えました・・・若い方の家には、神棚って、あるのかなぁ?


参拝日:5月19日





芹田神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・・兵庫県丹波市氷上町鴨内!

延喜式神名帳 山陰道 丹波國 氷上郡 十七座の一つ、芹田神社を訪ねます
勿論、中井権次一統の足跡でもあります・・・丹波市青垣町佐治の八柱神社から、加古川を越えて県道282号線を東へ・・

着きましたね・・・うん? 鳥居の横に、軽四が両ドア開いて、停まっているなぁ!
その場所に「α君」を「P」したいのだが・・・仕方ない、諦めるか!
と、いうことで、「α君」は路駐して・・・
休憩中か? 作業中か?・・この軽四は?・・・末尾に・・(*^_^*) 
二の鳥居・・左に見える、赤い鳥居は・・後述、参道を進みます
舞殿への石段は改修されているが、右下に石碑に安永八年(1779年)の文字がよめる
左の石段と同じだったのかもね

延喜式内芹田神社由来の記・・
時維元禄の頃、この辺を豊岡県丹州由良村の鴨内村と呼んでいた、当所初代の庄屋を六兵衛という人が務めた、その頃由良の(今の北由良)に別所豊後の守という士族あり一円を治めた。 偶々元禄十三年(1700年)元旦のこと、早朝降り積もった大雪の中を白馬に乗り六兵衛を尋ねられて「この村に熊野大権現をお祀りしているか、実は昨夜夢枕に立たれ『この村に社を建て祀ってくれ』とのお告げがあった」と申された、
そこで六兵衛は「社祠はないが手洗鉢所に大きな石を立てて熊野三社大権現様と村人が崇拝しております」と申し上げた。早速豊後守は六兵衛を連れて山を上って見ると不思議にも一カ所だけ雪が無く地面が露出していたのであった。 豊後守は「ここだ、ここが神のお告げの所である」と言って六兵衛に神殿の建立を強く要請されて帰られたのであった。六兵衛は早速村人を集めて相談し神殿の造成に取りかかった。当時としては多くの資財と人力を費やしての大事業である。 六兵衛自らは周辺の所有する山林七尾七谷(約3町歩)を寄進したのである。これが今の本社殿と宮の谷風致林である。 本社殿の造成と共に蔵王権現、ご神木〔天照皇大神)、瀬戸宮、八幡宮、貴船宮、山の神、天王宮、正一位稲荷大明神を合祀された。 別に秋葉山社、大峰山社は芦田宗左衛門氏が祭祀された。本社殿の完成は元禄十五年(1702年)と本社殿棟札に残っている・・・案内板より引用

覆屋の壁面の案内板

江戸時代は「熊野権現社」と称していたらしい・・・その時の神額かなぁ?
社殿です・・覆屋で護られています

主祭神は、高雄神尊   本殿は流造銅板葺・・・

龍、左上を睨んでいますね

社殿左側の境内社

社殿右側の境内社
御神木

社殿前の石燈籠・・元文五年(1740年)とよめる

右手の山手に稲荷神社が・・
下ります・・しかし、めちゃ、急な石段・・数えました、78段・・確か?

鳥居前の石灯籠? 石碑? 享保十四年(1729年)と読める

この下は、中井権次一統の足跡です
以下の木鼻、手挟みは、作風が異なるので、中井権次一統ではないでしょう
手挟み・・しかし、この彫物は、なんでしょうか? 初めてみました


最後に、軽四の件・・稲荷神社から、急な石段を下りるとき判明・・
男女が昼寝?していました

いやいや、なにか、不思議な神社でした・・・
関係ないか!、軽四は・・・



参拝日:5月19日





2016年5月24日

宝林寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市青垣町栗住野!

兵庫県丹波市栗住野の宝林寺・・・曹洞宗の寺院です!
備忘録に記しましたが、36:八柱神社、参拝を断念した、37:八柱神社、そして、38:芦井神社・・県道7号線沿いに順序よく?・・
・・・ちと、奥に入りますが、39:宝林寺さんが、位置しています


宝林寺・・・

本堂・・・・二階があるのかな? 立派な本堂ですね!
本瓦、葺き替えたのでしょうね? 向拝柱の根元に立派な「鬼瓦」がおいてあります・・・
向拝の彫物・・・中井権次一統の足跡ですね・・・刻銘を発見できませんでしたが・・m(_ _)m

部位の写真は、下部に・・m(_ _)m
扁額・・「寶林寺」
祖父祖父堂・・・
丹波市の観光案内にもある・・祖父祖父堂・・
天正七年(1579年、約420年前)五月、明智日向守光秀は黒井城進攻のため、氷上郡柏原八幡山に陣を構えた
多紀郡八上の波多野秀治を通じて、足立主人之介を擁して栗住野城に據る三十六人の地侍たちに帰順をすすめた
しかし、和議は進まず業をにやした光秀は、和睦と称して地侍たちを柏原に招いた
そして、毒酒を盛って謀殺してしまった
事情をいかぶって様子を聞きに行った極楽寺の和尚も帰らぬ人となった
その後、中川原にこれらの首がさらされた
栗住野、西芦田、口塩久の里人たちは、そのあまりの痛々しさに胸をいためひそかに首塚を作ってその冥福を祈ったといわれる・・・中略・・・
その後、慶長六年(1601年)僧、栄文碑の傍に一堂を建てて祖父祖父堂とよんだ
安政五年(1859年)僧卓龍その堂を再建したと記録されている・・・中略・・・
栗住野集会場建設の時、宝林堂の現在の位置に移築された
祖父祖父堂の名称のいわれはさだかではないが、里人たちの篤い祖先敬仰の心を物語っているといえよう
お堂の中には、石の御仏が鎮座ましましている
昭和61年秋、里人たちの浄財を集めて改修を行いその供養と保存に努めているのである・・・案内板より引用

お堂内・・・戸が開いていましたので・・合掌し、・・パチリです・・m(_ _)m
山門から見る・・青垣町栗住野の風景・・・
  


これから下は、中井権次一統の足跡です・・・


山門・・・虎やね!


最近、寺院の中井権次一統の足跡を拝見するのを、ちと、考えてしまうことがあるのです!
訳は・・? むずかしい~です!



参拝日:5月19日