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2017年6月1日

八坂神社・・・福岡県北九州市小倉区!

いよいよ、九州の地へ参りました・・・
で、最初の訪問地、小倉城を目指して、「カーナビ君」が案内してくれた場所・・・
そう、リバーウオーク北九州・・・うん? まぁ、指図のままに進みます・・・


小倉城天守最上階からの眺めです(写真前だしですみません・・)

「P」は、当日、6,7,8は満車・・・

「P」から降りてきた見上げれば・・・おおぉ、凄い造形美・・・みごとなデザインですね!!


前置き長くなりました・・・m(_ _)m

「P」を出たら、正面に・・・おおぉ、八坂神社!
・・・これはこれは、九州で最初の神社・・・参拝いたします!!

八坂神社御由緒

当神社は古いより祀られてありましたが、元和三年の春(1617)小倉城主の細川忠興公が鷹狩りのおり、神霊を感じられ改めて神殿を鋳物師町に建立、奉建名も祇園社と称し旧豊前国の総鎮守として仰がれました
爾来尊崇は小笠原公へと途引き継がれ代々藩主はもとより、小倉城下の崇敬厚く春秋三百有余年、昭和9年、現小倉城内北の丸に遷座されました
平成二十九年には御創建四百年をお迎えします
盛夏、祇園例大祭は「太鼓の祇園」として親しまれ全国三代祇園の一つに数えられるも小倉っ子の意気と熱、その独特なばちさばきによりものと思われます
映画「無法松の一生」で一躍世界にその名を知られるお祭りとなりました

御祭神:須佐乃男命 大国主命 少名比古那命

・・・御由緒文より引用・・・



向拝・・
・・・残念ながら、兎の毛通しの、多分、鳳凰の頭が無いぞ!!
見事な龍ですね・・・



中津口門の大石・・・
・・・地図では、こちらの鳥居が「八坂神社、鳥居」とあるが・・・

中津口門の大石
後方にある二基の大石は江戸時代、古船場の中津口門の石垣で、細川忠興公が慶長7年(1602)に小倉城を築くとき大谷から運んできました。
大石は上富野で動かなくなり、忠興公は頭の富岡某を手打ちにしたので、石は勢いよく運ばれました。
村人は富岡を哀れみ地蔵堂を建て供養し(現在この富岡地蔵は、安全寺に安置されています) これを聞いた小笠原四代藩主忠総公は「二つに割って運べば命まで奪わずにすんだ。石の大小は勝負にかかわらぬ」と言い、これを「細川の大石」「小笠原の割石」 と言いました。
中津口門を解体した明治34年に、藤井昇吉が三本松の高倉稲荷神社に大石を移しました。平成12年に高倉稲荷神社は八坂神社に合祀されたので石も移しました ・・・明治になり中津や築上の青年が多数小倉に来た 門を入るとき、大石をにらむと成功すると言われ一心ににらんだ 「大石にらみ」という・・・



地図をみて、はじめて知った、八坂神社・・・現小倉城内北の丸に遷座されたのですね!!
なぜ、天守近くにあるのかなぁ?と、と思いながら、歩いておりました・・・


さぁ、小倉城へ、登城しましょう・・・






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