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2015年4月26日

黄檗山、萬福寺・・・京都府宇治市!

黄檗山、萬福寺・・・1661年、中国僧、隠元禅師によって開創されました・・・
隠元禅師・・長崎の旅の備忘録、2014年12月に記しましたが・・・
1654年、長崎、興福寺に入り、そして、崇福寺に移る・・・と、あります!

懐かしく、長崎の旅が思い出されます・・・
写真左下:興福寺・・・http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2014/12/blog-post_26.html
写真右下:崇福寺・・・http://a-shi-a-to.blogspot.jp/2014/12/blog-post_64.html
この寺院にて、隠元禅師の名を知ったわけです・・御歳63歳、弟子20人とともに中国より渡ってきたのです!

さぁ、京都府、宇治市・・黄檗山、萬福寺を尋ねます・・・
なぜか?・・TVにて京都、古寺名刹、こころの百景という番組で、黄檗山、萬福寺を知ったわけです!

満福寺より配布されたパンフから地図から引用

「P」は右端上・・
大駐車場ですが、境内の脇に町の道を降りて行き総門まで歩かなければなりません・・・(^^;)

「P」料金・・90分/500円

総門です・・・牌楼式の門(漢門)
インドの想像上の動物で摩伽羅・・足がはえ、鯉が龍に変身する様子は将来修行成就を暗示するものです・・とのこと!(TVで説明がありました)
・・扁額「第一義」・・

黄檗宗大本山満福寺・・総門の右手にある案内書・・満福寺の伽藍などの説明文は、ほとんどが手書きである・・・

寛文六年(1661年)隠元禅師開創、境内四万一千余坪の禅宗大寺院、国内でも数少ない七堂伽藍が左右対称に居並び、山門、天王道、大雄宝殿、法堂と一直線に配置され、老松とともに中国情緒を醸し出す 主要伽藍二十三棟の堂宇は明朝建築様式を誇り、その回廊にいたるまで、国の指定、重要文化財である 総門の扁額、第五代高泉書の「第一義」は禅の本髄を如実に顕し正当な法脈を受け継がれていることを証しており扁額四十面、聯額四十四対ともに重要文化財である 境内全域は寺院の守護神「龍」を表し総門の左右には「龍目井」を配している(見落としました)
総門をくぐって進むと、右に直角に曲がります・・中国では魔物は真っ直ぐしか進めないとされ魔除けのための影壁を設けたのです・・

三門・・・
三門の扁額・・・「萬福寺」・・と、思います・・m(_ _)m
このような形で、扁額、聯額が対でみられます・・・字、読めませんが・・・

龍の背中のうろこ石を表した石敷が並びます 
その先が、天王殿・・・後ほど・・左折して開山堂へ・・順路が逆でした(^^;)
重要文化財・・通玄門(中和門院御宮跡と石碑がある)
重要文化財・・松隠堂  
寺年表によれば、寛文四年(1664年)隠元禅師73歳にて松隠堂に退隠とある
丸い鉢は、蓮の花のようです・・各々種類が違うようです!

開山堂・・・重要文化財・・
卍崩の勾蘭がありますね!

開山堂から天王殿へ回廊を回ります・・
開山堂の天井、黄檗天井ですね!・・・そして、柱の下の石は黄檗様独特の礎盤です・・

重要文化財・・寿蔵
・・・隠元禅師の生前に築造された墳墓

回廊途中にある「合山鐘」・・
          

天王殿へ回廊をすすみます
扁額・・天王堂
弥勒菩薩座像の化身とする、布袋尊は吹田市博物館へ出陣中とのことです・・・
堂内・・四天王立像・・・

韋駄天立像・・見事です(范道生の作)
萬福寺の仏像27体が、中国人仏師、范道生の作であると・・・
         

正しい順路へ戻ります・・・重要文化財、鐘楼です、合い対面する鼓楼と同じ姿です!
鳴物は絶対に打いてはいけません・・黄檗山 禅堂 と、注意書きがあります!
雲版・・・雲の形をした法具で、主にお堂への出頭を促す合図を送るための鳴り物です。雲は雨を降らせることから恵みの象徴であるとともに、火事や災害を防ぐ意味もあると云われています
この雲版・・寛文元年(1661年)の年号が見える・・
開梆・・隠元禅師が日本に伝え木魚の原型と云われている・・
不眠不休の魚のように眼を見開いて修行しなさいという戒めであると・・
右側に下がっているバットのようなもので打つのです・・TV放送で見ました
魚板、へこんで、バット、ささくれていますね!
魚梆が玉を喰えているのは、私達人間の心になぞらえて三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し「貪嗔痴」の三毒を表しております
この三毒のない世界を極楽浄土と申しております
自分の三毒を浄化し行事儀式を行うのです・・合掌
重要文化財・・齊堂
食堂です。中央には緊那羅王菩薩が祀ってあり、約三百人が一堂に会して食事することができます。表の額と聯は木庵禅師筆でともに重要文化財です
魚梆(魚板)は木魚の原型になったもので儀式や行事の時刻を報じる時に打たれる当山の時計にあたるものです。
雲水が棒で打つと山内の隅々まで響き渡る音が出ます。堂前の生飯台は食前に一箸の飯と餓鬼や鬼子母神などに施しをする台です


