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2016年2月2日

静思館・・・国登録有形文化財、兵庫県猪名川町!

兵庫県猪名川町立 ~国登録有形文化財~ 静思館・・・

以前、この静思館の前の道は、よく走っていました・・・が、最近は通ることもなく・・・
しかし、所用で、通ることに・・そう、何年ぶりかなぁ?・・で、訪れました・・静思館!
と、いうことで、長文になりますが・・・m(_ _)m
猪名川町立静思館は昭和59年(1984年)に旧冨田家住宅を譲り受け、文化の向上に役立てる目的で一般に公開している文化施設です。

「静思館」という名称は深い緑と清々しい空気に恵まれた自然環境の中にたたずみ、来館者に憩いと静思の場を提供する建物であることから名付けられました。 旧冨田家住宅は冨田熊作氏が出身地である猪名川町上野に、敷地面積2,505(759坪)、建物面積534.3㎡(162坪)を有した大邸宅を、昭和7年(1932年)から3年の歳月をかけて建築したものです。 京都の棟梁、斉藤宗太郎が手掛け、総工費は当時の金額で約10万円(昭和7年度の中谷村の予算の2倍以上に相当する)ともいわれています。 外国人客などを接待するという目的にそって、すべてのものが計画的に設計された建築物であり、ほぼば当時のまま現存しているのはとても貴重です。 建材は北山丸太、丹波松、尾州檜、唐木などあらゆる銘木が用いられ、精魂の限りを尽くして建てられました。 江戸時代からの民家の様式を用いているようにみえますが、きわめて近代的な要素も併せ持つ住宅といえます。 昭和62年(197年)に「ひょうご住宅百選」に選ばれ、さらに平成16年(2004)には国登録有形文化財に18件が登録されました・・・配布パンフより引用


手入れされた植木の間を進みます・・

表門・・図面:No2
・・・・虎の置物が・・見張っていますね(*^_^*)・・・
屋敷の南にあり、主門は両開板戸で西に潜戸がついています。門前の「貴船石」で造られた雨落は貴重です。
西に門座敷8畳、泉に農具物置があります。


図面No1:主屋(しゅおく)・・・
茅葺屋根、木造平屋建という純和風建築の外見ながら、小屋組はトラス(鉄筋構造に用いられる)構造になっています。
内部は西に土間、東に2列6室を配し一各東側に座敷棟とトイレがあります


さぁ、はいりましょう・・・
          
パンフより、図面を・・・

煤で黒光りしている土間、 おくどさんからみる・・居間!
・・・太い梁と、時計の大きさが・・時が止まっています!・・・
奥座敷の床の間・・・
・・・北山丸太の床柱・・・そして、床框 地板、落し掛け、長押 銘木らしい・・床板ではなく畳です
見事な輝きのある、床框
その床框に秘密がありました・・・上の写真と比べて・・下は、そう、漆塗りなのです!
なぜ、上下写真が異なるのか?・・・秘密です・・・想像して下さい・・(*^_^*)
・・・管理の方がそっと、教えていただき、見せていただきました・・・
次の間・・床の間の床框・・・
堆朱とのこと・・朱漆を何度も何度も塗り重ねて厚みを持たせた漆を彫刻した作品
床柱・・・う~ん? 忘れました・・m(_ _)m

当屋敷旧主・・・冨田熊作氏・・館内展示より
明治5年(1872年)、中谷村上野(現:猪名川町)で酒造業を営んでいた 富田太郎右衛門の次男として生まれました。先祖ほ宇和島城主富田信濃守の流れを引く旧家でしたが、 家業の衰退により12歳の時、神戸にあった池田合名会社(骨董質易商)に勤めました。 その後明治36年(1903年)に山中商会(東洋古美術を主とした質易会社)に入社、ほどなくロンドン支店長として英国王 室などの大コレクターを担当しました。大正11年(1922年)50歳で山中商会を退社後、京都で美術商を営み、スイスの大富豪アルフレッド・バウアーのコレクション収集を手掛けたことは有名です。 第2次せ界大戦勃発前までほぼ毎年のように日英間を往復していましたが、事業から引退した後は京都も引き払い、昭和28年(1953年)81歳で亡くなるまで、故郷の中谷村で浄瑠璃や囲碁、将棋などの趣味を楽しみながら余生を過ごしました
・・・配布パンフより引用


