中井権次一統の足跡を巡ってきて、その足跡を備忘録として掲載してきました
そして、代々の権次別の彫刻の部位毎にまとめ、眺めてみたくなりました
そんな想いで作成いたします
今回は、君音の子、五代目中井丈五郎正忠、そして、中井家の過去帳に載っている久須善兵衛政精との協業の彫刻です
まずは、「龍」です
中井権次一統の足跡から、五代目中井丈五郎正忠、久須善兵衛政精の連名の刻銘が確認できたものと、資料から判明したものを備忘録から抜き出した一覧表とその写真です
(左端の数字は、作品集の番号です)
2015年からですので、カメラ、現像方式の違いなどで、画質は異なります
五代目中井丈五郎正忠、久須善兵衛政精の協業で携わったであろう社寺一覧です
各社寺名にリンク貼ってあります
No.9 笠形神社本宮 兵庫県神埼郡市川町上牛尾2038
No.12 愛宕神社 兵庫県丹波市市島上垣288-1
No.6 木梨神社 兵庫県加東市藤田229
No.8 岩戸神社 兵庫県神崎郡市川町上牛尾474
No.55 草部八幡宮 兵庫県丹波市山南町草部14-1
No.91 稲粒神社 京都府福知山市川北1801
No.6 岩戸寺 兵庫県丹波市市島岩戸525
笠形神社、本宮
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稲粒神社
愛宕神社
岩戸神社
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草部八幡神社
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刻銘をみると、久須善兵衛政精が五代目中井丈五郎正忠の右側にあります
このことから久須善兵衛政精は、四代目君音と同じ世代と考察されております
久須善兵衛政清が歳上、所謂、年功序列であるということですね
刻銘は、木梨神社の脇障子背面です
木梨神社は、完全ガードのため、向拝の龍はみることはできないのです
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不思議発見です
木梨神社の脇障子の背面の刻銘は・・・
久須善兵衛政精ではなく、久須善兵衛政清 精と清
なぜ、違うのか?
果たして、本当に協業なのか?
正忠が、尊敬の念をいだいて、銘をいれたのか?
それともこの場にいた者が間違えていれたか?
なぜ、銘の書体が笠形神社と異なるとか・・・
なんて、想像するのも、これ楽しいですね
しかし、ふたりして、あまたの名作を生み出したと、いわれているのも事実・・・
久須善兵衛政精没後は、五代目中井丈五郎正忠、単独となり活躍します
五代目中井丈五郎正忠の世界は別途作成する予定です
良いですね!私の好きな時代の彫刻師群ですね!
返信削除稲粒神社は、中井丈五郎正忠が先で久須善兵衛政精が後に
刻銘されておりますね!
コメント、ありがとうございます。稲粒神社、刻銘は確認できておりません。再訪して確認します。
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