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2019年2月9日

喜光寺・・・奈良県奈良市菅原町508

2018年12月・・・購読している新聞の記事に、「行基生誕1350年・喜光寺」が紹介されていました

・・・奈良時代に民衆の救済と仏教の布教に尽くした高僧・行基が建立したとされる
行基は今年(2018)生誕1350年を迎え、その教えと功績が再評価されていると、記事にあります・・・


二月の初め、天気予報は、晴れ・・・久しぶりに、奈良県へと走りました
喜光寺・・・阪奈道路を走り、生駒山を越え、奈良市内へ、そして、薬師寺、大和郡山市方面への分岐へと、平城京跡の手前、菅原交差点北側に位置します
ちと、道路が交差して、ややこしいですが・・・
奈良市、何年ぶりかなぁ?・・道路、随分整備されているように思えます


・・・行基の寺・・・
 いろは写経、千佛供養、蓮の寺 法相宗 別格本山 喜光寺


朱色の南大門

国重要文化財 「喜光寺 本堂 御本尊(阿弥陀如来)」 


縁起

当寺は養老五年(721)、天平の僧、行基菩薩によって創建された寺である。
この地は平城京の右京三条三坊に当たり、通称菅原の里といわれ、寺名も菅原寺と呼ばれていた。
行基菩薩は東大寺造営に当たり、この寺の本堂を参考にしたことから、本堂は「大仏殿の試みの堂」としても知られている。
天平二十年(748)、聖武天皇は菅原寺に御幸された折、ご本尊より不思議な光明を感得され、そのことを喜ばれ、「喜光寺」の寺額を与えたという。以後、菅原寺を喜光寺と改名したといわれている。
天平二十一年(749)二月二日、当寺の東南院に於いて行基菩薩は入寂された。
遺言により火葬とし、母の墓処のほとりに埋葬した。その後、喜光寺は広い寺領を所有していたが、平安末期から鎌倉時代にかけて荒廃衰退した。
本堂(金堂)は室町時代初期(1400年頃)に再建され、国の国指定重要文化財に指定されている。
ご本尊は、平安時代後期の造像で、丈六の阿弥陀如来座像である。現在国の重要文化財として信仰されている。
昭和四十四年(1969)発掘調査が行われ、本堂基壇と南大門跡が検出され、奈良時代後期の軒瓦などが発見された。
現在は法相宗に所属し、薬師寺の別格本山として活躍している・・・縁起より引用


本堂(金堂)・・・重厚な飾り屋根「裳階」を付けた本堂
・・・明応八年(1499)に焼失した後、室町時代の天文十三年(1544)に再建・・・

菅原寺の扁額


なんと、ご本尊の写真撮影が許可されているではありませんか!
ただし、フラッシュ撮影は禁止です
写真撮影ができることは稀なことで、ありがたく撮影させていただきました


御本尊・阿弥陀如来坐像(重文)
・・・平安時代後期の造像で、像高2.33mとされます

お顔に、蓮華座に、金箔が残っていますね・・・

右側・・・観自在菩薩
・・・南北朝時代の仏像で、像高は1.64m


左手・・・南北朝時代の勢至菩薩坐像


本堂裏手には、弁天堂があります

    仁王さん




ご本尊の写真撮影が許可されていたことは、大変うれしいことでした
蓮の寺・・・蓮の咲く時期にも訪れてみたいものです






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