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2025年7月19日

淀城址にある京都市伏見区の産土神 與杼神社です

淀城址を訪ねようと「P」を探していたら、発見した「P」が興杼神社の有料一時「P」でした
それで、この地に興杼神社の存在を知ったわけです
興杼神社・・「よど」、と読むのですね

早速、参拝します
国重要文化財の拝殿があるようです
楽しみです


社頭

社号標 郷社式内與杼神社

与抒神社
豊玉姫命、高皇産霊神、速秋津姫命を祀り、古くは、定姫社、又は水垂社とばれていた
社伝によれば、応和年間(961年から964年)僧千観内供が、肥前国(佐賀県) 河上村の淀大明神を勧請したことに始まると伝えられている。 当初、水垂町に祀られ、桂川の水上運輸の守護神として人々から崇敬されていたが、明治三十三 年(1900年)に淀川改修工事のためここに多された。
境内には、本殿、拝殿、神輿庫を始め、日大臣社、長姫社、川上社、豊丸社などの各社殿が建てられている。中でも拝殿は、慶長十二年(1067年)に建造されたもので、国の重要文化財に指定されている。
毎年十一月に行われる例祭は、「淀祭」と呼ばれ、多くの人々で賑わう。
京都市 案内板より



鳥居横の石灯籠には「延享五年」1748年の文字が読める

参道を進みます
境内は有料「P」月極「P」となっており、車が多いです

手水舎

拝殿が見えてきました

拝殿
国の重要文化財(15.51平方M)
桁行二間・梁間二間・一重入母屋造・こけら葺屋根、本殿の東方に建ち規模は十三尺四方・正面と背面は柱間一間・両側面は六尺五寸ずつの二間になっている。柱は角柱の面とりである。
地覆石上に地長押を廻らし床板を張る。内部は一面の格天井となっている。特に頭貫木鼻、雲肘木の絵様が本殿と類似しているところから全焼前の本殿と同時期の建立と見られる。基本的には、良く保存されているので本殿とともに重要文化財に指定された。
平成28年度にこけら葺きの改修が行われている・・神社説明より引用





本殿前から参道方面を臨む

本殿

祭神は、中央に豊玉姫命・向かって右側に高皇産霊神・向かって左側に速秋津姫命
の三柱であります。


元の鎮座地は、今の宮前橋の下流、桂川右岸の川原になっているあたりで、古来よりこのあたりを「大荒木の森」と呼ばれていた。 (当時は、ここを乙訓郡水垂村といった)
桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、本殿以下の建物は、明治33年5月24日付の神社移転許可により、明治34年7月移転工事に着工、翌年5月完成、明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました。

なかでも本殿・拝殿は明治年間に移築・遷座が行われたにも拘らず、良く当初の建築様式を保存していたので、昭和46年6月22日(同年3月26日内定)に本殿(本殿内の木造狛犬一対を含む)と拝殿の二棟が国の重要文化財に指定されました。

しかし、残念ながら本殿は、昭和50年8月5日午後4時30分頃、未成年者達の花火(飛翔性花火)遊びにより国指定の貴重な重要文化財は全焼してしまいました。・・神社由緒より





       元禄十五年(1702)と読める

與杼神社石碑と高灯籠

興杼神社に約1000年ぶりの発見! 「與杼神社石碑」
與杼神社は西暦 960年頃 千勧供 という学問僧が佐賀県佐賀郡川上村 鎮座の與杼日女神社の御魂を氏神として勧請したのに始まります。
京都市埋蔵文化財保護課の御支援によ り当時の基礎石をここに奉納する事が できました。

「発見採掘場所」 
旧與杼神社跡 宮前橋下大下津側の桂川右岸辺り   與杼神社宮司 奥村 博


江戸時代の豪商ゆかりの 大坂淀屋の高灯籠
【灯籠に刻印の文字】
亭々欽寸輝
寶曆己卯仲春日
灼々傳千古
大坂淀屋
片岡正英・同政冬 神主河原崎出口口口

江戸時代初めの豪商淀屋の初代岡本与三郎(淀屋常安)は、淀周辺の岡本荘の出身と說もあ
又この淀の地に家や田地も所有していたと記録に残っている
しかし淀屋は幕府を凌ぐほどの財産を有したが宝永二年 (1705年) 五月に闕所(けっしょ)となり、財産没収と所払いの処分となった
寶曆己卯仲春日は宝暦九年(1759年)のことで、この 四年後の宝暦十三年(一七六三)には、大坂の元の地(淀屋橋の南詰め一帯)に木綿問屋として「淀屋清兵衛」(後期淀屋) を公称して再興を果たした
淀屋ゆかりの者がこの高灯籠を寄進して再興を宣言したこ とを示したともいえる

