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2015年3月5日

二村神社‥中井権次一統の足跡を巡って‥兵庫県篠山市味間南!

2月19日以来の久しぶり?ちょいと遠出の一人旅、備忘録です
その日は京都府福知山市大江町の元伊勢三社巡りでした!

篠山市から丹波へ柏原へ‥いつも通る国道は176号線、その道沿いに「文保寺」の道標があります!
横目で見ては通り過ぎていました
しかし、「文保寺」の楼門‥大昔、営業中に行ったことがあるのですよ!
その折りは、「この楼門、ええなぁ!」で終わり‥奥の本堂は行っていません・・・

といったことで、、本日、天気予報は、雨、曇、でも、予定した場所には行きます!
「カーナビ君」の地図にも、
「文保寺」は表示されています
そこを第一通過目的地に‥うん?
そう、本日の目的は、舞鶴市、大川神社なんです
はい!‥また、福知山市の奥へ行くのです!

では、「文保寺」へ参ります

農道?やろね‥
走っていくと、五叉路、いや五叉路にされたのかな?
鳥居があります‥

そう鳥居をくぐる道‥参道です‥
その左手に、「松尾山 文保寺」の石碑があります
この鳥居の偏額には、「二村大明神」とあります‥「文保寺」の楼門の奥にあります


真っ直ぐ進むと、楼門へ着き、その横の「P」に「α君」を停めます
以前来た記憶が蘇ります!!

<いや、凄い杉の巨木が立ち並ぶ、山間、谷?なのです
実は、参道は、松尾山を経て、白髪岳への登山道でもあるみたいです

楼門の説明は、文保寺の備忘録で‥
まずは、楼門をくぐり、二村大明神へ参拝します!

写真左下:杉の巨木に挟まれ・・なかなか、いい雰囲気です
写真右下:手水舎から拝殿が望めます

二村神社由緒

当社は味間地区七ヵ村の惣社として古来より氏子の崇敬を集めてある。由緒によれば室町時代の文明十四年(1482年)、延喜式内社である見内の二村神社で座争いが起こった際、神宝、神器が周辺の各村に持ち帰られ、味間には御神体が御輿によって運ばれたとされる。御神体はまず西古佐村字イミノ木に仮の社を築いて安置されたが、のちに、味間村字松本に社殿を築きここを永年の鎮座地としたとある。当神社にはその時、御神体を運んだと伝えられている御輿が今も遺され西古佐のイミノ木はこれを契機に神興谷と称される。
二村の社名は、この座争いの神宝分散の経緯により見内の二村神社に則ったものと見られ味間二村神社の歴史はここを発端するのであろう。
当神社の主神は伊弉諾命と伊弉再命である。 明治41年に御霊神社のほか五社が合祀される。 特に記するべきは明暦二年(1656年)に境内地に祀られた波多野秀治の御霊神社である。・・・二村神社由緒案内板より引用


拝殿

本殿‥割拝殿も見える(もう少し慎重に撮影すべき(^^;)

境内社‥
写真左下:本殿右側 八幡神社   写真右下:本殿左側 天満神社
御輿庫
上の御輿庫の隙間から‥レンズ差し込み、パチリです!
三体ありましたが‥残念ながら、由緒に記されている御輿かどうかわかりません
狛犬阿形
~あれ? 吽形の写真がない~ ‥あれ?

拝殿の見事な彫刻!
本殿妻飾の彫刻
本殿左側から
なかなか静かな佇まいの気の中の神社でしたね!

由緒から、明智光秀やら、波多野秀治、八上城が記されており‥やはり、この篠山の地域の歴史は興味深いです‥

では、二村神社から、文保寺へ参りましょう‥

追記:後日、彫刻は中井権次一統と思われるとの、文言も見つけました
    文保寺と本堂と同じ彫物師と思えますね‥


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