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2016年4月29日

鴨神社・・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県丹波市市島町梶原537!

兵庫県丹波市春日町多利に位置する、阿陀岡神社を尋ねました・・・
下図の赤の線が、阿陀岡神社・・鴨神社まで、ホント、すぐです!・・休憩さえ、出来ません・・(*^_^*)


鴨神社の由緒・・
御祭神 賀茂別雷命
創建は賀茂縣主真蓑にかかるとの口伝があるが不詳である
応永二十八年(1421年)「再造鴨大明神社殿」の棟札があり、禰宜賀茂縣主経良の名が記されている
天正七年(1579年)明智光秀の丹波攻めにより兵火にかかり、社殿ほか一切焼失した
現在の本殿は延宝八年(1680年)に、拝殿は文化八年(1811年)に再建されたものと伝えている
江戸時代、鴨郷(加茂乃庄)九か村の総社として、地域住民の尊崇を集め、四社(鴨神社と貴船神社、八幡神社、春日神社)を合祀したことから当時は鴨四座大明神と称し、氏子六百四十戸を擁したという
時の領主旗本川勝氏の崇敬の念篤く、神社の繁栄維持に勤めた
大正十三年五月に郷社に列せられる
境内面積約二千四百坪、本殿の両脇に二社と一社を配し、祝詞殿に続く東西十間南北二間の広さの拝殿、それを三方の塀で囲んだ社殿は壮観である 戦後に宗教法人鴨神社となる
一の鳥居(大正三年三月再建、柏原中井権次彫刻)の脇に御神木の天然記念物・大公孫樹(推定樹齢数百年、高さ20m、幹周6m)がある

参考・・・京都・上賀茂神社の御祭神も当神社と同じく賀茂別雷命で、神社の正式な呼称は賀茂別雷神社という 同、下賀茂神社は賀茂建角身命と、娘、玉依比売命が御祭神である 玉依比売命の子が賀茂別雷命であることから賀茂御祖神社が正式名称 賀茂建角身命は丹波国の伊賀古夜比売命を妻に迎え玉依日子命と玉依媛命の二人をもうけ、兄の玉依日子命は後に父のあとを継いで賀茂縣主となる
・・・案内板より引用

彫刻は・・中井権次一統の資料では、中井権次橘正胤とのこと・・・

この由緒を熟読して・・・うん? 一の鳥居?・・・無いのです、見つかりません・・・さて、後で探すか?
狛犬・・台座には、文久三年(1863年)とよめる・・
随身門内より、拝殿をみる・・・・・・写真、全体、正面からは全景写りません・・・(^_^;)
東西十間南北二間の拝殿・・
向拝・・龍!
拝殿内・・神額、左から、春日神社、加茂皇大神、八幡神社、貴船神社・・・
左手から、塀に沿って、回ってみますね!
・・・本殿、背面・・・
本殿、真裏に・・柿本神社
本殿、右手から・・手前の社殿は、八幡神社・・
楠木・・・
・・・右手に随身門・・
拝殿内、奉納絵馬・・・
・・・案内板によれば、「桃園義盟圓」長澤蘆州(丸山応挙の高弟で蘆雪の義子)の画を蔵とある・・
この絵馬類は、文字判別不可・・・



拝殿・・蟇股

社頭から、見渡せば・・・おおぉ、鳥居発見・・・一の鳥居です!
・・・鳥居越しに見える森が、鴨神社の社叢・・・

      鳥居、神額・・・兎毛通が、案内板の説明であった中井権次の彫刻か?・・・

        御神木の天然記念物・大公孫樹
        隆盛のころは推定樹齢数百年、高さ20m、幹周6mだったのでしょう・・ね!!

御神木・・・大公孫樹を守る会・・日本樹木保護教会より、手術と治療が施されたと・・・
結果、写真上のように、若葉が・・・元気でね!



田の中に位置する、鴨神社・・このように田、畑の中に位置する神社の参道は長く・・・おやっと、思ったところに、鳥居があることが多いでね!

そして、東西十間南北二間の拝殿もお見事でした!


参拝日:4月15日





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