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2017年7月9日

浦嶋神社・・・中井権次の足跡を巡って・・京都府宮津市伊根!


中井権次の足跡を巡って、京都府宮津市伊根まで、やってきました・・・
七面大明神は、少々、場所探すのに手間取りましたが、無事、六代目の作を拝見いたしました

今回は、さらに、丹後半島を北上・・・浦嶋神社を参拝します・・・


むかし、むかし、あるところに、浦島太郎が・・・の、おとぎ話です・・・

各地にある伝説の一つ、丹後半島に伝わる地、浦嶋神社です・・・

・・・伊根浦から経ヶ岬へ行く途中に、日本最古の「丹後風土記」に描かれている浦嶋子(浦島太郎)の物語の舞台となった浦嶋神社がある。この神社は天長二年(825)当時の丹後の豪族であった浦嶋一族の業績をたたえて建立されたと云われている。
日本最古といわれる浦嶋太郎物語が細かく描かれた浦嶋絵巻(国指定重要文化財)、室町時代中期から桃山時代にかけての見事な文様が施されている乙姫小袖(国指定重要文化財)さらに室町時代に作られたとされる亀甲文櫛笥の玉手箱などがある・・・京都府観光協会より引用


大きな拝殿が見えてきました
浦嶋神社【宇良神社】
鎮座地 伊根町手本庄決-九一書地
祭神: 浦島子(浦島太郎)
相相田:月讀命 祓戸大神表

創建:天長二年(825)七月二十二日 浦嶋神社は宇良神社ともよばれ、醍醐天皇の埠延喜五年(905)撰上の「延喜式神明帳」所載によると 「宇良神社」と記載されている式内社
創祀年代は、淳和天皇の天長二年(825)、浦島子を筒川大明神として祀る
その大祖は月讀命の子孫で当地領主、日下部音等の先祖であると伝わる
伝承によると、浦島子は雄略天皇二十二年(478)美婦に誘われ常世の国へ行き、その三百有余年 を経て淳和天皇の天長二年(825)に帰ってきた
常世の国に住んでいた年数は三百四十七年間で、淳和天皇はこの話を聞き、浦島子を筒川大明神と名付け小野篁(802-853)を 勅旨として派遣し社殿が造営された
なお、社殿が北極星を向いて造営されており、道教の影響から北極星信仰がある
・・・案内板より引用




うん? 拝殿の正面の写真がない・・・(^^;)
・・・そうか、ここで、宮司さんと、お会いして色々お聞かせ頂いたので、撮影したつもりだったのです!

向拝の龍・・・そう、八代目中井権次正胤の作です・・・
・・・それにしても、ちと、見上げすぎ、角度悪し・・・情けない・・m(_ _)m
国登録有形文化財
現社殿は、元治元年(1864)四月十三日の火災による類焼、焼失し、明治十七年(1884)再建された 丹後地方を拠点に活躍した冨田一族である加悦町、冨田吉助の手による建築であり、、また「西の左甚五郎」と云われた中井権次(八代目正胤)一統による見事な彫刻が施される

本殿:神明造、桁行三間、梁間二間の切妻造、茅葺、平入 四週に縁と高欄を廻すが、床が高く、縁束を2段の貫で固める 
常時は不在の神を招来するため、背面中央1間は高欄が切れている  基壇の上に亀腹を築き、礎石建とする 
柱は床下を八角、床上を円柱とし、切目長押、低い位置の腰長と内法長押を、内、壁は横目板とする 
塔は銅板で覆い、置き千木と細身の堅魚木を配し、妻飾りは豕叉首鳥居掛け  正面構えに特徴があり、中央間は両開きの板戸、両脇間は一枚板の鏡戸とする
  鏡戸は祭事に取り外せるようになっている 
丹後地方に見られる神明造系社殿の系譜に本殿も連なるものと考えられる
本殿西南隅の縁束は、井戸屋形が取り付く  切妻の銅板屋根を本殿の縁束と柱2本で支える 
下に石組みの井戸があり、目の神様「御井さま」として信仰されている 
本殿は丹後地方特有の神明造系に連なるものとみられるが、在地かした神明造系社殿として注目される 
棟札により年代、棟梁が明らかであり、丹後地方の近代神社建築に一つの基準を提供する遺構である

