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2015年11月25日

熊野本宮大社の旧社地・・大斎原へ・・紀伊半島、縦断のひとり旅!

大斎原・・・
熊野本宮大社の地は山の上にありますが、明治22年夏(1889年)熊野川未曾有の大洪水で流されるまで社地は熊野川の中州にあった・・
現在、旧社地の中州は「大斎原」と呼ばれ、日本一高い大鳥居が建っている・・・

では、参りましょう・・・・


         この石碑のある民家の間の道を進みます・・・
         
おおおぉ・・・畑の中にそびえる、鳥居が見えました・・・ここから見ても、でかいすね!
カメラに入るギリギリのとこから・・・みます・・(*^_^*)
・・・大鳥居・・・幅:約42m 高さ:約34m、鉄筋コンクリート造・・・
八咫烏が輝いていますね!・・拡大してみました・・

日本第一大鳥居建立の意義・・・
幅:約42m 高さ:約34m

皇紀二六六一年、熊野の大神の御神徳が発揚かつ千木高く厳然として鎮まりますよう熊野本宮大社・熊野信仰の原点となる大斎原に日本第一大鳥居建立する運びとなった次第です
八咫烏を掲げた天下一大鳥居です
竣工は平成十二年五月十一日です

日本には天照大神を祀る神宮(伊勢)や、素戔嗚尊を祭るここ本宮(熊野)大国主尊を祭る大社(出雲)を始めたくさんの神社がありますが、神社で最初に目に付く物といえば鳥居です
鳥居は神社が神聖で清らかな場所であること、つまり神様のおあしますことを示す一種の門です


左下:国の指定移籍・・・名称、大斎原  右下:世界遺産、石碑

参道を歩いていくと杉の枝を落としていました・・・
    ・・・登っている職人さん・・長い棒の工具を延ばしていますね・・難しいそう・・(*^_^*)
            
熊野坐神社 旧社(大斎原)水害前の絵図・・
熊野坐神社(現、熊野本宮大社)は、熊野川、岩田川、音無川、三の川が合流するここ大斎原に鎮座していました
熊野神々は、中州のイチイの巨木の梢に三体の月の姿で降臨したともつたえられています
・・・中略・・・絵図には下流の三川合流地点には船着き場が見えますが、ここが新宮へ向かう「川の参詣道」の出発地点でした・・・説明板より引用
説明板より引した旧社鳥瞰絵図
説明板より引用・・熊野坐神社水害前の写真
旧社地・・「大斎原」
中四社・・
・・・ 第五殿  忍穂耳命
・・・第六殿   瓊々杵尊
・・・第七殿  彦火火出見尊
・・・第八殿  鵜葺草葺不合命

下四社・・・
・・・第九殿   軻遇突智命
・・・第十殿   埴山姫命
・・・第十一殿  弥都波能売命
・・・第十二殿  稚産霊命

注意:みだりに各所を撮影したり他に利用しないこと・・
・・・と、あります!・・・m(_ _)m・・・
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。 江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。 音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。  かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています・・・熊野観光より引用

熊野川の川原へおりてみました・・・古来、川の熊野参詣道だったのですね・・・
・・・川の流れ、様子も変わったようです・・
GoogleMapでは、この川の名は新宮川・・・その他多くの資料は熊野川・・・ふ~ん?


突然、車三台が、手水舎で清め・・・猛然と参道を走っていきました・・・なんじゃ、何者や?
しかし、車、人と比べて・・・鳥居の柱の太いこと・・・(*^_^*)
鳥居前から、・・・この地より西方七百米の高台の本宮大社も眺める・・・
順路違いますが・・末社・・産田社・・・
御祭神:伊邪那美命(荒御魂)がお祀りされています・・・女性の守り神とあります!

さぁ、もう一度、振り返って・・・・

ここへ来る途中に、「世界遺産熊野本宮館」があります・・・
ちょっと、立ち寄ってみましょう・・・・

続きます・・・



参拝日:11月7日







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