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2024年10月6日

姫路城 西の丸から、天守を目指します

西の丸、化粧櫓付近から、大天守を眺めています
何度眺めてみても優美なお城です
さすが、世界遺産、国宝です
今回は、特別公開の為、順路が決まっています
いつもなら、西の丸は最後に行くのですが、今回は西の丸から将軍坂へと進みます
「いの門」は通りません

小学生の団体、修学旅行か?
後ろについていって、説明を聞きたいのだが(笑)


漆喰壁がきれいになっていますね

十字紋の鬼瓦
「にの門櫓」の唐破風屋根に乗っている鬼瓦には、十字紋が彫られています
キリシタンの名残りとか魔除けともいわれますが、日本の城では珍しい紋瓦です
なお、この櫓の南面と東面の鬼瓦には、波しぶきが彫ってあります
これは火除けを祈ったものと思われます

年代から黒田官兵衛と関係はなさそうですね

いつみても、美しい千鳥破風、唐破風はこの場所から眺めるのが、私的には一番のスポットかも!

にの門

人がいないことが珍しい、パチリにはラッキーでした

この注意看板はあったかなぁ?

ロノ渡櫓

総深さ15mと表示されています

姥ヶ石
石垣の上方に欠けた石臼が間詰め石として積まれています。
これを「姥ヶ石」と呼んでいます。
羽柴秀吉が姫路城を築くとき石集めに苦労していました。 城下で餅を焼いて売っていた貧しいお婆さんがそのことを聞き、使っていた石臼を寄付しました。
秀吉は喜んで石臼を石垣に使いました。 この評判はすぐに広まり、国中からたくさんの石が寄付され、築城工事は急速に進み、立派に完成したというのです。
「姥ヶ石」が積まれている石垣は、池田輝政が築いたものなので、この話は伝説です。
そのほかに、「姥ヶ石」には、お婆さん(姥)は妊娠しない (孕まない)ことにかけて、石垣も孕まないようにとのお呪いで積まれたという説もあります。


油壁
秀吉時代のものとされ、城内では1ヵ所だけ残る築地壁です

ほの門

水の二門

軒丸瓦と滴水瓦

門金具

天守に着きました

水五門
ここが出入り口です

さぁ、天守内部へと進みます
何度目かなぁ?

でも、何度きても、楽しみです










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