さて、昼食です・・食事処は決めています・・・
文化財、旧松井家別邸「六三園」・・そう、がんこ寿司さんが、「がんこ和歌山六三園」として営業してます
下調べの折から、旧松井家別邸「六三園」・・文化庁の文化財として、敷地内の十ヶ所が登録有形文化財の認定を受けておられるのです!
建物見学と、昼食を兼ねて・・で、伺いました!
二千坪の敷地に「北濱の今太閤」と、云われた松井伊助氏・・相場師で有名な方で・・享年69歳ですが、63歳に祝いに建てた御屋敷です!
昭和27年、当時の和歌山銀行の頭取の尾藤家の住居となり、28年より、料亭「六三園」となったとのこと!
今でも、所有者は尾藤家で、一時は、宅地開発の話しも・・現在はがんこ寿司さんが賃借されているとのこと・・(お庭付近で店員さんに聞きました!)・・文化財保全のためも含め、素晴らしいことです
到着して、駐車場・・・凄い、満車に近い状態・・・そして・・案内、文化財、北土蔵へ・・
北土蔵内で、ゆっくり・・いただきました!
建物も素晴らしいし、その雰囲気でいただく、ランチ・・ お値段も手頃で、美味しゅう、いただきました! 写真:北土蔵内、着座位置から・・パチリ! |
昼食処としての選択・・・間違いありませんでした・・嫁、満足顔でした・・「ホッ・・!」
お腹も一杯になり、さぁ、午後からの観光と・・・そう、嫁、指定の「紀三井寺」へ・・
「カーナビ君」に設定するも、距離的にも僅か・・到着です・・
紀勢本線の踏切挟んで、両側に「P」が・・踏切渡ったところの「Times」へ・・30分100円・・
その「P」から、お土産店が並び・・ご高齢の方々・・30人ばかりがご参拝に・・
紀三井寺・・今から1240年近く昔(宝亀770年)、唐僧、為光上人によって開基されました
早咲きの桜が有名な西国三十三ヶ所2番札所、紀州徳川家歴代藩主が訪れ、繁栄を祈願した寺です
紀三井寺楼門をくぐり・・受付へ・・
紀三井寺楼門・・国指定重要文化財 室町時代永正6年(1509年)建立、三間一戸・入母屋造り・本瓦葺き・・朱色が鮮やかで、桃山時代の様式も・・・・
ここで、その階段、その周りの石垣・・・和歌山城と同じく、「青石」・・
「緑泥石片岩」で、産地によっては、「紀州青石」秩父青石・伊予青石とよばれるとか・・・
ここは、紀州・・紀州青石が・・紀ノ川流域が産地とのこと・・・後ほど詳細?記します!
紀三井寺は三つの井戸、三井水と呼ばれ、「名水百選」に選ばれています・・
「清浄水」・・・楼門をくぐり、最初の石段・・そう、三つのブロックに別れている階段・・
流れ出る小滝があります・・これが、「清浄水」の湧き水とのことです・・
さぁ、石段を上がりましょう・・・右側通行・・高台だけに結構勾配きつい・・よ!
フゥフゥ云いながら・・上がりました・・・
江戸時代、宝暦9年(1759年)建立・・入母屋造り、正面唐破風と千鳥破風、本瓦葺き、九間四面、総欅造り
大勢の方が、お参りされておありました・・・
建立年代から見ると・・・多宝塔が最も古いみたいですね!
さぁ、下りましょう・・石段を・・
そう、この坂・・結縁坂といわれ、あの、紀伊国屋文左衛門のゆかりの石段なんです・・って! |
では、「カーナビ君」のとうり、最初は、三段橋、観海閣へ・・・
この三段橋・・和歌山県内最古の石橋で徳川頼宣が妹背山を整備した慶安4年(1651年)まで完成され、何度か補修されたが、橋の原型は崩れることなく現在まで継承されている
そして右手側をまわると、海に浮かぶ観海閣が現れました・・
この観海閣は、徳川頼宣が慶安年間(1648~1652年)に木造の水上桜閣として建立したものです
対岸の山には紀三井寺が見えます(写真左:赤丸部分)
観海閣、写真が・・ すみません、観光協会さんより引用 |
当時の建造物は昭和36年に第二室戸台風で流出・・現在はコンクリートで再建されたものとあります
今、干潮時・・海をのぞき込むと、潟にカニが・・今も昔も変わらぬ海の様子・・うん!・・感動です!
