新宮城跡が、左手に見えます・・・これから、国道168号線熊野川沿いを、熊野本宮大社へ向かいます
本宮・・・11kmとあります・・
現在時刻、10時24分 到着予定10時31分・・外気温18度・・あと、熊野本宮大社まで3.8km、7分で到着です
「奉納 熊野大権現」の白い旗が両脇にずらりと並ぶ参道をすすみます・・・
本殿と続く、この石段・・・158段です!
祓戸大神・・ここで身を清めて本殿へ向かうのです
全国の「熊野神社」の総本宮にあたる熊野三山
三山の中でもとりわけ古式ゆかしい雰囲気を漂わせるのが、ここ、聖地熊野本宮大社です・・ 熊野参詣道のなかでも、多くの人々がたどった「中辺路」を歩くと、難行苦行の道のりを終え最初にたどり着くのが熊野本宮大社です・・ 最初に熊野本宮大社を望む「伏拝王子」の名は、やっとたどり着いた熊野大社を伏し拝んだ、との由来からと伝えられています・・・ ・・・観光案内から引用 |
残念ながら、左手に境内は撮影禁止の表記・・・残念です・・・(^^;)
左の垂れ幕に・・・神を父に、仏を母にいただきて、熊野より興さむ出発の時・・・神仏融合ですね!
現、当社の社号は「熊野本宮大社」であるが、平安時代初期に編纂された延喜式神明帳には「熊野坐神社」と記されている その後、熊野本宮が定着したが・・・ 明治四年、正式社号として「熊野坐神社」として登録、公表したとある・・・ ・・・境内案内板より引用 |
総門より、ちょろっと、撮影させていただきました・・・(*^_^*)・・・境内ではありません!
正面にあるのは、本宮、第三殿、證証殿・・主祭神:家都美御子大神
左は、結宮・・第一殿、西御前、ご祭神:熊野牟須美大神・事解之男神) 第二殿、中御前、ご祭神:速玉之男神
右は、若宮、第四殿、東御前、ご祭神:天照大神・・・
・・・この建造物は、全て、国の重要文化財です・・・
撮影禁止どころか、写真写り放題状態・・・皆、バンバン、写しています・・・罰あたりめ!
総門を出て、左にあるのが、拝殿、黎明殿・・・
熊野速玉大社では、結婚式に遭遇して、今度は七五三・・・大きく元気よく育つことを・・願います
今日はなんと良き日なことか・・・・(*^_^*)
八咫烏・・・熊野では八咫烏を神の使者と言われています・・
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を大和の橿原まで案内したとされており、導きの神として信仰されている また、太陽の化身ともされる 熊野三山においてカラスはミサキ神とされており、八咫烏は熊野大神(素盞鳴尊)に仕える存在として信仰されており、熊野のシンボルともされる 近世以前によく起請文として使われていた熊野の牛玉宝印にはカラスが描かれている |
あちらこちらに、八咫烏がいてはります・・・
・・・記念の八咫スタンプ押しますよ・・と!・・・・
さぁ、付近散策して、戻りましょう・・・・
境内外より、結宮が見えます・・・外削ぎ、男千木ですね!
少しでも古道を歩いて足裏に何かを感じてみたいのです・・・やった~!!
熊野古道とは、全国各地から「熊野三山」へと向かう参詣道の総称です。
ここで、熊野詣について、ググッててみました
平安時代、「神仏習合」と「浄土信仰」の浸透により、熊野地方は朝廷や公家の信仰を集めるようになりました。これが"熊野詣"の興りです。
熊野本宮大社の「家津御子大神」は来世を救済する阿弥陀如来・・・
熊野速玉大社の「熊野速玉大神」は過去世を救済する薬師如来・・・
熊野那智大社の「熊野夫須美大神」は現世を救済し利益を司る「千手観音」の権現とされ・・・
那智山青岸渡寺は西国三十三ヵ所巡りの第一番札所として・・・
・・・熊野信仰は全国に広がりました・・・・和歌山観光情報から引用
・・・熊野古道、祈りの道です・・・足裏に歴史を感じたいと思いながら降りていきますね!・・・
下から、パチリです・・・
・・・整備されているわけがない、昔のまま?の、ガタガタの石段・・・
、一歩一歩、確実に降りなければなりません・・
いや・・! よかったです・・祈りの道・・・
さぁ、鳥居に戻ってきました・・・
明治以後、山林の伐採が急激に行われたことにより山林の保水力が失われ、大規模な洪水が引き起こされ、旧社地の社殿は破損した・・・
現在、旧社地の中州は「大斎原」と呼ばれ、日本一高い大鳥居が建っている・・・Wikipediaより引用
・・・その鳥居が、そう、国道から見えます・・・
では、大斎原へ参りましょう・・・・
続きます・・・
参拝日:11月7日
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