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2016年5月24日

宝林寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市青垣町栗住野!

兵庫県丹波市栗住野の宝林寺・・・曹洞宗の寺院です!
備忘録に記しましたが、36:八柱神社、参拝を断念した、37:八柱神社、そして、38:芦井神社・・県道7号線沿いに順序よく?・・
・・・ちと、奥に入りますが、39:宝林寺さんが、位置しています


宝林寺・・・

本堂・・・・二階があるのかな? 立派な本堂ですね!
本瓦、葺き替えたのでしょうね? 向拝柱の根元に立派な「鬼瓦」がおいてあります・・・
向拝の彫物・・・中井権次一統の足跡ですね・・・刻銘を発見できませんでしたが・・m(_ _)m

部位の写真は、下部に・・m(_ _)m
扁額・・「寶林寺」
祖父祖父堂・・・
丹波市の観光案内にもある・・祖父祖父堂・・
天正七年(1579年、約420年前)五月、明智日向守光秀は黒井城進攻のため、氷上郡柏原八幡山に陣を構えた
多紀郡八上の波多野秀治を通じて、足立主人之介を擁して栗住野城に據る三十六人の地侍たちに帰順をすすめた
しかし、和議は進まず業をにやした光秀は、和睦と称して地侍たちを柏原に招いた
そして、毒酒を盛って謀殺してしまった
事情をいかぶって様子を聞きに行った極楽寺の和尚も帰らぬ人となった
その後、中川原にこれらの首がさらされた
栗住野、西芦田、口塩久の里人たちは、そのあまりの痛々しさに胸をいためひそかに首塚を作ってその冥福を祈ったといわれる・・・中略・・・
その後、慶長六年(1601年)僧、栄文碑の傍に一堂を建てて祖父祖父堂とよんだ
安政五年(1859年)僧卓龍その堂を再建したと記録されている・・・中略・・・
栗住野集会場建設の時、宝林堂の現在の位置に移築された
祖父祖父堂の名称のいわれはさだかではないが、里人たちの篤い祖先敬仰の心を物語っているといえよう
お堂の中には、石の御仏が鎮座ましましている
昭和61年秋、里人たちの浄財を集めて改修を行いその供養と保存に努めているのである・・・案内板より引用

お堂内・・・戸が開いていましたので・・合掌し、・・パチリです・・m(_ _)m
山門から見る・・青垣町栗住野の風景・・・
  


これから下は、中井権次一統の足跡です・・・


山門・・・虎やね!


最近、寺院の中井権次一統の足跡を拝見するのを、ちと、考えてしまうことがあるのです!
訳は・・? むずかしい~です!



参拝日:5月19日





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