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2015年12月3日

鉱石の道・・・羽渕鋳鉄橋と、生野義挙関連史跡・・・兵庫県朝来市!

       国道312号線、生野北峠、標高312mの峠を越えて、北へ走ります・・
            

左手に、鉱石の道・・「P」がありました・・・ちょっと、立ち寄っていきます・・・

鉱石の道とは、明治中期から昭和62年の明延閉山まで、明延鉱山、神子畑鉱山、生野鉱山の3鉱山を結んで鉱石を運んだ道です
周辺には近世以降の産業遺産が多く点在しています・・・案内板より引用

羽渕鋳鉄橋・・・県指定文化財・・・なかなか、すてきな橋ですね!

羽渕のめがね橋の愛称のあるツースパン(二連アーチ)の美しい様式鋳鉄製の橋である
明治28年頃に鉱石運搬用として神子畑から生野の間に五つの橋が架けられたというが、現在、神子畑鋳鉄橋(国指定文化財)と羽渕鋳鉄橋の二つしか残っていない・・
しかし、一度洪水に流されたため修復されているのがおしまれる・・

橋長:18.27m 幅員3.6m

・・・案内板より引用
橋の下へ降りる階段・・・草繁り、途中から・・見上げて、パチリです

羽渕鋳鉄橋の国道を挟んであるのが、生野義挙関連史跡・・
生野義挙関連史跡・・生野義挙志士殉難之地(史跡)・・朝来市指定文化財

江戸時代の終わり、幕府を倒して新時代を開くべく、生野代官所を占拠した事件を生野義挙という
文久三年(1863年)大和義挙が不成功に終わるとともに生野義挙も失敗に終わった。その時の隊長が長州藩出身の南八郎(二十一歳)である。
戦いに敗れた南八郎以下十三人はこの地の山伏岩に「今月今日討死」と血書して八人は切腹し、他は付近で討死した。
後に京都より送られてきた同志四人を加えて十七名の志士の碑が建てられている・・省略・・・
・・・案内板より引用
山口護国神社とある・・・
中央に建っている「殉節忠士の墓」の文字は明治新政府首相西園寺公望の揮毫である・・・・・案内板より引用

鉱石の道・・明延鉱山、神子畑鉱山など、来春になったら、訪れてみようか?
この地は、冬、寒いから、雪積もるかも・・・ね!

では、この先に鎮座する、三柱神社へ向かいます・・・そう、中井権次の足跡です!

続きます・・・・・


訪問日:11月26日





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