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2017年5月27日

岩国城・・・山口県岩国市横山!!


岩国城は、山口県岩国市横山に存在した日本の城です・・・
麓から、見上げた、岩国城の姿です・・・左手は山上までのロープウェイです

ロープウェイで山上へ・・・
・・・往復切符だけと、岩国城入館料+錦帯橋通行料金がセットになっているようですが・・・
知らなかったので、往復切符だけ、買ってしまいました・・・(^^;)

右の「P」は満車・・臨時「P」がありました・・・無料です!「P」
おおぉ・・・絶景ですなぁ! 錦帯橋と河原「P」が見えます・・・結構な台数ですね!!

眼下の吉香公園は、1885年(明治18年)居館「御土居」跡・・・後ほど歩きます!!

岩国城へは2ルートがあります・・・
・・・写真下は、緩やかな、道・・・混雑しています・・・う~ん?
別のルートを歩きます・・・誰もいません・・おおぉ、石垣ですね!!
門が現れました・・
岩国城趾・・天守閣です

・・・「岩国城」  は1608年 (慶長十三年) に初代岩国藩主の吉川広家が、蛇行した錦川に囲まれた天然の要害の地である横山の山頂に築城しました
しかし幕府の一国一城令により、築城より僅か7年後の1615年 (元和元年) には取り壊しとなり、政務は山麓の居館 (現在の吉香神社付近) で行われました

現在の天守は1962年 (昭和37年) に外観復元されたもので、四重六階の桃山風南蛮造です
南蛮造(唐造)とは最上階をその下階より大きく造り、その間の屋根を省略した様式です
復元の際、錦帯橋からよく見えるよう、旧本丸の約50m南側に位置を変えています
・・・観光案内より引用

見晴台より、の眺望です・・・
いや! 素晴らしい、そして、なんと、清々しいことでしょうか!!
錦帯橋です
北側から見た、天守閣・・

岩国城跡天守台・・・

岩国城跡旧天守台について

岩国城は、江戸時代に珍しく、山上に築かれた近世城郭である
この城郭は毛利氏の一族、吉川広家が慶長八年(1603)に着工、同十三年に完成したが、元和元年(1615)一国一城令により破却された
城郭の中心となる天守台は古式穴太積みと呼ばれる石積みを基本としながらも、戦国時代に、地方独自の石積み技術が加わった形でつくられた構造物である
天守台の石垣は大きめの石と、すき間に詰めた小さめの石からなり、隅部の角石には算木積みの技法が見られる
その隅部には反りはなく、ほぼ直線上の稜線にしあげられており、見かけの美しさよりも構造力学上の安全性に重点を置いた造りになっている
これにより戦国武将吉川氏の石垣の力強さを垣間見ることができる・・・案内板より引用

一国一城令による取り壊し後、幕府より石垣も破却するよう命じられ、天守台も破壊されました。しかし下部約1/4が地中に埋まって残っており、1995年 (平成7年) に古式穴太積) 石垣が発掘復元されました。また北ノ丸の石垣や空堀などの遺構が現存しています



ロープウェイの入り口付近からの眺望と、パノラマ写真地図・・・


1608年 (慶長十三年) に、横山の山頂に築城されましたが、幕府の一国一城令により、築城より僅か7年後の1615年 (元和元年) には取り壊しとなった城・・・

麓には、「御土居」が築かれた・・・廃城後は天守は破却されて土居が陣屋として存続した
城下と城を隔てる錦川には錦帯橋が架けられ、城下町はこの錦帯橋の道筋を基準に整然と整備された。

現在、御土居跡は、1885年(明治18年)居館「土居」跡が吉香公園として整備されたと・・・
・・・観光案内より引用

さぁ、下山して、吉香公園、錦帯橋を歩きましょう・・・(*^_^*)

それにしても、岩国城からの眺望は見事でした・・・









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