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2025年12月1日

秋の旅行 広島県 今宵の宿は広島市・夕食は広島焼き

広島に来たら、「広島焼き」ですよね

お好み焼き、大好きなおっちゃんですから、当然「広島焼き」です
さぁ、どの店がいいかなぁ?
宿泊するホテルにお好み焼きMAPがありました
しかし、なにを基準に選べばいいの?

ネットで調べて、上位に表示される店から、順に電話してみました
まず一軒目・今5時、開店がPM5:30ですが、90分待ちでえすと・・
えええぇ・・・!
二軒目 同じく開店PM5:30 三組お待ちですと!

凄いね!
で、数件電話して、結果、二軒目のお店に行ってみます


みつちゃん総本店じぞう通り店
待つことなく店舗に入り、着席できました

着席後 注文を聞きにきた店員さんに示された注文方式
・・これからご注文ください

わからんよ!

QRコードを読み込み、システムに入ります

      POS+なるものが動作しました



人数など入力していくとメニュが現れ、そこから食べる広島焼きを選択


ビール、コップなど数量を入れて注文

来ました、来ました・・「広島焼き」


感想:なにか、以前食べたものと雰囲気、味が違うなぁ?
10年ほど前に訪れた時、お好み焼き村というビルの一店で食べたことがあるのです
う~ん? 微妙やなぁ!

注文形式など、夜の世界?を知らないし、こういう注文方式は開店寿司では使ったことがあるのですが、ちと、戸惑いましたね

これが当たり前なのかもね

総合的に今回は失敗!
じつは、ここまでの道のりでトラブル発生したのです

続く!






2025年11月30日

秋の旅行 山口県、日本の歴史公園百選 吉香公園です

岩国城から下城する際、ロープウェイから見た「吉香公園」
紅葉の木々、お掘り、散策してみましょう



日本の歴史公園百選 吉香公園
江戸時代に岩国を治めた吉川家の居館や家臣の屋敷跡地に造られた大公園
日本の歴史公園100選に選ばれました



岩国市の登録有形文化財・・錦雲閣

お堀の水に臨んで矢倉のようなこの建物が錦雲閣である
吉香神社境内の南隅にあたり 旧藩時代には三階建の南矢倉のあ った所で、明治十八年(一八八五年)居館跡が公園になったとき、この絵馬堂が建造された。欄間の横に長い額は毛利元昭の直筆で、現在は 立図書館に所蔵されている

桁行六間梁行四間,身舎五間×三間の入母屋造、桟瓦葺、楼閣風建築で、階下は土間敷で,外周は入口を除き腰を板壁として内側に腰掛縁を設けています
階上は板敷で高欄付切目縁を廻してあります






冠木中央に吉川家家紋


吉香神社・・国重要文化財
残念ですが、今回はパスいたしました


景観重要建築物・名称 香川家長屋門
山口県指定文化財
建造物 香川家長屋門一棟
指定年月日 昭和四十一年六月十日 山口県有形文化財

香川家長屋門は岩国藩家老香川氏の表門で今から 二百七十年余前香川正恒が建造したもので建築面積 一二三、一四平方メートル江戸時代の武家門造の典型 として城下町岩国をしのぶ好個の資料であります。
香川家は初め芸州(広島県) 八木城主で吉川広家が 岩国に移封された当時客分から家老に取り立てられた 名門であり、かの歴史的に有名な陰徳大平記は正恒の 父正矩苦心の作で正恒の弟景継が大成したものであり ます。その他香川家からは為政者あるいは歌人の優れた 人物が輩出しています。この長屋門は昭和三十年一月二 十五日山口県指定文化財顕彰規定により指定されて いましたがその後昭和四十年山口県文化財保護条例が 制定され同四十一年六月十日山口県有形文化財の指 定を受けました。
なお、この建造物は当主香川晃氏から昭和三十年十月二十五日、岩国市に寄贈されております。・・岩国市教育委員会



公園中央の大噴水

中央の大噴水の放水時は、水が大きくアーチ状を連ねて虹をかけることも。
公園内は芝生や木陰、ベンチで休憩・昼食などくつろげ、市民の憩いの場となっています。
随所に作られた花壇で、四季折々の花が咲き乱れ、秋はイチョウの大木が黄金色に染まります。


十月桜

桜が咲いていましたね!
今日の天気もぽかぽか陽気でした!
よきところですね!



