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2023年12月28日

四国、お城巡りの旅 現存十二天守「松山城」下山いたします

現存天守の松山城を巡りました
よき天気で最高のお城探訪でした

さぁ、下山します

太鼓櫓・・・ここから「黒門口登城道」へ

今回、ロープウェイの切符は片道
その訳は、「黒門口登城道」を歩いて下りることなのです(赤枠)
登ってくるのは、ややきついので、下りにしました

黒門口登城道を下ります

迷路のような石垣の重なり

振り返って・・・


振り返って・・・

見下ろして・・・おおぉ、つづら折りですね

また、振り返って・・・
ここって、江戸時代の舗装(石畳)をそのまま露出展示している所ではないかなぁ?

ほぼ、終着のようです

下りてきましたね

槻門跡
槻門は、本丸大手への登城道と二之丸搦手への道の分岐点に位置する重要な門で城内最大の楼門でした。西を正面とし、北を山裾の西大砲砲石垣に托し、南は渡塀か続いていました
古文書や古地図では、門の上部にニ重の櫓をのせ、南側には2階に、北側は3階の高さに平櫓が続いていました。このような楼門は、全国的に大変珍しいものでしたが、明治時代に取り壊されました。平成13年の芸子地震によって、北側の石垣が大きく孕み危険な状態となったため、同17年からニヶ年をかけて解体修覆工事を行いました。それに伴い発掘調査が行われ、櫓の規摸や北側のの石垣が東に拡幅されていたことが明らかになりました。また、石垣の孕みには、雨水の流人が大きく影響していたこともわかりました。この門の内側には、桁行六間、梁間三間とかなりの規摸をもつ槻門番所が置かれ、20人が配備されていました。このことからも、槻門周辺が、城の防衛上重要視されていたことがわかります。


お! 登っていかれるようです・・・頑張って!

二ノ丸史跡公園

案内図
・下、赤丸部分の橋の上から・・・


正面、松山市駅が見えます

左右に首を振って・・・

松山城外堀跡 西側

松山城外堀跡 東側


愛媛県庁庁舎(上赤枠)

定番、マンフォール
・市の花に選定された「ヤブツバキ」

左、伊予鉄道モハ50形電車
1964年製造の「74、75、76」の3両の内の76号
伊予鉄道モハ50形電車は、伊予鉄道に在籍する軌道線用電車で軌道線用車両の主力である



現存十二天守「松山城」を巡って、登城から下山まで、4回に分けて記事にしました
なにせ、まだまだ掲載したい写真が数多くありますが・・・

松山市、道後温泉には今回立ち寄らず、次回は道後温泉に行きたいものです


追記:記事中文言、配布パンフ、案内板、松山市広報より引用いたしました






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