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2016年4月10日

御形神社・・・国指定重要文化財を巡って・・・兵庫県宍粟市一宮森添!

兵庫県宍粟市一宮河原田、県指定文化財の八幡神社、河原田農村芝居堂から、すぐ近く・・
御形神社には、宍粟市内唯一の国指定重要文化財の本殿があります
参道です・・すごい長~い、参道・・遥か、先にみえます・・いえ、見えません・・
参拝者用「P」に「α君」を・・・また、この「P」で花見の宴会を・・・(^_^;)
宍粟市指定文化財(天然記念物)・・・ショウフクジザクラ(正福寺桜)

ショウフクジザクラ(正福寺桜)は、キンキマメザクラとヤマザクラの自然交配種で、美方郡 温泉町正福寺の植栽木より命名されたものです

兵庫県の固有種で、但馬地方から播磨北部の宍粟郡にかけて分布する珍しい品種です

半しだれで親木が弱ると枝分かれして、八重咲きの美しい花を咲かせる性質があります

御形神社のショウフクジザクラは県内でも最大級のものであり町指定の天然記念物としれふさわしい風格を備えるものといえます
・・・案内板より引用

この桜の横に、子、孫の木があり、成長しておりました・・・(*^_^*)

五色椿・・・
この椿は、同じ枝に紅、ピンク、白等、複数の色の花が咲きます
特に有名なのは、奈良県の天然記念物の子弟されている白毫寺の五色椿があります
多くの品種がある椿の中でも珍しいもので、この椿は大きい方かとおもいます・・・案内板より引用


う~ん? 石板に刻まれた由緒・・・文字・・・これは、判読不可です・・・

由緒・・・
当社のご祭神は、またの御名を大国主神とも申し上げます。この神様が当地方を治められていた頃、その途中に天日槍神が渡来して、国争いが起こり、二神は黒葛を以て治める国を定めました。葦原志許男神は、但馬の気多郡、養父郡、三條(三方)といひ伝へます。又、天日槍神は但馬国となり鎮まりました(出石神社)。
やがて葦原志許男神は事を了へられてこの地を去られるに当り、愛用された御杖を形見として、その山頂に刺し植えられ、行在の標とされました。以て、当社の社名「御形」は、形見代・御形代より起こりました。 その刺し植えられた所に社殿を建ててお祀り申しましたのが当社の創祀であります。やがて奈良朝の宝亀3年(772)、里人数人が一夜の中に三本の大杉が、山神社の森に鼎立するという霊夢を見、これは山頂の大神の当地へのご遷座の所望であらうとの事で、早速ご社殿を造営し、お祀り申し上げたのが現在地での起源であります・・・神社庁
 
随神門
随神門の内部の彫物・・・なかなかです
  
・・・m(_ _)m・・・
境内です・・・神々しい雰囲気です
日本一の大絵馬・・・縦4.5m 幅7.2m
願掛け絵馬・・・おみくじで大吉を引かれた方に進呈されるとか!・・それ以外は実費やね?
その絵馬が、絵馬の下に沢山掛けられているのらしいでっす・・
拝殿・・・
・・・入母屋造・・なんと、美しい姿でしょうか!
おおおぉ・・・なんと、なんと・・・!
・・・金色の鳳凰、そしての金色の龍・・彩色に圧倒されますね!・・・
海老虹梁・・・

拝殿内・・

国指定重要文化財 本殿・・・

本殿の概要・・
本殿の建立は奈良朝宝亀三年(772年)が創建でその後再建立があり更に室町末期大永七年(1527年)再々建立がなされ、それが現存する本殿である
本殿は、三間社流造檜皮葺で側廻りの高欄をつけた椽を設け柱の上の組物は三ツ斗の出組で軒支輪を配し木鼻や手挟み、蟇股などには室町時代の様式技法を伝える繊細な木組や彫刻があり彩色も施されている
現本殿は建立以来、数回にわたる大小修理が行われ明治三十六~七年境内大模様替の際、透塀が新設され現状の姿にととのえられた

指定・・
このような沿革を持つ本殿は日本建築史上その形式技法にきわめて優れたものを遺存しており昭和40年6月、国指定重要文化財となった
解体修理(昭和46年~47年)・・・
解体修理とし、後世改変された箇所はできる限り当初の姿に復元を行う
建物の部材は再用新補の材も原則として旧形旧工法を踏襲する
基壇は根本から積替えを行う
・・工事費:20,442,030円 内訳:国費補助金:17,051,000円 県費補助:1,20,3000円 町費補助:1,20,3000円 神社負担他:985,030円・・・費用もすごいですね!





          

本殿の裏山にある・・・ご神木「夜の間杉」・・・「願かけ鈴」
          
ご神木「夜の間杉」・・・「願かけ鈴」
ご神木「夜の間杉」・・・樹齢600年
「願かけ鈴」

この鈴の緒はご神木に繋がっています
思いを込められ強く引いて鈴を鳴らし、ご祈念ください
・・・案内板より引用

キッチリ・・お願いをしてまいりました!
拝殿から境内を・・・

百人一首の絵馬・・・写真上、左の建物・・

この舞台に掛けてある百人一首の絵馬は江戸時代後期弘化三年(1846年)の作で百人全部の歌が揃っている例としては全国的にも非常に珍しく、当時のこの里の文化水準を示す証拠の一つです
ブルーシートが引かれてあり、土足であがれます・・すべてを拝見できますよ!

御形神社の水流し・・ご神水と南天

当社は古くから、健康・病気平癒のご神徳著しい神社として信仰されています この手水鉢の水は、神域からの湧き水を利用しており、神様の恵みが宿っています
叉、南天の木も古くから「難を転じて福となす」縁起木として知られています 用紙(溶ける紙)に貴方に起こった嫌なこと、忘れてしまいたいこと、治したい病名などを書いてこのご神水に浮かべて下さい
水に溶けて消えてゆくように、ご神水を南天が貴方の悩みを水に流してくれることでしょう・・・
はい、悩み多く、病もあります由、すべて神水に流していただよう、お願いいたしました・・m(_ _)m

旧一宮町・・のマンフォール
・・・中央に旧一宮町の町章と「町をきれいに」と書かれ、周囲に 町の木スギ、神事芸能のチャンチャコ踊り、町の花キク、福地渓谷をデザイン・・汚水管マンホール蓋


と、いうわけで、兵庫県宍粟市、初めての神社巡りも終わりました・・・
播磨国一宮、伊和神社、そして、・国指定重要文化財、御形神社本殿・・よかったです!

しかし、まだまだ、参拝していない神社があります・・・
式内社-大倭物代主神社、式内社-與比神社、道間違えた、山崎八幡神社・・など・・
叉の機会に伺いましょう・・

帰途は、さぁ、どのルートで帰りますかね?・・





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