そして、妹背山へ上がる階段を・・
おい!、青石を切り出さず、そのまま石の階段を造っているよ!・・すごい!(写真右下)
この橋は、徳川家康を祀る東照宮の祭礼である和歌祭の時に、徳川家や東照宮関係の人々が御旅所に向かうために通行した「お成り道」に架けられたものです。
橋台のアーチ部分については肥後熊本の石工集団の施工であり、勾欄部分については湯浅の石工石屋忠兵衛の製作と推定されている。
勾欄部分には、雲を文様化したレリーフがみられます・・江戸時代のアーチ型石橋は、九州地方以外では大変珍しく、特に勾欄部分の彫刻が優れています。(案内板より引用) 写真:ズームしてみました! |
では、いよいよ、紀州東照宮へ・・!!
紀三井寺、三段橋、観海閣、不老橋と、見てきました!
紀三井寺の231段の青石の階段を制覇?して・・・
紀州東照宮・・ここも、実は、「侍坂」・・108段が待ち受けています・・
不老橋から、ほんの僅かの距離・・実は、次の訪れる場所・・和歌浦天満宮にいく予定だったのです!
向かう途中の信号で停止した右前が・・紀州東照宮の「P」だったのです!
だったら、先に「紀州東照宮」を・・・と・・はい!・・キッチリ出てきはります、駐車場係員さん・・・
ここは、1時間300円、延長1時間500円・・・と、あります!・・おお、高いな!
そこで、拝観に1時間以上かかりますか?・・いえ、大丈夫ですよ!・・少々は、いいですよ!・・って!
ありがとう・・と、言って・・参道へ・・・
元和7年(1621年)に初代藩主、徳川頼宣が創建したもので、「関西の日光」と呼ばれています
以前の備忘録、滋賀県坂本にあった、日吉東照宮・・・重要文化財の社殿は権現造の発祥とされ、「関西の日光」とも呼ばれています・・元和九年(1623)徳川三代将軍家光公の時に比叡山の麓に造営されたと、あります・と、記しました・・・ 「関西の日光」はどちらでしょうか?
徳川頼宣は、家光の叔父にあたりますし、しかし、相手は将軍ですから・・年代からは「紀州東照宮」ですね!
日吉東照宮は、修復されていない?のか、極彩色が剥げているようにも見えました・・・
どちらでもよいのですが・・・Wikipediaではどちらも「関西の日光」と記述があります<m(__)m>
さぁ、 「紀州東照宮」へ・・・参りましょう・・
なかなか、いい雰囲気の参道です・・最初に左折して、次に右折すると・・・見えてきました・・108段の侍坂!!
この坂も傾斜きつく、青石が多くの参拝者がこられて、踏まれ、すり減り、へこんだ青石・・時を感じます!(下の写真で、勾配が判ると思います)
この楼門の朱塗りの極彩色は、関西一といわれています・・と!
そう、綺麗なのです・・いや、お見事なのです・・・
ここの楼門の門番・・・右大臣、左大臣が見張って居られます(説明聞きました)・・仏教ではないのでね!
ここで、ググってきてます・・拝観料は不要ですが、社殿に入り、説明をして頂けるのです!・・一人500円・・約15分・・
疲れた嫁・・「私はいいよっ!」と・・その嫁に「そないに、いわんと!」説得して・・二人して、拝殿、本殿を一周りする、説明を・・・まずは、社殿の説明から・・・始まりました・・・
そして、拝殿、本殿の周囲に江戸初期の極彩色の精巧な彫り物、左甚五郎作を、加納・土佐派の壁絵を・・上を見上げ、屈みこんで見て・・説明いただきました
拝殿の周りの廻廊・・静岡漆塗り(説明では)見事なもので、昔は人の髪の毛にて、磨き上げたとのこと・・・今も漆色のなんとも云えない光沢が、・・素晴らしいです!
