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2017年6月27日

豊栄神社・野田神社・・・山口県山口市天花!

山口県山口市を旅しています・・・

今八幡宮を参拝し、その北側に毛利元就公を祀る神社、豊栄神社、毛利敬親および毛利元特を祀る、野田神社を参拝します・・・


野田神社・・・

主祭神・・毛利敬親および毛利元特です
敬親は毛利藩十三代の藩主で、幕末維新の時に藩士を指揮して近代国家の成立に努力し、明治四年に山口で亡くなりました

元徳は、敬親の養子で、幕末維新の時には父敬親を補佐し明治二十九年に亡くなりました

社宝として、重要文化財の太刀、毛利家伝来の能衣装、甲冑など貴重なものがたくさんあります

・・・案内板より引用




創建:明治6年(1873年) 本殿の様式:三間社流造銅板葺





野田神社能楽堂・・
山口市指定有形文化財

この能楽堂は昭和十一年に明治維新7年記念事業として長州藩主の末裔毛利元昭公により野田神社境内に建築されたものです…
総檜造で橋掛鏡の間および楽屋控えの間を構え建築面積238㎡規模からして本格的な能楽堂である
全国的にも能楽堂の建築は少なくとりわけ西日本に関してみれば10棟を超えないものと思われ、その中でも当能楽堂は規模、質の点で一流の能楽堂あるといわれる
・・・案内板より引用





豊栄神社

毛利元就公を祀る神社で、もと別格官幣社であった
江戸時代長州藩主であった毛利氏は萩城内に元就公も祀る社を建立したが 幕末毛利氏の山口移鎭に際して山口に移した
明治二年、朝廷から豊栄神社の神号を賜った
社宝の元就公像は国重要文化財指定で、その外、元就公所用の武具や遺墨を多く蔵している
隣接する野田神社は、幕末の英主毛利敬親公を祀る神社である
・・・案内板より引用

神橋から神門へ・・・

野田神社から、東側へ並びが、豊栄神社です
本殿は三間社流造。前方に梁間1間桁行5間の釣屋を建てる。釣屋は切妻造であるが奥寄り(本殿側)2間目は左右に1間の張り出しを設けて十字型の平面構成とし、前面は幣殿に接続する。
幣殿は桁行3間梁間1間の入母屋造平入、左右からは廻廊が伸びる。幣殿の前方に方3間、入母屋造妻入の舞殿風の拝殿が建ち、その前方に神門を構える・・屋根は全て銅板葺
・・・と、あるが、垣間見ることができないのです・・・






山口県神社庁・・・
・・・豊栄神社の側にありました・・・訪ねてみようかと思いましたが、なにを聞きにいくのか? 思いつかなかったので、やめました・・・(^^;)




毛利元就公を祀る神社、豊栄神社そして、毛利敬親および毛利元特を祀る、野田神社の参拝を終えました・・・

そばに、山口県神社庁が位置するということは、なにか、意味があるのでしょうかね?

さぁ、山口市で、最後の参拝する神社・・・平清水八幡宮へ向かいます・・・





参拝日:2017年5月25日





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