山口県指定史跡
岩国藩主 吉川家墓所

岩国藩主 吉川家墓所は、 岩国藩3万石(後に6万石)を領有した吉川家一族の墓所です
墓所内には、6代藩主経永を除く藩主の墓と妻子の墓や石灯籠・ 手水鉢があり大名の墓所を知る上での貴重な史跡として、 昭和63年(1988)3月29日に山口県の史跡に指 定されました。
吉川家は、元春が養子に入ってから、毛利家の親戚となり、 慶長5年(1600) の 「関ヶ原の戦」 以後、約270年にわたり、 岩国藩主を継承しました。 また、 その一方で岩国文化の発展にも力をそそぎ、 岩国の基礎を築き上げました。・・岩国市







二代・三代・九代藩主

初代・六代・十二代・十三代藩主

案内図


墓石はそれは見事なもので、今日までよく保全されたいたと感心するばかりです
墓石も撮影しましたが、掲載は遠慮しました

岩国城へお越しの際は、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか!




秋の旅行 山口県の岩国城、錦帯橋、吉香公園を巡ってきました
今回で二回目ですが、嫁が初めてだったので、ガイド役に徹しました
天気にも恵まれ、よき秋の旅行となりました

さぁ、今宵の宿、広島市へと移動いたします
続きます




そうそう 定番、マンホールですが、調べると、もっと素敵なデザインがあったようです













2025年11月29日

秋の旅行 山口県・錦帯橋です

岩国城へはロープウェーで、天守閣から雄大な景色をみて、そして、あの有名な錦帯橋
ついににやってきました
大人セット券購入で、三箇所を楽しみます



錦帯橋の関所?です
ここで、見た光景!
それは、アイスクリームを持って入ろうとしたご老人
係員さんから、「Stop」がかかりました

往復しますゆえ、対岸の関所で半券を渡します

良い光景です
鮎釣りですね!

人、いないでしょ?
じつは、現像ソフトで消しています
錦帯橋は国指定の名勝であり、日本を代表する木造橋です。
延宝元(1673)年、岩国3代藩主の吉川広嘉(きっかわひろよし)が木造橋を架けましたが、錦川の洪水によりすぐに流失しました。
しかし、改良を加えて翌延宝2(1674)年に再建された橋は、昭和25(1950)年9月の台風29号(キジア台風)による洪水で流失するまでの276年間威容を保ちました。
流失後、市民の強い要望により、昭和28(1953)年に再度、木の橋として再建されました。
平成14(2002)年からは、劣化した木造部分を架け替える「平成の架け替え事業」も行い、平成16(2004)年3月、さらに檜の装いを新たに完成しました。
木造部分の掛け替えは、旧錦帯橋でも江戸時代からほぼ橋大工の代替わりで行われていた定期的な伝統事業です。(※岩国藩は公的には、幕末まで藩として認められていなかったが、当初より行政・徴税・治安を独自に行っており、事実上の自治権を有していたことから、「岩国藩」として表記を統一した。)・・岩国観光協会さんより引用


橋桁の石の繋ぐ細工が見えます








橋の長さは、約193メートル(橋面に沿って約210メートル)、幅は約5メートル。
巻きガネとカスガイを使った「木組みの技法」で造られています。
反り橋の構造は精巧かつ独創的で、現代の橋梁工学からみても非の打ちどころがないと言われています。


岩国城と錦帯橋
絶対構図?ですね

    いやいや、お見事!

あちらこちらにありますね・・甌穴

ちと、横から

やや夕暮れ近く、影が横に延びています

で、ある御仁が・・
・鮎の大群ですねと
・・おおぉ、そのようですね
・こんな光景見たことがない

橋桁の下を黒い群れがうごめく様は、まるで巨大魚!
鮎! 何匹いるのかなぁ?

そこへ、友釣りで・・
みごと、釣れましたね
よき光景をみることができました


岩国城も見納めですね

NHKかなぁ? 番組で、この橋のメンテナンスをされている大工さんが紹介されていました
なかなか大変な作業のようで、その方のお陰で我々はなんの躊躇もなく楽しむことができるのです

岩国城と錦帯橋の定番の絶対構図写真が撮れたこと、よかったです

さぁ、吉香公園をうろうろして、秋の景色をたのしみましょう