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2017年5月27日

錦帯橋・・・山口県岩国市!

山口県岩国市・・・錦帯橋・・説明も要らぬほど、有名な、錦帯橋・・・

岩国城へのロープウェイから見た、錦川に架かる、錦帯橋・・・

錦帯橋の概要 ・・・特異な姿の五連の反り橋

日本三名橋のひとつ「錦帯橋」  は日本を代表する木造橋です
他に例を見ない特異な姿の五連の反り橋が特徴で、1922年 (大正11年) には国の名勝に指定されています
橋の長さは、橋面にそって210m、直線で193.3m。また幅5m、橋台の高さ6.64mです。

・・・錦帯橋の歴史 ・・・276年の間、流失することのなかった橋

1600年 (慶長五年) に岩国の地に移封された岩国藩の初代藩主・吉川広家は1608年 (慶長13年) には蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に岩国城を築城しました。その麓に居館や上級武士の屋敷を配置、中下級武士の屋敷や町屋は錦川対岸の錦見(にしみ・現在の岩国市岩国1、2丁目あたり)に置き、岩国城下町を形成しました。横山と錦見は川幅約200mの錦川に隔てられており、藩政に橋は必須でした。
第三代藩主・吉川広嘉は、暴れ川である錦川に流れない橋を架けることを決意します
広嘉は家臣の児玉九郎右衛門に架橋を命じ、1673年 (延宝元年) 10月、岩国藩の悲願であった錦帯橋が完成しました。翌年洪水により一部が流失しましたが、その年のうちに、敷石を強化し再建されました。
以来276年の間、老朽による補修や架け替えは何度も行われたものの、流失することはありませんでした。また、架け替えられていく中で改良が重ねられていきました

下から見上げて、構造を確認?


現在に至るには・・・

1950年(昭和25年)9月14日、キジア台風により第四橋の橋脚から崩壊し、錦帯橋はほぼ完全に流失してしまう
276年間流されなかった錦帯橋が流失した原因としては、それまでの戦時体制下で橋の補修がおろそかになっていたことや、前年に米軍が岩国基地滑走路を拡張した際に錦帯橋付近から大量のバラス(砂利)を採取したことで河床の落差が急に大きくなっていたことなどが指摘されてもいる。
翌1951年から復旧工事が始まり、1953年(昭和28年)に再建が完了。

2001年(平成13年)より2004年(平成16年)に26億円をかけて、約50年ぶりに橋体部分の架け替え工事が行われた。工事は各年の晩秋から早春の、錦川の水量が減る時期に施工された。

2005年(平成17年)9月6日から翌7日にかけて九州北部・山陰沖を通過した台風14号により、第一橋の橋脚2基が流失した・・・復旧工事が行われ今に至る・・・



橋元にある、桜の標準木・・・

戻る際、おおぉ、ロープウェイの交差に遭遇・・・


説明分は、観光案内、Wikipediaを引用いたしました・・・

橋を通過するには、300円が必要です
河原にも、「P」があります・・・今回は、ロープウェイの「P」を利用して歩いて行きました


反り橋・・当時の大工さんの技術って、凄いですよね・・・さすが、錦帯橋、見応えのある、橋で、やっと念願が叶いました・・・(*^_^*)







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