拝殿:割拝殿(吹放し)、桁行三間、梁間二間、入母屋造、銅板葺、平入り 石造りの布基礎に角柱を立て、内外に内法長押を廻す  組物は詰組の出組せ、さらに組物間に蟇股には、内部彫刻が施され、題材は亀、兎、鯛、鳥、波、雲、松、蓮であり、配置は左右対称である  拝殿は中殿とともの本殿と対照的な装飾性に中井大工の作風がよく表れる

中殿:桁行二間、梁間一間の切妻造 梁間を拝殿中央に合わせる 梁は反転曲線の虹梁と棟木の支持形式を梁筋ごとに変える 拝殿側から、二重虹梁大瓶束、虹梁上に皿斗と徐々に積上げ高を低める 虹梁袖はそれぞれ根肘木で受け、なかでも拝殿則柱筋の根肘木は籠彫りの持送り状をなす

現存する棟札類
【室町時代】嘉吉二年(1442)、文明六年(1472)、永正三年(1506)
【江戸時代】明暦元年(1655)、元禄六年(1693)、享保二年(1717)、嘉永七年(1854)、明治十七年(1884)
・・・案内板より引用



拝殿、内部・・・
浦嶋子・・・さすが、亀の甲羅の奉納額が見られます・・・

蟇股・・・内部彫刻が施され、題材は亀、兎、鯛、鳥、波、雲、松、蓮であり、配置は左右対称である


中殿・・・
・・・梁は反転曲線の虹梁と棟木の支持形式を梁筋ごとに変える
・・・拝殿則柱筋の根肘木は籠彫りの持送りがみられる・・・
本殿の一枚板の鏡戸が望める・・・


本殿:神明造、桁行三間、梁間二間の切妻造、茅葺、平入
・・・ 四週に縁と高欄を廻すが、床が高く、縁束を2段の貫で固める 



本殿、左面から、・・・工事中でしたので、背面に回れせんでした・・・
宮司さんのお話では、神明造だが、棟持ち柱を、もたない方式らしいと・・・
拝殿、向拝の持送り







蓬山(とこよ)の庭・・・
日本書紀・浦島口伝記では、「蓬菜山」を「とこよ」万葉集では、「常世」を「とこよ」としている 古代中国の神仙思想の影響を強く受けたもので、この庭はこれら文献及び浦島明神絵巻(重文)にもとづいてつくられた


 拝殿前の石灯籠・・安政三年(1856)とよめる

京都府宮津市、中井権次の足跡を巡ってきました・・・
残念ながら、拝殿正面の写真をミス! 

しかし、お会いした宮司さんのお話も貴重でした・・・
そして、この先に七神社があります、そこも、中井権次の足跡、彫物がすばらしいと・・・
さらに、北へ走ると、丹後天橋立大江山国定公園 蒲入展望所が、最高の眺望が・・・ぜひ、行って下さいと・・・

色々、ご親切に、ありがとうございました・・・では、走ります・・(*^_^*)

もう一度、訪れたい神社の一つに・・・機会を見つけて、是非・・・参拝します


参拝日:2017年6月15日






浦嶋神社、公式サイトから画像、文、 紹介します・・・

拝殿正面の彫刻(ヘッダー部の写真)は江戸時代に活躍した丹波国(現在の兵庫県柏原市)の中井權次氏の作となっている・・・サイトより引用


浦嶋神社、公式サイトを開くと、説明文のごとく、TOPが、そう、中井権次の龍なのです
尋ねる前後、色々とサイトを、拝見させていただいていますが、ヘッダにご使用されているのは初めてみました・・・
中井権次の足跡を巡る私としては、大変、うれしいことです・・・おおおぉ・・です!




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