バウアコレクションに関連する記事・・・館内展示より

明治から昭和に活躍した熊作氏は、た いへんな審美眼の持ち主でした。

英国王室や万博などの東洋古美術コレクションを扱う貿易会社でロンドン支店長を勤め、退職後は京都で古美術商を営 みました。

彼がスイスの大冨豪、アルフ レッド・バウアー氏のコレクション収集に尽力したことは有名で、ヨーロッパでも名高い「バウアー・コレクション」は 現在もジュネーヴの極東芸術美術館で永久保存されています
・・・配布パンフより引用

縁側にも、一畳の畳があります・・
・・・ガラスはすべて、大正ガラス・・歪みがまた、よき景色です・・写真ではわかりづらいですね!
そう、この庭の景色をみるために畳をしつらえたかも・・・・
・・・それにしても、見事な松・・・奥の蔵は、図面No4の書斎蔵・・・
図面No3:茶室・・・
・・・土間の立礼席が設けられています・・
茶室のふすまの取っ手・・・青磁ですね!
北の部屋から見る・・ふすまの絵柄がいいすね!

小の月を表す丸板・・・大の月もありましたね!
・・・煤にまみれた、梁、壁・・
おくどさんを・・・
・・・左端の釜はお湯を、その右は、酒のお燗専用の鍋?・・・
いぶし竹・・・大変貴重なものとのこと・・・
・・・この竹の隙間から煙りが茅葺きへ・・防虫効果があるとのこと・・
見事な梁、二の柱・・

図面No12: 給水塔・・
水道の無い時代・・・自家給水システム? 井戸水を貯水タンクに溜め、宅内へ・・・

櫓の上に貯水槽を設置し井戸水をポンプで汲み上げ、落差で主屋などの水道管に水を送っていました・・・当時珍しかった水洗トイレ(図面☆2)にも使用されたと・・・
図面No3:茶室・・・
図面No4:書斎蔵・・・
・・・熊作氏の書斎として使われ、外壁は漆喰塗、床暖房が設置されています・・畳下に鉄板を敷き、その地下室に(火床)を設け籾殻や炭火などを利用して暖めました
敷鴨居などは、白檀が使われ暖房時には芳香が漂いました・・・
図面No7、6、5:右手前から衣装蔵、中蔵、乾蔵 図面No12:中央は給水塔
図面No15勝手口からみる・・・
・・左手前から・・道具部屋、炭部屋、味噌部屋・・庇が連なっています・・弁柄塗がきれいです
奥、乾倉・・土蔵造、切妻の瓦葺、敷鴨居などは白漆喰・・
図面No11:味噌部屋・・図面No5の左手前にあります
          
図面☆3:氷室・・・
・・・奥行約20m 左右三カ所ずつ別れている 戦時中は防空壕として使われたと・・・

図面No8:柴部屋・・
・・木の部分は弁柄塗りで主屋と外観を揃えていると・・

主屋・・・近年、茅葺き葺き替え工事がなされたようで・・・
・・・あの茅葺きの里、美山より、職人さんが茅持参で、葺き替えたと・・・その総費用、約2000万円らしい
・・・それだけ、この茅葺屋根の大きいということです・・
図面No14:庭塀・・・
・・表門の東端から主屋南面の式台東側に至る瓦葺塀です・・表は板張り、庭側は杉皮?檜皮?
石好きにはたまらない石らしい・・・説明聞きましたが、覚えていません‥m(_ _)m

図面No13:供待ち・・・
・・・来客のお供の人の待機所・・柱の間は解放され、小壁は土塗りです

図面No18:番小屋・・・
・・・入り口に土間、二畳間、押し入れ、四畳半、ぬれ縁、トイレがあります
図面No17:井戸小屋・・・
・・・井戸を囲む上屋です
探索中、発見した・・品・・・
・・写真左下、おくどさんの上にあった、布袋さん  写真右下:壁上部にあった非常用、よく分からない?
・・写真左下、富田家の提灯、わらじ  写真右下:放水ポンプと、火鉢・・・
いやいや、凄いお屋敷です・・猪名川町最大のお屋敷・・・
商いのための、迎賓館として、お客を招いたとの説明を聞きました!
そして、さらに、昔、昔、この猪名川町は、川西市の多田神社の荘園でもあり、五豪族がおり、交代で多田神社を管理したと・・・・お話を聞きました
多田神社といえば、源氏の発祥の地・・
http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2015/04/blog-post_57.html

この川辺郡猪名川町近辺も何カ所かは訪れましたが・・さらに探れば興味深きこと多そうです!








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