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2017年5月30日

国宝・・金山功山寺、仏殿・・・山口県下関市長府!

山口県下関市の、国宝、国重要文化財を訪ねます

・・・他の名所、旧跡に目もくれず・・一直線に、国宝、金山功山寺仏殿に参ります・・・

まず、最初に迎えてくれるのが、総門・・・国登録有形文化財

・・・ 室町時代中期建立、禅宗様、四脚門、木造、瓦葺き、間口4.4m

功山寺(長府川端町)

曹洞宗 嘉暦二年(1327)の創建
当初は臨済宗で金山長福寺と称し、足利氏、厚東氏、大内氏など武門の尊敬を誇ったが、弘治三年(1557)大内義長がここに自刃、
この戦乱によって一時堂宇の荒廃をみた
その後、慶長七年(1602)長府藩祖毛利秀元が修営、旧観に復し、曹洞宗に転宗した
二代藩主光弘が、秀元公の霊位をこの寺に安置して以来、長府毛利家の菩提寺となり、秀元の法号、智門寺殿功山誉大居士にちなんで功山寺と改称した
現在の仏殿は、元応二年(1320)の建立で、典型的な鎌倉期禅宗様式として国宝指定、十代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門は市指定文化財となっている
その他境内には、県文化財の木造地蔵菩薩半跏像をはじめ、大内義長の墓と伝えられる宝篋印塔など数々の史跡や文化遺産が残されており境内地も記念物として市文化財に指定されている・・・説明板より引用


参道・・・じつに美しい! 一年で一番好きな季節です

山門 ・・・
 安永二年(1773年)・・十代藩主匡芳の時、当地工匠の作による山門、市指定文化財!



国宝 金山功山寺、仏殿



桁行三間、梁間三間、一重もこし入母屋造、檜皮葺

鎌倉時代末期の唐様(禅宗様)建築様式の典型的な建物である
床は四半瓦敷、礎石と柱の間に木製の礎盤を入れはしらは上下部分が細く粽型になっています
見事な曲線美を見せる檜皮葺、入母屋造りの屋根を支えている化粧棰は天井中央より放射状に配置され扇棰とも呼ばれています
また、二重屋根の内部の組上がりの高さが異なった箇所を補うためにい海老虹梁が用いられています
さらに、全面両角には釣鐘型の特徴をもった花頭窓を有するなど、わが国最古の禅宗様式がよく残されており、鎌倉の円覚寺舎利殿同様、寺院建築史上、貴重な建物です
この仏殿は、内陣柱上部に「此堂元應二年卯月五日柱立」の墨書があることから、西暦1320年に建てられたものとみられています
功山寺は臨済宗で金山長福寺と称し、毛利秀元により曹洞宗・笑山寺と改称、さらに慶安三年(1650)秀元の没後、秀元の法号、智門寺殿功山誉大居士にちなんで功山寺と改称しています
・・・説明板より引用

裏手から

法堂・・・


鐘楼

市文化財 功山寺輪蔵
市文化財 功山寺輪蔵
功山寺境内に建つ土蔵造りのこの建物は輪蔵(経蔵)と呼ばれ、5.45m(三間)四方、面積29.7㎡、屋根は宝形作り桟瓦葺で、蓮弁様縁取枠内に一文字三つ星の毛利家紋が浮き彫りされている
また、入口向拝(幅一間)は軒下位置に切妻照り破風で正面向きに取り付けてある
輪蔵内部は、中央に八角形の回転式経蔵を備えており、経庫には典書のある一切経の教本が収められ、経庫を一回転すれば一切経を全部を読誦したのと同じ功徳があるともいわれている
このような「輪蔵」は中国に始まる禅宗特有の形式であるが、当寺に輪蔵は、寛政十一年(1799)長府藩第十一代藩主毛利元義公が藩祖秀元公百五十回忌の供養として建立、経本千六百冊を納めて寄進したものである
本市におけるその希少性と、長府藩にかかわる郷土史的意義から貴重な遺産として市文化財に指定されている
・・・説明板より引用

輪蔵内・・・
・・・見事な組み物、彫物、彩色、天井絵・・・





旧長門尊攘堂・・・ 現下関市立長府博物館本館・・国登録有形文化財





国宝、仏殿の裏手に墓所があります・・・その一角に・・・
・・・龍馬の大親友 長府藩士 三吉慎蔵 墓所と、道しるべと案内板が・・


龍馬の盟友である長府藩士 三吉慎蔵の墓所・・・
龍馬から生きて本懐を遂げることを教わった慎蔵は、維新後その死の直前まで長府毛利家に仕えました
明治34年(1901)、慎蔵が亡くなると、長府藩十四代藩主毛利元敏公は、慎蔵の死を悼み、毛利家墓所に近いこの地を下賜し、慎蔵の墓を建てるよう命じたといいます・・・説明板より引用



国宝、功山寺仏殿・・・優美な曲線に見とれながら、何枚も写真をとりました・・・
そして、内部を拝観できるようなので、社務所へ・・・しかし!

本日、法要が行われていますので、2時間後にと云われました・・・
う~ん! それは残念!諦めました・・・(>_<)


青い空、緑鮮やかな木々に囲まれた、見事な、国宝、仏殿・・・
・・・よきものを見せていただきました・・・(*^_^*)





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