休息ということで、はたまた、柏原町に立ち寄りました
いや~、好きですね、お気に入りの地です
県の天然記念物にも指定されています
史跡 太鼓やぐら
何度目かなぁ?
今回は、嫁が行っていないということで、ご案内しました
太鼓やぐら
今日拝見したら、入り口付近に貼られた案内文がありませんね
その内容は・・・
太鼓やぐらの右側の大歳神社
ここは、中井権次一統の彫刻です
史跡 太鼓やぐら
何度目かなぁ?
今回は、嫁が行っていないということで、ご案内しました
太鼓やぐら
江戸時代には、大手門に隣接して北向きに建てられていました
内部は三層となっており、最上部には「つつじ太鼓」とよばれる太鼓が吊されています
この太鼓の胴の内側には寛文八年(1668)に製作されその後皮を張り替えた時の銘が残っており、この太鼓が国替えになる前の大和松山藩の時から使用され、柏原移封の際に持ってきたことがわかります
この太鼓は、普段は時報として、また藩主が参勤交代で江戸から柏原に戻ってきた時や火事の際にもたたかれていました
太鼓やぐらはが現在地に移ったのは明治初期のことですが、江戸時代の柏原藩にまつわる建造物として当時の面影を伝えています
最上階には「つつじ太鼓」という大太鼓があり、時報や火事大水などの警報、登城の合図、藩主の登下城の合図として鳴らされたとあります
太鼓の胴はやぐら建築当時から使用されているもので、胴の内部には江戸時代中期以降の張替年代と修理者名が数度に渡り、墨書きされており、柏原藩主織田家の前任地である宇陀時代の墨書きもあるとのこと
今日拝見したら、入り口付近に貼られた案内文がありませんね
その内容は・・・
手書きで、「ご自由に見学下さい」
で、登櫓者にお願い・・
貴方の手の油を太鼓の皮にすりつけて下さい・・・乾き防止の為
その案内文もないので、今は入れないでしょうね
太鼓やぐらの右側の大歳神社
ここは、中井権次一統の彫刻です
中井権次一統作品集には、記載はありません
丹波新聞コラムにその詳細があります
なかなかの龍ですぞ!
今回は柏原八幡宮の「P」をお借りしました
その前にある西楽寺さん
楼門の木鼻見れば、阿吽の木鼻の配置じゃないですか
以前、柏原八幡宮の宮司さんに教えていただきました
通常?木鼻は阿なら阿、吽なら吽となっているらしい
「木鼻の獅子、漠は阿吽の組み合わせになっているのが中井の証拠」
で、調べてみました
と、いうことで休息のため、立ち寄った柏原町
残念ながら、観光案内所はお休みでした
さぁ、次なる桜の名所へ走ります
なかなかの龍ですぞ!
今回は柏原八幡宮の「P」をお借りしました
その前にある西楽寺さん
楼門の木鼻見れば、阿吽の木鼻の配置じゃないですか
以前、柏原八幡宮の宮司さんに教えていただきました
通常?木鼻は阿なら阿、吽なら吽となっているらしい
「木鼻の獅子、漠は阿吽の組み合わせになっているのが中井の証拠」
今回は、境内には入ってはいません
次回、参拝し拝見するつもりです
次回、参拝し拝見するつもりです
丹波市柏原 浄土宗天箇山 西楽寺
法道仙人開基
元々東奥にあり、兵火により八幡神社・神宮寺大安寺焼失
元和年間、貫誉上人が現在地にて再興
山門 築造不詳 彫師 柏原 西垣師(境内にある案内板より)
本堂 築造不詳 彫師 推定 中井一門4代・中井言次君音
境内 子安観音堂 築造 天明二年(1782)彫師 推定 中井一門五代・中井丈五郎正忠
この情報、記事は大変参考にさせていただいている方のブログからです
いままで、前を何度もα君で通っているのですが、歩いて拝見するのは初めてなんです
いままで、前を何度もα君で通っているのですが、歩いて拝見するのは初めてなんです
いやいや、是非境内を拝見いたしたいものです
新たなる目的ができました
新たなる目的ができました
と、いうことで休息のため、立ち寄った柏原町
残念ながら、観光案内所はお休みでした
さぁ、次なる桜の名所へ走ります
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