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2024年6月11日

京都府綾部市 重要文化財、石田神社・境内社恵比須神社本殿です

二度目の参拝です
2017年11月17日
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2017/11/blog-post_10.html

もう、約4年前になるのですね
なぜ、再訪か?
実は、帰路、舞鶴若狭道に入る途中で、思い出したので、立ち寄ってみたのです


鳥居・扁額


手水舎

  

参拝いたしましょうか!
この鳥居は二の鳥居か? 奥に鳥居が見える

石田神社 由来
当社は清和天皇、六孫王経基、多田満仲を祭神としている。
 石田神社本殿は三間社流造正面に軒唐破風千鳥破風をつける柿葺の建物である。
身舎の組物は非常に立体的で、中備、手挾 正面の扉などの装飾にも手がこんでいる。
建立は正徳三年(一七一三年)で、大工は 梅迫村四方好兵衛政重、小兵衛、源兵衛父子 で、十八世紀前半の神社建築の中では特に保 存がよい。
境内社恵比須神社は西宮大神宮とも称し、桁行三間、梁行二間切妻造の建物である。 建物の由緒は詳ではないが、木割が太く、蟇股の形状などからみて、当社の棟札にある 延慶四年(一三一一年)造立の建物、即ち鎌 倉時代に建立された旧本殿であろうと考えられている。 後世において改造されてはいるが、京都府 北部に残る最古の神社遺構であり、妻飾の虹梁大瓶束に禅宗様をとり入れており、全国的にみても、こうした様式が神社建築に取り入 れられた早い例で、建築史上の価値は非常に高い。

・指定文化財
重要文化財 石田神社境内社恵比須神社本殿
府指定文化財 石田神社本殿
昭和六十三年十二月 綾部の文化財を守る会


重要文化財 石田神社境内社恵比須神社本殿

構造形式は、「三間社流造」で正面に軒唐破風がある。使用されている柱はケヤキで、見えやすい所は丸柱とし、身舎裏側二本は角柱としている。身舎外周は横板張りで、軒は二軒繁垂木である。縁は以前には三面あったと思われるが、今は正面のみとなっている。妻飾は古い形式の豕叉首となっている。墓股や欄間の彫物などの手法や、内陣内法貫の「文亀年(一五〇二)」銘の墨書、御神体が鎮座する宮殿背板の「永正三年(一五〇六)」銘の墨書から、一六世紀初頭の建立であることは明瞭であり、京都府北部では数少ない室町時代の建造物である・・・福知山・綾部の歴史より一部引用

綾部市資料館の詳細な資料によると・・・
重要文化財・恵比須神社、西宮大明神とも呼ばれる。
もとは三間社流造で、その身舎の部分が保存されているものである。
建物は、太い木割り・蟇股の形状などから、室町時代前期には遡ると考えられる。
石田神社本殿小屋根裏に残る鎌倉時代末期・延慶4年(1311)造立と棟札にある建物とみられる。正徳期建立の現石田神社本殿の前身建物(旧本殿)にあたる建物であろう。
組物は三斗組で、両端では頭貫を肘木様にのばして連三斗を受けている。中備として正面各間に透彫りの蟇股をおいている。正面に格子戸を両開きに建て、内部は内陣外陣に区画し、境に丸柱を建てて三間に割り、弊軸※(ヘイジク)板戸構えにする。妻飾は虹梁、大瓶束で禅宗様である。
屋根の桁から上の材は近世のものである。

この本殿は庇部分を欠き、屋根の改造、縁の撤去、身舎柱の切縮め等、後世に改造されているものの、身舎部分の材はよく残り、また野棟木も遺存することから、ある程度の復原も可能になる。京都府北部に残る神社遺構としては最古のものである。
全国的にみても禅宗様式が神社建築に取り入れられた早い例で、建築史上の価値は非常に高い



京都府指定文化財
石田神社本殿(江戸時代)

拝殿

覆屋内本殿
江戸時代、正徳三年(1713) 三間社流造、正面軒唐破風・千鳥破風付、杮葺

大工は 梅迫村四方好兵衛政重、小兵衛、源兵衛父子

手挟み

銘はない

木鼻

本殿、背面

蟇股



右脇障子

左脇障子

覆屋右側面


拝殿前・三の鳥居と狛犬

左の坂道を下ると、田園風景が・・・田植えも終わっていますね

2017年11月の記事を読み返しても、写真撮影の構図はほぼ変わりません
これは、私の怠慢なのか、下手なのか、いや、現場で当時の記事が思い出せなかったのです

いやいや、記憶が・・・
困ったもんです








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