商用にて、前を通過するのだが、参拝用「P」はあるが普段、厄除け祭り以外は「P」させないのか、鎖で閉ざしている・・・・
周りの農道にも「P」できる場所もなく・・波豆管理施設なるものがあり、その広場に「P」させていただいた・・・ホッ!!・・・何度、参拝しようと思ったことか・・・! 「P」の案内さえ無い・・う~ん? |
祭神は、誉田別尊(応神天皇)・・・
由緒・・
神社所在地一帯は多田源氏の荘園であった波豆庄で、源満仲の弟・源満政が創建したと伝えられる。川辺郡波豆村の村社で、集落を見下ろす高台にあったとのこと・・
昭和6年(1931年)に完成した千刈ダムにより、波豆集落は水没。参道下部も水没し、鳥居は移設された。このため、参道はダム湖(千刈水源池)へ向かっている・・・Wikipedia引用
管理施設の横から参道?を進むと・・・拝殿、本殿が現れました・・・
拝殿から、参拝して・・ゆっくり、ウロウロさせていただきます・・
宝塚市、此の付近?にある神社は、覆屋で守られているのが多いのか、本殿のお姿は容易には姿が見ることはできませんね!
本殿、案内板、説明より引用・・・
ここ、波豆八幡神社は、簡素な覆屋のため、横から、後ろから、本殿を拝観できる
本殿右前に手書きの由緒書きがあるが、私のカメラでは、無理・・あぁ!!
狛犬が睨んでいるね・・・ごめんね!
石造鳥居:県指定文化財です
兵庫県指定重要有形文化財 この鳥居は室町時代の応永三十二年(1425年)に八幡神社参道入り口に立てられた。 地元では波豆川西岸の石切場から川底に青竹を敷き並べ、その上を引っ張り上げてきたと言い伝えられている 千刈水源池に際して現位置へ移された。 三田市藍本の酒垂神社にある応永二年(1395年)の石造鳥居は同じ波豆産出の流紋岩製で構造、形式も同一であることから同人または同系の石工の制作と考えれている。 中央高 約3.7m、流紋岩製 |
兵庫県指定重要有形文化財・・波豆石造美術群・・
五輪塔、宝篋印塔、板碑・・宝塚市指定文化財、宝篋印塔
写真右下: 五輪塔、康永二年(1343年)
写真右下:宝塚市指定文化財 宝篋印塔 14世紀後期
そして、未だ芽吹かず、もうすぐ新緑・・そして、此の山の色づく紅葉時期もまた、ステキです!
やっと、訪れることができた、波豆八幡神社・・・やはり、いいところでした・・・!
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