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2015年3月5日

文保寺・・中井権次一統の足跡を巡って・・兵庫県篠山市味間南!

天台宗 松尾山、文保寺‥

文保寺への入口は、篠山市指定文化財、楼門が迎えてくれます!
そう、この姿です・・・大昔、仕事中に来たことがあるのです‥決してサボってはいませんm(_ _)m


鎌倉の建長寺を模して建立されたと伝わるが、当初の門は天正年間(1573~1592)の戦乱の際に焼失したとされる。現在に伝わる門は再建されたもので、時期は明確ではないが、天正末期と考えられる。下層部は大正十四年に改修されているが、上層部には彩色の痕跡が見られるなど再建時の部材が使われている。
三間一戸の楼門で、屋根は入母屋造、銅板葺で、肘木は禅宗様であるが全体として和様を基調としている。室町時代の様式をよく伝えており、篠山市内の楼門では最も古い時代の建築物として大変貴重な文化財である・・・篠山市教育委員会、案内板より引用

楼門両側に吽形像、阿形像・・・隙間よりレンズ入れて、はい、パチリ・・・です!

松尾山文保寺略縁起・・・
大化年間、印度より法道仙人来朝し、聖備山長流寺として七堂伽藍を造営、聖観音を本尊とされたが、承平・天慶の乱の頃荒廃す。正和年間、御本尊に慈覚大師作の千手観音を安置再興し「松尾山文保寺」の勅額を賜う。戦国時代末再び荒廃し、江戸時代に再興された。全盛期は二十一ヶ坊を数えたが、明治以降、三ヶ院となり、現在に至る

平成30年春・・・文保寺再興700年記念開帳法要厳修の看板と幟が、参道に並んでいます


小川‥文保寺川が流れる杉の山々の谷間の参道を上ります・・・500mはあるらしい

杉の巨木の間の参道を上ります‥昔はこの両側に坊があったのでしょうね!

この時期、花粉症の方にはたまらない光景です・・・花粉症の人は絶対来ないでしょうがね!
両側の斜面の杉、枝打ちされた杉‥見事な景色です!

見えてきました・・・左、鐘楼と、本堂です

本堂です・・・屋根、修復は終わっているのですね!

いや! 見事な彫刻です

ググってみたら、文保寺のHPで、「中井権次橘正貞作の彫刻」とありました

残念ながら本堂には入れませんm(_ _)m 
・・・写真下のような本堂扉欄間透かし彫刻がされた扉が三カ所あります・・・

向拝を下から眺めて

ググってみました・・・中井権次橘正貞とは!
「中井権次」は個人名ではなく、江戸時代:丹波柏原に拠点を移して活躍した中井家(大工職・宮大工)と其の一党で、初代中井(橘)正清は宮大工の棟梁として中井一党を率いて柏原八幡社の造営等に携わり、江戸時代の京都大工頭の地位にあった名工、名門であると・・・
その丹波柏原にあります中井家は、柏原藩お抱えの彫刻師で、その三代目が正貞です
中井権次を襲名して、多くの彫刻を但馬・丹波・丹後に残しました。 「彫物師 丹州柏原町住人 中井権次橘正貞」・・・この名は頭に刻んでおこう!‥うん、やはり、すごいね!!
先日訪れた、柏原市の柏原八幡宮、三重の塔も作とのこと・・・
その時は、なにが彫ってあるのか、わからなかったのです!m(_ _)m
これから、気をつけて隅々、観察して拝見いたしましょう!
・・・又、楽しみが増えました!!
刻銘探すのに、望遠鏡がいるなぁ・・?


法道仙人塔
愛宕社 山王社
本殿左前に位置する鐘楼・・・思わず、一突きとおもいましたが・・・あまりの静寂に‥m(_ _)m


さぁ、下山します・・参道沿いに位置する寺院を眺めながら、下っていきましょう・・・

文保寺川の対面に位置する‥林城院‥傳教大師をお祀りしているとのこと‥
眞如院‥通称上寺と呼ばれているとのこと
大勝院、通称中院・・・文保寺、寺務所です
覲明院、通称、下寺
記念事業としての、参拝者用トイレ、「P」‥完成していました!
ちょっと、拝借いたしました・・・新らしく、綺麗です・・・(*^_^*)

写真ではわかりませんが、雪がちらつき、雨に変わり、止み・・・そんな天候、寒い!!

でも、初めて知った、柏原、彫刻師、中井家一党!
いや、見事とな彫り物、堪能しました
天気の良い、緑々と葉の茂る時期に、彫刻だけをズームアップで写真、撮影巡りに来よう‥っと!

これも、文保寺のHPの一行から、解ったことです!!・・・ありがとうございます!

今後も、兵庫丹波や摂津・三丹(京都丹波・丹後・但馬)・播磨等:近畿一円の寺社を巡るとき‥
中井家の匠の作品を探すのも楽しみかも!

いろいろ、忙しくなってきましたね・・・あんた、暇なのかい!‥って、云われそうですけど!!




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