ページ

ページ

2016年5月5日

岩戸寺・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市市島岩戸!

5:済納寺から、6:岩戸寺へ・・・
下図、備忘録にも記しましたが・・・GoogleMapのマイマップを使っています・・・

社寺の頭の数字は、中井権次一統の足跡資料にある、社寺の番号・・
黄色は訪問済み、赤色は、未訪問・・・
緑色は、指定文化財か、建築年代が古い建造物・・の、社寺を・・
例として、黄色の岩戸寺は中井権次一統の足跡・・・緑色は、仁王門の建立が、天正十九年(1591年)・・てな訳です・・

これぐらいしておかないと、どこを参拝、訪問したか、わからなくなるのです・・・(笑)
そして、せっかく、そばを通りながら、重要有形文化財が、県指定文化財がある社寺があったのに・・てなことになるのです!・・・
・・・・いや、なっているのです・・・(汗)
岩戸寺に到着です・・・
仁王門・・・天正十九年(1591年)と資料にある・・
・・・見事なまでに、桧皮・・剥がされていますね・・・赤肌がキレイです!!
この仁王門の彫物も見事です・・しかし、千社札、邪魔なんですよ・・(^_^;)
江戸時代前半享保十五年(1730年)に造立された、石段・・白壁と相まってよき景色ですね!!

大師堂・・
つい、見とれてしまいました・・・(*^_^*)
石段、登りきりました・・・神仏混淆時代ですね・・・左、熊野権現!

高野山真言宗、明燈山岩戸寺・・縁起及び歴史

本尊:十一面千手千眼観世音菩薩(秘仏)

縁起及び歴史
丹陽氷上郡鹿集明燈山岩戸寺は奈良時代宝亀二年(771年)に法道仙人により開基され、本尊十一面千手千眼観世音菩薩は法道仙人自身の作で、鎮守は熊野権現である
その後、天正二年(1574年)に明智光秀の丹波攻めにあい、一山灰燼と化したが、仁王堂のみはこの兵火を逃れた
天正六年(1588年)に源宥上人が再興し一宇を結んで千手院と号した
後に、総持院が建立され、総持院は、明治の初期に移転され鴨庄小学校の前身となり、千手院が現在の庫裡の元となった
石段は江戸時代前半享保十五年(1730年)に造立され、観音堂は寛文十一年(1671年)に建立、寛政七年(1795年)に再建、仁王堂は天明元年(1781年)に再建された
中興第十五代宥憲上人の時、明燈山より流れる清水が目の秘薬であると多くの参詣者があった 聖天尊は昭和七年四月に生駒山より観請した御分身である・・・案内板より引用


見事な、向拝・・・彫刻は中井丈五郎正忠・久須善兵衛とある
・・・彫刻の部位の写真は、備忘録、末尾に・・・m(_ _)m

本堂観音堂の十一面観音菩薩の大悲殿の欄間に彫り込まれたの・・・龍・・・
中井権次一統の足跡の資料では、久須善兵衛政清の銘が、 墨で鮮やかに残されていると・・
熊野権現へ・・・


本殿・・・
・・・高欄の宝珠柱は禅宗様式の逆蓮柱になっていますね!


拝殿横の石灯籠、一対・・寛保二年(1742年)とよめる・・

左横から、向拝を・・一対の石灯籠は、嘉永四年(1851年)とよめる・・




下ります・・・左手に岩戸寺、西門があります・・・入ってみます・・


おおぉ・・珍しい・・笠部分が長いね・・・
・・・ググって見ました・・なんでも、ググってみる、癖・・
どうも、利休形かも・・・う~ん?
・・・千利休が好んだ燈籠・・一般に言われているのは笠が長半休状にのび、火袋が中央でふくれ、、中台に長い蓮弁がついたものをさしているようです・・と、ありました!

その先に、山門があります・・


鶴二羽の見事な彫物・・・木鼻は、象と唐獅子・・・刻銘は残念ながらありませんでした・・

「P」からふと見渡すと・・・
・・・法道仙人 笈立て岩(休息の岩)とある・・・



これから下部は、中井権次一統の足跡です・・・
兎毛通の鳳凰・・すばらしい・・
天女が・・
木鼻の漠、持送り・・
本堂内の欄間の龍・・・屋内では、保存状態がすばらしいです・・

いつも感じることなのですが・・・千社札・・この本堂内にもありました・・・
岩戸寺のHPでは、通常は本堂、施錠とセキュリテイがあり、入堂は不可・・
内部拝観は電話で・・と、あります・・・しかし、千社札・・う~ん?

千社札、意味理解しているのですが、・・・正直、汚い・・です・・・私感!
今回、備忘録作成の折、虹梁などにある千社札、加工して消しました・・・・よ!



訪問日:4月15日







0 件のコメント:

コメントを投稿