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2019年1月4日

尼崎寺町七福神めぐり・・・貴布禰神社・・ 兵庫県尼崎市西本町6-246

尼崎寺町七福神めぐり・・・貴布禰神社です
国道43号線沿いに、こんな立派な神社があることを初めてしりました

社頭・・

大鳥居は、阪神淡路大震災で倒壊しましたが、平成八年十二月に鋼板製にて再建

表門・・・

尼崎市内の神社では珍しいとある。創建年は明確ではないが、約300年前に建立されたとされる。
戦災を免れ、阪神淡路大震災では半壊したものの、根元を米檜で継ぎ足すなどして修復し、屋根瓦も葺き替えられて元の姿を取り戻した・・・尼崎神社案内より



境内・・

御由緒

当社は應神天皇の御代、当地海人部の民の守護神として長洲の地に奉斎された伝統をもつ古大社です。その長洲には現在も貴布禰神社が鎮座しています。文亀元年(1501)の大洪水をはじめ、元禄六年(1693)および文化十三年(1816)の火災により史実の文書が
散逸焼失したため由緒の探求は誠に難しいところです。
尼崎の総氏神にして往古に社領が八百石ありました。また中世以来、尼崎城主の崇敬篤く、代々祈願所を務めて参りました。
ご社殿の造営をはじめ、祭礼費用などの負担され、元尼崎城内三の丸に鎮座していました。元和三年(1615)に戸田氏鉄が改築城を行った際、汐町に、その後正徳五年(1715)に現社地に遷座しました。
昭和26年6月15日戦災に遭い、文政八年(1825)に創建された壮麗なご社殿など、大小二十四棟の建造物、古記録などを焼失しました。
現在のご社殿は昭和25年七月に阪神間戦災神社に先駆けて復興されたものです。
また平成七年(1995)一月十七日に起きました阪神淡路大震災では、大鳥居が倒壊、そして戦前よりの建造物である南門などが被害を受けました。
大鳥居は平成八年十二月に鋼板製にて再建、南門は、屋根瓦の葺き替えなどの修復工事により元の姿を取り戻しました。
そして平成十四年にはご社殿銅屋根の葺き替えなど改修が行われました。
昔と変わらず現在も市民安泰・産業発展の守護神、工都尼崎の産土神として市民や会社工場から篤い崇敬うぃ受けております。


拝殿


拝殿・本殿・透き塀


尼崎寺町七福神めぐり

              開運出世の福宝 福禄寿



白波稲荷神社

元は尼崎城内牡丹畑に御鎮座になり、城主が常に城内並びに城下の安泰を御祈願になっておられた。明治初年の廃藩の際、松平遠江守忠興公より建物一切の御寄進を受け当社に遷座した


愛敬三社

祭神:可愛霊神、可美霊神、善哉霊神
尼崎の旧藩主・桜井家に非常にご縁の深いお社で、宝暦四年(1754)に松平忠名公の命により御造営され、宝暦八年(1758)に京都・白川殿において御神号が授与された。
祭神の御本名は不明で、それだけ深い御事情の御正体と推察される

鳥居には、宝暦十三年(1763)と刻まれている

蟇股


相殿社

御祭神:素戔嗚大神、大比叡大神
尼崎城内本丸に二神として城内に祀られていましたが、天保・弘化年間に遷宮されました。愛敬三社に次いで御城主の崇敬が篤かったと・・・


手水鉢・・・文化五年(1808)と読めるが?

    北側、鳥居脇の石灯籠・・・天保二年(1818)と刻まれている

北側、鳥居・・・

        消火栓蓋・・・尼崎城ですね


應神天皇の御代、当地海人部の民の守護神として長洲の地に奉斎された伝統をもつ古大社です。その長洲には現在も貴布禰神社が鎮座していますと、あります・・・
機会をみて、長洲の貴布禰神社にも参拝しましょう




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