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2016年5月5日

三ッ塚廃寺跡・・・国指定史跡を訪ねて・・兵庫県丹波市市島上田!

下図、下の赤線部分の済納寺から、右上、赤線部分の岩戸寺へ向かう途中に・・・発見?
岩戸寺から帰途の折り、立ち寄ることに・・・
公園の正面入口
国指定史跡 三ッ塚廃寺跡

三ッ塚廃寺跡は七世紀後半(白鳳時代約1300年前)に建立された寺院跡です
東西に並ぶ3つの基壇は、中央が小規模な金堂跡で、東西は地下式の心礎をもつ塔跡です
講堂跡は不明ですが、この伽藍配置は全国的にも珍しいものであります
中門の他にほぼ一町の四周に、南門・東門・築地を伴う北門が検出されています
使用された瓦は、素緑八葉蓮花文軒丸瓦と三重孤文軒丸瓦で、三ッ塚東南山麓の瓦窯で焼成されたものです
三ッ塚廃寺跡の周辺に広がる数十棟の堀立柱建造群は、8~12世紀(奈良、平安時代)にあいついで建てられたもので、三ッ塚廃寺と密接なつながりが考えられます
現在この地(41,976㎡)は、国指定史跡となっています・・・案内板より引用

写真下:中央の松のところが、金堂跡・・
西塔跡・・・
上西の無加工のチャート材の礎石四個が残っており、その他礎石跡とあわせて方三間の塔跡と判断しています
中心の塔心礎は既に失われていますが、東塔と同じく地下式であったと考えられます
現在その上に建つ塔心柱の一部を復元しています

西塔跡に立ち、東塔跡(上)をみる・・・



金堂・・心礎
この心礎は薄手の花崗岩で表面に径89cmの浅い柱座を中心に径深さとも11cmの舎利孔を穿っています 礎石表面はほぼ地山面と同位で心礎は壇上面から1.4m下にあります
心礎

二千平米の敷地の江戸系、肥後系、伊勢系の花しょうぶ2万本が植えられています・・観光案内より引用
丹波市教育委員会発行配布のパンフより引用・・・こんな風な伽藍だったのですね!!

観光案内には、白鳳時代のロマン・・・・と、あります!

あらためて、白鳳文化・・・とは! ググってみました・・・m(_ _)m
645年(大化元年)の大化の改新から710年(和銅三年)の平城京遷都までの飛鳥時代に華咲いたおおらかな文化であり、法隆寺の建築・仏像などによって代表される飛鳥文化と、東大寺の仏像、唐招提寺の建築などによって代表される天平文化との中間に位置する
なお、白鳳とは日本書紀に現れない元号(逸元号や私年号という)の一つである(しかし続日本紀には白鳳が記されている)
天武天皇の頃に使用されたと考えられており(天智天皇のときに使用されたとする説もある)、白鳳文化もこの時期に最盛期を迎えた・・・Wikipediaより引用

いろいろ見ていると、この地域は、旧石器時代にはすでに人々が生活していたらしく、日本海と瀬戸内海を結び、都へ通ずる山陰道にも近い交通の要衝だったと・・・
5~6世紀ごろはずいぶん開け、当時の古墳も100基ほど点在していると・・・

この市島・・舞鶴市まで、直線で31kmぐらい・・・そこは日本海ですものね!!

いやいや、三ッ塚廃寺跡を訪れたおかげで、いろいろググって、勉強させていただきました!!・・m(_ _)m





訪問日:4月15日









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