生飯台・・・食前に一箸の飯と餓鬼や鬼子母神などに施しをする台です
       

大雄宝殿・・
本堂です。最大の伽藍。日本では唯一最大のチーク材を使った歴史的建造物です。本尊は釈迦牟尼佛。脇侍は、釈迦の十大弟子の両迦葉尊者、阿難尊者の二尊者。両単に十八羅漢像を安置しています・・ともに、明朝時代の仏師、范道生の作である

実際、本堂内を回れば、黄檗宗では、十八羅漢像から見られているが如き感があります
梵相 奇古にして厳然として生なるが如く・・と云われています・・
圧巻は、「人間誰しも自身の内に仏を宿しているのです」釈迦の子、羅怙羅尊者像です・・(写真がなく残念です)

大雄宝殿・・重要文化財・・
屋根の端の反り返りと宝珠が明様式、入母屋造、本瓦葺・・
左右の丸窓(右、見えていないが・・)は、太陽と月を表していると・・
扁額、大雄宝殿は隠元禅師筆・・
二代木庵禅師筆・・「萬徳尊」


法堂・・重要文化財
須弥壇に住職が登って説法し衆僧は問答によって所信をみがくところ、お授戒もここで行われます
扁額の、獅子吼は当山開山の師匠徑山費隠禅師筆

扁額の、「獅子吼」は当山開山の師匠徑山費隠禅師筆
卍崩しの高欄が特徴です!

写真下:法堂で、・・回廊から全てのお堂の前の敷石、呼称が分からない・・m(_ _)m・・見事である
後で、ググってみました・・瓦を斜め45度に敷いています・・四半敷きというらしいです

ここ法堂からの眺めが最も中国らしさが感じられる場所とのこと・・・
法堂から見た、大雄宝殿(裏面)・・
二階建てに見えるが、実際は一階建て・・裳階を配している・・・
禅堂・・重要文化財
左下、巡照板・・黄檗山の一日、朝の巡照板によって始まり、夜の巡照板によって終わります
「撰佛場」・・・開山禅師筆
「止静」の木札が下がっている・・・ググってみると・・ 坐禅をはじめました・・とのことらしい!
「シィ~!!」と静かに通り過ぎました・・・m(_ _)m
祖師堂・・・重要文化財

これで、一通り境内、伽藍、拝観が終わりました・・・・

広大な境内、平等院鳳凰堂と打って変わって、ほんの数人・・静寂の中、中国の明朝様式を取り入れた伽藍配置を拝観させていただきました・・静けさは、すばらしいことです!

日本三禅宗・・臨済、曹堂、黄檗の一つ・・
いんげん豆、レンコン、スイカなどそして孟宗竹も・・など、隠元禅師が新しい文化、風習を持ち込みました!・・
黄檗山宝蔵院は、1669年一切経の版木の完成を志した鉄眼禅師が、隠元禅師から黄檗山内に寺地を与えられ、十七年かかり、版木、六万枚を完成された・・
そして、その版木で刷られたものを二つ折りすれば、冊子となる書式は400字詰めの原稿用紙の元になったのも、この一切経の版木からといわれており ます。
そして、印刷書体、明朝体もここにルーツがあったのです
今日の「図書・印刷」も、鉄眼禅師が文化のルーツとされるところです・・・そして、そこには黄檗文化があったと・・・説明がなされていました!

TV放送番組、古寺名刹にて知った、萬福寺・・その地を訪れることができました・・!

TV放送番組・・説明の結びは・・「即今 当処 自己」・・・いまここで生きる・・・禅の教えの根本・・と!


備忘録は、多分、今まででのなかで、最長になったと思います・・
私の備忘録、記憶にとって写真一枚、どれ一つ無くてなならないものですので、ご容赦を・・・・m(_ _)m

ここまで、お読み頂いた方、ありがとうございました・・・・

訪問日:4月24日








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