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2020年6月23日

闘龍灘 兵庫県加東市滝野町上滝野

兵庫県加東市滝野町上滝野、闘龍灘です
県道349号線、加古川を渡るとき、左手に見えますね「闘龍灘」
・・・(写真、右から左へ走っています)

「闘龍灘」観光地、奇岩?は、知ってはいますが、ほんの近くまで何度も来ていたのですが、立ち寄ることもせず!
今回、眼下に見えれば、よし、立ち寄りましょう

GoogleMap写真より引用


上写真、赤丸が、闘龍灘第一駐車場です
もちろん?無料ですし、トイレもあります


徒歩、僅かで、「闘龍すくえあ」に、到着です

早速、川、のぞき込めば・・・
おお! 甌穴がたくさんみえます・・・
遙か昔からみれば、水位が下がったということですかね?

川沿いに進むと、橋があり、渡れそうです

途中、手すりに腕固定して、シャッタースピード1/3で、撮影です
そうなんです・・・水の流れをね、なんとかうまく撮れました

清流加古川の川底いっぱいに奇岩・怪岩が起伏し、落水の豪快なリズムと四季折々の水模様に魅了されます

明治6年に、当時としてはまだ珍しかったダイナマイトによる岩盤の切削が行われ、船の通る水路が作られたとあります
おそらく、下写真がそれかと思います



加東遺産 闘龍灘と鮎漁

龍の躍動に似たことで名が付いた飛び鮎の名所としても有名です
毎年5月1日には日本一早く鮎漁が解禁されます


定番、マンフォール

橋にやってきました
橋の欄干にも、鮎のモニュメントがありますね

全体を・・・
見事な水路ですね・・・しかし、ダイナマイトで水路を作るとはね

阿江与助銅像

「阿江与助」は加古川舟運の祖と呼ばれる人物です。
加東郡河高村に生まれ、後に上滝野村の阿江家を継ぎ、文禄三年(一五九四年)には滝野川(滝野以南の加古川)を慶長九年(一六〇四年)からは上流の田高川(滝野以北の加古川)の開削を成功させました。
また、この功で滝野船座の座元に任じられ、加古川舟運を支配しました。
加古川舟運の開発は二期に分かれます。
第一期は、地頭生駒玄蕃が貢米を輸送するにあたって加古川に注目、与助たちに通船を妨げる川底の岩石を除去し、浅瀬に水路を通させました。
この区間の内、与助は滝野から大門(社町)までを担当しました。
第二期は領主池田氏による滝野以北の浚普請および新町河岸の造率、高砂港の整備です。与助は田高村の西村伝入斎とともに滝野より上流の川底を浚えることを命じられ、慶長十一年(一六〇六年)に丹波本郷までの通船が可能になりました。
与助像は、大正九年六月、正五位追贈により闘龍灘河畔に建立されましたが、昭和二十年春、太平洋戦争のため供出、平成二年五月、先の台座を生かして再建されました



海運にとっては、障害物の闘龍灘・・・
しかし、水路を作るとは、景観より、経済優先ですね

長年、横目でみてきた、闘龍灘・・・じっくり奇岩巨岩の上、散策できて満足です







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