平成23年(20111) 與杼神社 淀屋研究会


闕所?
闕所処分とは、江戸時代における財産刑の一つで、罪人の財産を没収する処分のことです。特に、死刑や追放刑などの重い刑罰に付加される刑罰として用いられました


境内社 日大臣社、長姫社、川上社、豊丸社

拝殿の右横の石垣をみると、刻印らしきものが見える(赤丸)

淀城址にこのような立派な神社があるのか、不思議でした
桂川河川敷の拡幅工事が実施されることになったので、明治35年6月21日、神社のすべてが現在の淀城址内に遷座されました
これで意味がわかりましたね

桂川・宇治川・木津川の三川が合流する水陸の要所であるこの淀の地は、もっと調べて探索してみたいと思わせますね












2025年7月18日

鳥羽伏見の戦いでは淀も主戦場となった、そして淀城、その淀城の藩主は稲葉家です

淀城の藩主は、稲葉家
鳥羽伏見の戦いでは淀も主戦場となり十六代正邦は老中として江戸で難局に対処する一方、家臣達は藩主不在のなか難しい選択を迫られ結果、旧幕府軍、新政府軍のいずれにも与しない中立の立場を貫いたと記述されています

その稲葉家、初代正成公が祀られている神社、稲葉神社です

社頭です

本殿

稲葉神社
御祭神は淀稲葉家の初代正成公をお祀りし 歴代藩主の遺徳を偲ぶため所縁の人達によって明治十七年(1884)に創建された。 正成公は元亀二年(1571)美濃国本巣郡 十七条の城主林家に生まれ、長して稲葉重通の女婿となる。その後、明智光秀の重臣斎藤利三の娘、福(のちの春日局)と再婚し、ともに淀稲葉家の礎を築いた。
五代正知が享保八年(1733)下総佐倉より淀へ転封となり、以後、十二代にわたり淀の地を治めた。慶応四年(1868)の鳥羽伏見の戦いでは淀も主戦場となり十六代正邦は老中として江戸で難局に対処する一方、家臣達は 藩主不在のなか難しい選択を迫られ結果 旧幕府軍、新政府軍のいずれにも与しない中立の立場を貫いた。ここに先人たちへの思いを込めてこの年を刻む
令和三年六月六日 稲葉家十九代 稲葉正輝


手前:稲葉神社 奥:與杼神社本殿


稲葉神社の祭神と淀藩について

祭神稲葉正成公は、淀藩稲葉家の祖である。
元亀二年(1571)に美濃国 (岐阜県) 本巣郡十七条の城主、林家に生まれ、長じて稲葉重通の女婿となり、 以後稲葉を称した。ところが、妻の死去により明智光秀の重臣斎藤利三の娘「福」を重通の養女として迎え再婚 したのが、有名な「春日局」である。
正成は豊臣秀吉に仕えその命により、小早川秀秋の家老となり五万石を領した。
秀吉の没後、慶長五年(1600)関ヶ原の合戦の功により徳川家康より感状を受け、のちに松平忠昌に仕えた。 その後、下野国 (栃木県) 真岡の城主となり、二万石を領したが寛永五年(1628) 江戸において没し、現龍院に葬られた。
稲葉家が淀藩主になったのは、初代正成より数えて、五代目の正知の時で享保八年(一七二三) 下総国(千葉県) 佐倉より十万二千石で入封した。
その後明治四年(1871) 十六代正邦の時に廃藩を迎えるまで、稲葉家が十二代百四十八年間にわたり淀藩主であった。



稲葉家は十九代まで続いておられるようで・・お殿様ですね

それにしても、ここで出てきたのが、明智光秀の重臣斎藤利三
その娘「福」を重通の養女として迎え再婚したのが、「春日局」

斎藤利三は明智光秀を山崎合戦では、最終的には見限って離反したとも云われているTV番組をみたのですが・・

それに「春日局」徳川家光の乳母ですね

春日の局が生まれたのが、丹波市 興禅寺 黒井城の下館跡
天正七年、明智光秀の重臣斉藤利三が城主となり、娘のお福(春日局:徳川家光の乳母)がここで生まれ3歳まで育ちました

と、いろいろ繋がっていて、知れば知るほど、楽しいね

いやいや、やはり大山崎、淀はすごいよ、すごいね!













