兵庫県高砂市をブラブラ巡っています・・・
高砂と云えば・・・「高砂や~この浦舟に帆をあげて~」ですよね・・・
ここは、兵庫県高砂市高砂町東宮町190、高砂神社です・・・
大きな、コンクリート製の鳥居です
・・・神門・・・七五三です・・・(*^_^*)
・・・高砂神社略記・・・
‥・神功皇后が外征のとき、大己貴命の神助を得て敵を平らげられた。帰国の途中、この地に船を寄せられ、国家鎮護のため、大己貴命をまつられたのが高砂神社のはじまりです。その後、天禄年間(970年)~(972年)国内に疫病が流行し、庶民が苦しんでいた時、神託によって素盞嗚命、奇稲田姫命をあわせまつったところ、疫病がたちまちおさまったので、庶民は喜んでお礼参りをした。文禄元年(1592年)豊臣秀吉は、朝鮮出兵のときこの神社に参拝し戦勝を祈願したと伝えられる。
池田輝政をはじめ、歴代姫路城主は社領を寄進し、特に本多忠政は尊崇熱く、輝政によって他に移されていた社殿を旧社地に再建し、にぎやかな遷座祭を行った。
天樹院(千姫)をはじめ、武将や貴人、そのほか学者、詩人、歌人、俳人が多くこの神社を歴訪している。江戸時代の画家、森狙仙筆「神式図」、森周峯筆「関羽図」、曽我蕭白筆「武者図」をはじめ、現代では棟方志功筆「鯤魚之図」等、すぐれた絵馬も多く奉納されている
・・・案内板、高砂神社より一部引用・・・
・・・拝殿・・・
三代目、相生松、保存屋 「霊松殿」
天然記念物 高砂之松
五代目 相生松
・・・相生というのは、赤松と黒松との合成を意味する。黒松が主幹となって、赤松が枝をのばし、両松がその基部でタテにくっついている珍しい植生の例であると・・・
・・・謡曲「高砂」は、世阿弥作と伝えられ、謡曲百番集では第一番の曲名 謡曲全体の代表作のように扱われている・・・案内板より引用
尉姥神社
祭神:伊弉諾尊、伊弉冊尊
・・・「お前百まで、わしゃ九十九まで」うたわれています 尉と姥は平和と長寿の象徴であります
・・・御神木いぶき・・・樹齢千年を超えると!
・・・能舞台・・・
手水舎・・・現在は使われていないようですが・・・水の出口が龍ではなく、鯉ですね!
・・・高砂城趾・・・
慶長五年(1600)に池田輝政が播磨に入り、姫路城を築いた後、慶長十七年(1612)に播磨の海の守りを固めるために高砂城を築いた・・・と、 ・・・案内板より引用
工楽松右衛門・・・寛保三年(1743)~文化九年(1812)
町の大小は関係がない 志があるか その志が広く大きなものであるかどうか そして 志を実現するために努力しているかどうか それが大切ではないか・・・
播州木綿を使った厚地大幅物の帆布の織り上げに成功し、「松右衛門帆」と呼ばれて全国の帆船に用いられるようになった・・・案内板より一部引用
・・・この説明文を読みながら、・・・一人うなずくおっちゃんがいました・・・
高砂神社・・・相生松 御神木いぶき・・・見応えがありますね!
・・・「お前百まで、わしゃ九十九まで」・・・
・・・夫婦円満で、お互い周りに迷惑かけないで、生きていきたいものです!
参拝日:2017年11月24日
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