ページ

ページ

2016年3月28日

粟鹿神社・・・市指定文化財を巡って・・兵庫県朝来市山東町粟鹿!

兵庫県朝来市山東町粟鹿 粟鹿神社・・・市指定文化財を巡っています

粟鹿神社・・・式内社(名神大社)、但馬国一宮、旧社格は県社、但馬五社の一社
但馬国随一の古社であり、2000年以上の歴史があるとも言われる・・・
境内です・・・
勅使門・・・朝来市指定文化財
朝来市指定文化財 栗鹿神社 勅使門

勅使門は、勅使が神社に参向する際、出入りする門である
栗鹿神社では、四回の勅使参向があったことが記録に残っている
創建年は不詳 桁行3.95m、梁間3.3m 妻造りの四脚門形式で、建材は大部分が欅である
屋根は現在銅板葺であるが、以前は桧皮葺であった
柱は、上下に粽を施して基盤の上にたっている
柱上の組物は、中備えの三斗詰組、海老虹梁、木鼻等は唐様の手法を示している
本柱間の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽根板には鳳凰が刻まれている
頭貫には簡単な唐草模様が見え、全体的には唐様ではあるが、妻梁を受ける本柱からの挿し肘木は天竺様の手法がうかがえる
度々の災禍も免れたと伝えられ、数少ない遺構の一つである

両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽根板には鳳凰が刻まれている(写真は左面)


随心門・・

朝来市指定文化財・・・栗鹿神社木造著色随身倚像(一対二体)
栗鹿神社木造著色随身倚像(一対二体) 木造著色倚像(一対二体)は随身門に安置されている

随身倚像の製作年代は、両像とも銘文は記されていないが、随身の像内に入れられた棟札から、江戸時代前期、宝暦五年(1755年)に修理されたことが判明する さらに棟札の裏には天和三年(1683年)に再興されたと記されている 台座は候補で、色彩は殆ど剥奪し、像内に修理時の補材が見られるが、造立当初の姿をよく留めている

木造著色倚像(阿形)は、随身門の南東部に安置、総高117.6cm 像高82.2cm 一木造(内刳なし) 彩色、彫眼
左右に緌を付けた冠をかぶり、口は少し開けて顔をやや左に向ける
朱色の袍を着て、表袴をはき、五本の矢を挿した胡簶を背負う
右手に弓を左手に太刀を持つ
木造著色倚像(吽形)は、随身門の北東部に安置、総高122.1cm 像高87.3cm 一木造(内刳なり) 彩色、彫眼
左右に緌を付けた冠をかぶり、口を閉じて顔をやや右に向ける
黒色の袍を着て、表袴をはく 左腰に太刀を佩き、五本の矢を挿した胡簶を背負う
朝来市指定文化財・・粟鹿神社著色狛犬像(一対二体)
随身門に安置されている
狛犬の製作年代は両像とも銘文は確認できない
迫力のある表情や力強さが見られる作風は、鎌倉時代風であるが、背筋の後半が湾曲しているのは、製作年代が新しいことを示すものと思われ、江戸時代前期の製作と推定される
台座は後補で、彩色もほとんど剥落し、足先にやや傷みがみられるが、力強く迫力のある当初の姿をよく伝えているのは貴重である

狛犬(吽形)は像高97.6cm、像長85.9cm木造、彩色、彫眼
左足を少し前に出して座り、口を閉じてやや右を向く
頭上に一本の角を出したたてがみは、直毛で房状に表している
狛犬(阿形)(正式には獅子)は像高89.4cm、像長88.3cm木造、彩色、彫眼
右足を少し前に出して座り、やや左を向いて開口する
たてがみは巻髪

いい顔して、はりますね・・・! 写真左下:狛犬(吽形) 写真右下:狛犬(阿形)

拝殿、本殿・・
・・・なんでしょう・・ここは神域・・静寂のなか、この地に居るだけで、空気の流れ?、風?といい、ななにかに包まれているように感じられるのですが・・・私感!
0拝殿正面・・・
本殿・・神明造
祭神は、彦火火出見命・龍神・豊玉姫・・・
・・・・後方に小山?が見える・・・後述します・・・
社殿前、狛犬・・・
         
拝殿前、石灯籠・・天明五年(1785年)とよめる・・
    
境内にて、落枝を集めていた、神社の関係者の方とお話しることが出来ました・・・
その方が・・・あの杉の木に上からまっすぐ白く見える筋が見えますか?
・・・・あれは、落雷で、雷が走った痕ですよ・・・って、・・・おおぉ、すごいですね!
          
天満宮、仮殿・・・
杉の巨木の根元に別の木の種が落ちて、若い木として、成長している・・
そして、別の神社関係者の女性の方ともお話ができ・・・
・・・写真下の「藤」・・・見事な藤が咲きますので、五月上旬にでもお越し下さい・・って!
そして、あの「竹田城、二代目城主、お手植えの藤です」・・って、教えて頂きました・・(*^_^*)
社務所、左手に、奉納額が・・・
社務所、右手には、鉄砲か? の奉納額がありました・・

本殿の後は、こんもりとした、山・・それは、古墳と、教えていただきました・・・
・・・境内には、どこにも表記はない、いや、しないようです・・・

謎は調べないと・・ググってみると・・・
粟鹿神社は日子坐王終焉の地ともされ、その塚もあり、本来の祭神は日子坐王ともされるが・・・


山東町指定重要文化財・・・粟鹿神社、社叢林・・約3.4ヘクタールあるらしい・・・
文字、判読できないが、前出の関係者の方よりお話を聞きました・・・
粟鹿川を渡って・・・正面の見える高架、北近畿自動車道を、走り、帰途へ・・・
いや、なにか、わかりませんが、すがすがしい気持ちになった神社、境内でした

そして、お二人の神社関係者のお二人の方とお話ができ、色々とお聞かせ願いました・・・
   ・・・いつか、どこかで、感じることが、出来ると思います・・・と、 ・・

但馬国一宮について

但馬国一宮は出石神社と当社の二社とされる。但し、いくつかの資料で異なっており、鎌倉時代の但馬国大田文では当社を二宮としているが、室町時代の大日本国一宮記では当社を一宮に挙げ、出石神社が記載されていない。現在は両社ともが但馬国一宮を称し、全国一の宮会に加盟している・・・Wikipediaより引用

是非、一の宮を巡拝下さいと・・・・わぁ、これは大変です・・・また、目的が増えました・・(*^_^*)

で、淡路国、伊弉諾神社も・・一の宮・・・はい、今年、1月に、参拝いたしました!

追記:この粟鹿神社のすぐ側に、中井権次一統の足跡、見事な彫物の當勝神社があります
ということで、この付近は、何度も走ったのですが・・・ね・・(^_^;)
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/04/blog-post_48.html




参拝日:3月17日





0 件のコメント:

コメントを投稿