2019年5月24日

青紅葉の京都、貴船神社・・・京都府京都市左京区鞍馬貴船町180

青紅葉の京都、貴船神社を訪ねます

貴船神社の付近は、「P」は、できないらしいので、公共交通を使うことが前提のようです
貴船口駅付近に「P」も薦めている先人もおられますが・・・

どうすれば、効率がよいか、考えました
貴船神社を参拝後は、鞍馬寺も参詣するので・・・
それなれば、鞍馬駅付近に「P」して、鞍馬駅から、貴船口駅まで、えいでんで・・
そのあとは、バスで、貴船神社へとなりました
えいでん、京都バスを使い、往復することにしました・・・

運良く、鞍馬駅の前の「P」へ停めることができました・・・一回 500円です


                    鞍馬駅、天狗・・この右隣に「α君」を停めています


備忘録始めて、二度目の電車、登場です

まるで、撮り鉄ファンのようです・・・一番前の席を確保・・おぉ!・・子供のようですね


貴船口駅です
・・・昨年の台風での被害、倒木です・・このような光景が沿線から数多く見えます
そうでしたね・・・台風21号の暴風で線路上への倒木が相次ぎ、一部区間で運転を休止していた叡山電鉄鞍馬線・・・53日ぶりに全線で復旧したのでした・・・


京都バス 33系統 貴船行きに乗車します 160円です

バス、満員・・・やはり、外国の観光客が多いですね


貴船神社、社頭です

水徳神高龗神を祀る旧官幣中社で、社名は古くは木船、貴布祢とも書かれたが、明治四年(1871)以降「貴船」と改められた
平安時代延喜の制には、名神大社という最も高い格式に列し、日照りや長雨が続いたとき、また国家有事の際には必ず勅使が差し向けられ、祈念がこめられた。
弘仁九年(818)以来の歴朝の奉弊、祈願ではもっぱら祈雨、止雨の神として崇められ、祈雨には黒馬、祈晴には白馬、又は赤馬が献ぜられるのが例であった。
平安時代末期には賀茂別雷神社(下賀茂神社)の摂社とされたが、明治以後独立した。
かつて社殿は貴船川に沿って上がった所にある現在の奥宮の地にあったが、天喜三年(1055)現在地に移転された。
本殿、拝殿、権殿等からなり、本殿は文久三年(1863)及び平成十七年(2005)に改修された。
また境内には祈雨の行事を行った雨乞いの滝、奥宮本殿の西には舟形石と呼ばれる船の形に積んだ石塁がある。
和泉式部がお詣りし、不和となっていた夫と願いがかなって復縁した話はよく知られている・・・京都市


    参道・・・青紅葉が折り重なって、実に美しい!
  ・・・外国の観光客のカップル、一応マスクを・・・ここは日本ですが似合いますね・・・


社殿

参拝します

社務所・・・お守りや、おみくじを求める方が多いです

手水舎・・・令和萬歳とあります

ご神木、「桂」

樹齢四百年、樹高30m、根元からいくつもの枝が天に向かって伸び、上の方で八方に広がる


この案内図の左上の「奥宮」へ、参りましょう

貴船神社 中宮 「結社」


奥宮へと歩きます・・・杉の巨木の並木道です
・・・木々の新緑がじつに美しい・・・パワーを頂いているようです!・・・




奥宮 社頭です

境内

奥宮

当地は、貴船神社が当初創建されたところで、祭神も本宮と同様、水や雨を司る神「高龗神」である。
本殿下には巨大な龍穴があり、文久年間(1861~1863)本殿修理の際、大工があやまってノミをこの中へ落としたところ一天にわかにかき曇り、突風が起こり、ノミを空中へ吹き上げたという


御船形石

  この石を積み囲んだ小石を持ち帰ると航海安全にご利益があるとされた


     戻ります・・・いい感じすね!
     



       相生の杉(ご神木)

        同じ根から生えた二本の杉、樹齢千年
        ・・・相生は「相老」に通じ、夫婦共に長生きの意味・・・

        写真・・・水平に撮影しています・・・杉が斜めなのです 


貴船川名物・・・川床です
・・・たくさんの方が昼食をいただいています・・しかし、その値段はショバ代ですね?
しかし、気温28度ですが、この時期の川床の食事は、寒そうですが? どうでしょうか!


元祖川床の宿 貴船ふじやさん


さぁ、鞍馬へもどります
・・・バス、臨時が運行されています・・・


貴船口駅


この車両「KIRARA」 


紅葉見物用ですね 窓に平行に座れるシートがありました

    鞍馬駅です・・・多いすね!


貴船神社・・・青紅葉の美しさ、この月、時期しか眺めることのできない緑、堪能いたしました
そして、電車、バスに乗ったのも何年ぶりのことでしょうか

さぁ、鞍馬寺、木の根を目指して、鞍馬山登山の修行が始まります
じつは、貴船には、鞍馬寺の「西の門」があります
山越えです・・・門の係員さんに尋ねました
・・・どうですか? 厳しいですか?
修行道ですから、厳しい山道、地道です・・表門から行かれたほうがいいでしょうと!

その言葉を信じて、鞍馬駅へ戻りました

・・・続きます

追記:久しぶりの長文になりました