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2021年11月30日

富氣神社です・・兵庫県丹波市氷上町稲継3

兵庫県丹波市氷上町稲継3、富氣神社を訪ねます

富氣神社・・・初めてです
楽しみです

参道

二ノ鳥居

沿革
主祭神     食保神 
配祀神     大物主神 

沿革
室町前期、應永三十三年(1426) 普華大明神として建立
神昌寺社僧あり
寛永五年(1628)、再建
享保二年(1717)、再度社殿造営
天保六年(1835)、改修
明治元年(1868)富氣神社と号す


社殿

拝殿

兎の毛通し

向拝・・・ 
唐獅子に牡丹 その上には、猫
・・・どこかで見たかなぁ?~
背面にまわってみました
・・・唐獅子の背面に刻銘がありました


但馬城嵜郡佐津村 浦上住人
九代工胤 
高橋重左衛門橘正胤
二十九才歳作

なんじゃ? 九代工胤とは?  正胤?
中井権次一統では、八代目が中井権次橘正胤

この件、調べたが、皆無!
ただ、お一人のブログを発見・・・
その方は、正胤の弟子と・・・記述されていますが?



木鼻


持送り

木鼻

持送り

手挟み

手挟み



本殿です

向拝の龍は、撮影角度が難しく、これが精一杯でした

海老虹梁 手挟み

木鼻



手挟み

       左脇障子

        右脇障子

左側面

右側面

観音堂

刻銘:但馬城嵜郡佐津村 浦上住人
九代正胤
高橋重左衛門橘正胤
二十九才歳作

正胤の弟子とも記述されている方がおられます

ご存じの方はご教授いただければ、ありがたいです

中井権次一統の雰囲気は感じられるのだが・・・?
さて・・・・
調べる術がありません


追記:12月1日
ご指摘いただきました
高橋重左衛門橘正胤は、八代目中井権次橘正胤の弟子と思われると・・・
そして、当富氣神社の拝殿と、本殿の彫刻師は異なるとも・・・


2016年6月に、丹波市春日町朝日、天満宮を訪ねました
この記事に、高橋重左衛門橘正胤は、八代目中井権次橘正胤の関係を記しておりました
https://a-shi-a-to.blogspot.com/2016/06/blog-post_26.html

本殿彫刻、八代目中井権次橘正胤 拝殿彫刻、高橋重左衛門橘正胤(拝殿は未確認)










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