ページ

ページ

2024年6月12日

京都府綾部市安国寺町宮ノ腰・・・景徳山 安国寺です

前回の石田神社を参拝すれば、ほんの数分の位置にある、景徳山 安国寺を訪ねないわけにはいきませんね
今は、青もみじがさぞかし美しいことでしょう


      この参道を上ります

初夏に魅せる、青もみじ・・・じつに美しい!
紅葉も見事と思いますが、青もみじも、またいいもんです

景徳山 安国寺 臨済宗東福寺派
景徳山安国寺 臨済宗東福寺派
安国寺は、正暦四年(九九三)ごろ地蔵菩薩を本尊として開創されたと伝えられ、もとは光福寺と称した。
建長四年(一二五二)勧修寺重房が上杉荘を賜り、これより「上杉」を姓とするようになった。その後、光福寺は上杉氏の菩提寺となり、釈迦三尊を合わせ祀った。
嘉元三年(一三〇五)足利尊氏の誕生によって当寺は上杉氏・足利氏の尊崇を受けるようになった。
暦応元年(一三三八)足利尊氏は、夢窓疎石の勧めによって、元弘の戦乱以降に亡くなっだ多くの戦没者の霊を慰めるため、国ごとに安国寺・利生塔を建立するにあたり、光福寺を丹波の安国寺とし、諸国安国寺の筆頭においた。
康永元年(一三四二)尊氏は、南禅寺に住した天庵妙受禅師を招請して安国寺の始祖とし、多くの寺領を寄進した。それ以降、塔頭十六、支院二十八を有する大寺院であったが、江戸中期に至るまでの間に、大半の寺領は押領されて塔頭・支院は減少したが、今なお多くの重要文化財、府・市指定文化財、重宝等を蔵する名刹である。

指定文化財
書事文化財  木造地蔵菩薩半迦像     一躯
       木造釈迦三尊座像      三躯
       絹本墨書天庵和尚入寺山門疎 一巻
       安国寺文書       五巻三幅
府指定文化財 絹本着色天庵妙受像     三幅
       仏殿・方丈・庫裏      各一棟
府登録丈化財 山門・鐘楼          各一棟
市指定文化財 宝篋印塔          三基
  
綾部の文化財を守る会・安国寺


境内・・・右・仏殿 左・庫裡

仏殿
安国寺の伽藍は、享保二十年(一七三五) 六月の山津波で裏山が崩れ、仏殿のほか諸堂を倒壊し埋没したあと整地したのが現在の寺地です。
仏殿は、寛保三年(一七四三)に再建されたものです。
桁行五間、梁行五間、単層で屋根は入母屋造、茅葺です。
内部は、禅宗仏殿の基本的構成要素を巧みに残しなが ら、全体としては近世風の仏堂に仕立
てています。
床は四半敷にし、中央の天井は鏡天井を避けて格天井とし、正面両脇は花頭窓を配しています。
堂内には国指定文化財の木造釈迦如来及び両脇侍坐像を本尊とし、右側には国指定の木造地蔵菩薩半跏像も安置しています。

昭和六十三年四月十五日、京都府指定文化財に指定されました。
綾部市教育委員会

仏堂
・左手前は「シダレサクラ」


仏殿内は撮影いたしません

蟇股





庫裡

庫裡 扁額


府登録丈化財 山門



この山門は、天保九年に住寺の大柱妙甫が山門再興を志して国中を勧化し、天保十四年(1843)に再建されたものです
桁行3.94m・梁行3.64mの規模で、本柱・控柱ともに丸柱で、上は波紋彫刻付の欄間、また控柱を結ぶ長押と腰貫間は透し彫物の欄間がみられます
屋根は本瓦葺です
再建の大工は棟札によって天田郡観音寺の大槻由平時秀と亀岡の田中仙助忠茂であったことが知られます
昭和63年4月15日、京都府登録文化財として登録されました

足利家の家紋・ 「「足利二つ引き」


長押と腰貫間は透し彫物の欄間

府登録文化財 鐘楼 
山門の右手にある四脚鐘楼形式の建物である。
出三斗の肘木上端を笹繰状に繰り取ったり、妻側に中備として鶴の彫刻を嵌めたり、化粧棟を受ける大瓶束両脇に唐草状の笈形を飾ったり、懸魚の鰭や桁隠しを波状の彫刻とするなど、大工の独創性が充分発揮されている。
大工は白道路村の四方儀平正規である。・・・綾部市資料館から引用


慶安五(1652)と、判読できるが・・・

青もみじ・・・初夏ならではの美しさ

開山堂山道門・・・山家城主谷家の門を移築

開山堂・・・寛政六年(1794)再建

宝篋印塔  三基
この宝篋印塔は南北朝時代のもので、墓碑として建てられた供養の塔であります。向かって左が尊氏の母清子、中央が足利尊氏、右が尊氏の妻登子の墓と伝えられています。母清子は康永元年(一三四二)十二月二十三日永眠していますが享年は不明です。尊氏は、延文三年(一三五八)四月三十日に五十四歳で、妻の登子は貞治四年(一三六五)五日四日に六十歳で没しています。
安国寺文書によると、尊氏と登子の遺骨はそれぞれ没後二か用後に二代将軍義詮によって安国寺に奉納されたことが記されています。
文書には、遺骨の一分を「先年帰依の由緒について当寺に奉納せしむる所也」 「往年の由緒につき当寺へ奉納の所也」といずれも光福寺(安国寺)長老に宛てており、足利氏と安国寺のつながりの深さを示しています。
 昭和四十五年三月二十日、綾部市指定文化財に指定されました。
  綾部市教育委員会



左・上杉清子(尊氏生母) 中・足利尊氏 右・赤橋登子(尊氏の妻)
総高は、158.6cm 174.5cm 153.3cm

足利尊氏公産湯之井

産湯の井戸
この地域はもと上杉荘とよばれ建長四年(一二五二)から上杉氏の所領となり、荘内に居館を構えていました。
上杉頼重の娘清子は足利貞氏に嫁ぎ、出産のため故郷の丹波に帰り安国寺の門前の別邸に住んで、当寺の地蔵菩薩に安産を祈願し、嘉元三年(一三〇五)に尊氏を生んだと伝えています。この井戸は、その産湯として使用されたという言い伝えが残っています。
この別邸は、のちに安国寺へ寄進され常光寺という門外塔頭となっていましたが、大正初年廃寺となり現在は地元の公会堂になっています。
  綾部市教育委員会



定番・・・綾部市 汚水、マンホール
市の木「松」と市の花「梅」のデザインに「AYABE CITY」「おすい」の文字入り親子マンホール










0 件のコメント:

コメントを投稿