ページ

ページ

2024年4月25日

滋賀県の国宝・神社巡り・・・竜王町、苗村神社、西本宮です

 おっちゃん二人で、滋賀県蒲生郡竜王町、国宝・苗村神社を巡ります

滋賀県野洲市、国宝の神社を昨年のある日、TVで紹介されていたのを観て・・・ここ、行きたいと!
そして、御上神社・大笹原神社を巡ってきました
訪れる前の下調べ時、先人が、「ここいかなきゃ!」と記述がありました
そこは、滋賀県蒲生郡竜王町、国宝・苗村神社
ここも国宝じゃないですか!
大笹原神社から走ること、僅か・・・
と、いうことでやってきました、竜王町、国宝・苗村神社です
県道541号線沿いにあります

社頭です

右:国宝 西本宮 左:重要文化財 東本宮
もちろん、国宝 西本宮が先ですね

鳥居扁額

お! 楼門
うん? 茅葺か!

神橋(しんきょう) 結界ですね 

重要文化財 楼門
建立年代は、明らかでないが、股の輪郭部や半世の形式などの技法から、応永 (一三九四年~一四二七年)ごろの造営と考えられる。
構造は、三間社一戸楼門入母屋造の茅葺 、この地方最大規模の和様を基調とした遺構である。
また、上層の扉や連子窓も古式を示し、軒尾垂木の先端を斜に造り、強けているなど禅宗様の手法も混用されている。下層は、縦横に貫で組まれるほか、斗横間の小壁に至るまで開されており、中央に扉もない形式は珍らしい様相といえよう。
平成四年一月 竜王町教育委員会


苗村神社 由緒
御祭神: 那牟羅彦神 那牟羅姫神 國狹槌尊
御神徳: 開運招福 家内安全 厄除 産業 工芸技術 五穀豊穣子授け 安産 子守りの守護神

御由緒
当社の御鎮座は上古に属し、平安時代の延喜式神名帳に 長寸神社と記す格式高い神社である。
社伝によれば垂仁天皇の御代に当地方を開拓された御祖を最高の産土神と崇めお祀りされた(東本宮)のが創祀とされる。その後、冷泉天皇の安和二年(969)三月二十八日 大和国吉野の金峯山より主神の一柱を勧請し、祀る社殿を造営された(西本宮)ことから両本殿がある。
爾来、諸願成就の神として尊崇し親しまれ、近郷三十三 ケ村の総鎮守として社運年毎に栄えてきた大宮である
長寸神社に苗の字を用いたのは、寛仁元年(1017) 後一條天皇より苗村神社の称を賜り現在にいたる
当社西本殿再建棟札銘文に曰く、社殿の修造は遠所まで沙汰して造立され、建保五年(1217)には有勢の豪族が神事を掌ったことが記されている
天文五年(1536)には、後奈良天皇は当社に正一位の神位を奉授され、よって勅使が参向し神主任官神号宸筆 勅額法楽和歌の寄贈等皇室及び公卿との関係頼る親密にて深く尊崇された。天正年間に、織田信長が馬鞍一具と太刀 七振りを献上する等由緒は顕著である
当社の例祭は毎年、四月二十日に斎行され、殊に三十三 年毎に式年大祭を執行し古式ゆかしく行われる
神域には国宝西本殿を始め、他五棟の建物及び木造不動明王立像等いずれも国の重要文化財指定が保存され悠遠なる名社としての歴史を物語っている



拝殿

国宝 苗村神社 西本殿 鎌倉時代(1308)建立

本殿 参拝します

本殿の姿がなかなか見える場所がないので右横、護国社からパチリです
中央が国宝 西本殿 右が十禅師社本殿 見えないが、本殿左に八幡社本殿の配置です

国宝  西本殿 
この本殿は、社蔵される棟札から徳治三年(1308) に再建されたと考えられる。
構造は、三間社流造で、全面は一段低い床張りとし、菱格子を入れて前室を作り更に一間の向拝を出し、屋根は檜皮葺とした形式は総合的に鎌倉時代後期の特質を現わしている。殊に、左右相称の透彫を施した正面二個の墓股は 美しい。また、殿内の厨子は小規模で簡素であるが手法は 優れ、本殿と同時代の作とみられ共に国宝文化財となって いる。
なお、社蔵される棟札は近在に見られない古物品で、当 時における修造の様子、活動人士、 神事の有力な担当者等 が明記され、当社歴を知る貴重な資料である。
平成四年一月 竜王町教育委員会


案内板
左:重要文化財 境内社 八幡社本殿 
中央:国宝 西本殿
右:重要文化財 境内社 十禅師社本殿
左:重要文化財 境内社 八幡社本殿 
建立年代は、明らかではないが、東本殿・楼門などと同 時代に、境内整備に伴って建てられたと考えられることや、 その様式から見て、室町時代(一四三〇年頃)の建立と考 えられる。
構造は、 一間社流造で、屋根は檜皮葺である。 この社殿 の特色は、側面に弊軸板扉の出入口を設けていることで、 このような形式は一間社流造の本殿では、わが国でも数が 少ない。母屋の三面向拝には美しい蟇股を飾り付けてい る。
平成四年一月 竜王町教育委員会

右:重要文化財 境内社 十禅師社本殿
この本殿は、社名が示すように、山王二十一社のうち上七社の一社十禅師の分霊社であって、天台宗護法神の一社であるから、台密勢力のもとに苗村神社社域に勧請された社である。
構造は、一間社流造で、屋根は檜皮葺である。 また、 墓股など装飾を施さない古式をとどめた社殿で、母屋の内部 は一室とし、正面に弊軸板扉を設け、他の三面を板壁とする。
建立年代は、明らかではないが、室町時代(1430年) に建てられたと考えられる。
平成四年一月 竜王町教育委員会


重要文化財 神輿庫


桁行四間、梁間二間、切妻造りの軽快な建物で、正面及 び北側面に各一ヶ所の出入口があるほかは柱間のすべてを板壁とした簡素な外観である。 建立は、社蔵文書によると天文五年(1536)に正一位の神位を受けたとき、 使の装束召替仮殿として建て、のちに神輿庫に用いたとある。装束召替仮殿としての用途は限られた期間であり、また平面が出入口のほかに開口部のないことは、当初から神 輿庫あるいは御供所などの倉庫的な再利用を企図して建 てられたものと考えられる。全国的に類例の少ない遺構と しても貴重である。
平成四年一月 竜王町教育委員会



楼門 境内から

さぁ、次は県道をまたいで、重要文化財 東本宮へ参りましょう









0 件のコメント:

コメントを投稿