こういったことも、説明を受けないと・・わかりませんよね!
いや、全体、見事なものです・・・
そして、「私は、いいよっ!」と言った、「嫁」・・質問攻め!・・職員さん・・ありがとう!
ただ、職員さん・ちょっと、滑舌が・・・聞き取れないところが・・残念!・・お疲れかもね!
当然、写真撮影は、ダメ・・ と、いうことでいただいたパンフから、その彫刻、壁絵を・・・! 写真の場所は全て案内いただきました・・必見です! |
職員さん説明・・侍坂・108段・・人間の煩悩の数・・降りられるとき、数えていただき・・その数、ご自身の煩悩が多いか、少ないかを・・と!
え?・・二人して、数えながら、降りました・・108でした・・
これは、「紀州東照宮」さんの、帰りの侍坂の急勾配を、ゆっくり下を向いて確実に階段を踏んで降りていただく策?・・グットアイデアかもね!
そして、駐車場へ・・・なんと、40分間・・そして、次の目的地、和歌浦天満宮・・隣の地なんです
ここは、駐車場の叔父さんにちょっと、声をかけ・・、いいですよ!・・と、・・歩いていきましょう・・
ものの、数分ほどで、和歌浦天満宮へ・・
自分で数える気力が・・・ヒィヒィと、真ん中の手すりにつかまりながら・・登りました・・
そのお陰で、振り返れば・・又々、絶景・・
残念ながら、本殿・・国重要文化財・・は、拝見できません・・
建築にあたったのは紀州根来出身の平内吉政・政信親子。後に政信は江戸幕府の作事方大棟梁になった当代屈指の工匠です。
楼門は一間楼門として最大規模。本殿は国重要文化財で、内外部ともに美しい極彩色が施されています(和歌祭公式サイトより引用)
さぁ、降りましょうか・・いや!・・この勾配・・・すごいね!
しかし、手水舎に、水、ありません、いや、出していません・・!・・ 思うに、入学試験時期ではないからか?・・なぜでしょうか? だから、寂しい感がするのでしょうか?・・でも、祈願の絵馬の数は多かったけど・・・ね! 下から見上げる、石段、楼門・・さすが評判どうり・・すばらしい眺めでした・・・ |
最後に・・和歌山市の史跡、名所いたる処に使われている、青石・・不思議に感じ、聞きましたが、どなたの返事も・・?・・・なんです!
帰ってググりました・・・紀ノ川流域・・そして、青または緑色の岩石、緑泥石片岩・・紀州青石!
紀州の青石といわれる“緑泥片岩”は、和歌山では紀ノ川流域から有田川流域にかけて生産されていて、和歌山市では秋葉山や雑賀崎で石切されていました。
日本で、最も典型的に見られるのは、三波川変成帯であり、中央構造線の南側に関東山地から九州東部まで広く分布する。
関東山地の秩父盆地では長瀞渓谷の岩畳、四国中央部の大歩危、小歩危など、特異な景観をなすことで知られる。
板状に割れやすいので、中世に流行した板碑造立などを除いて石材として利用されることは少ないが、三波川変成帯の周辺にある和歌山城や徳島城の石垣には近くで産出した緑泥石片岩が使われている。
右上:日本地質学会サイトより画像引用 文:Wikipediaより一部引用 GoogleMap引用 赤丸:秋葉山、雑賀崎、和歌山城 |
「紀州東照宮」駐車場の叔父さんに、お礼を言って・・・さぁ、帰りましょう・・
同じルートをとうり・・「カーナビ君」・・よろしくね!
ゆったり、紀州徳川家・・和歌山市内の観光となりました・・「青石の階段数合計 389段」
なかなかの手ごたえのある、和歌山の旅でした
全走行距離 238km 平均燃費24km/L 「α君」・・ご苦労様!!
関連:和歌山へ・・和歌山城です
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