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2023年7月15日

清荒神清澄寺・清荒神・・・兵庫県宝塚市米谷清シ1−番地

綿貫重吉の刻銘の石柱を探して、清荒神清澄寺にやってきました
下写真、右の石柱に綿貫重吉の刻銘があります

では、清荒神清澄寺を参拝いたします


山門、扁額
境内

境内案内図

清荒神清澄寺略沿革

清荒神清澄寺は、今をさかのぼること千百十余年平安 時代の初め、宇多天皇の創意による理想の鎮護国家、すなわち諸国との善隣友好を深め戦争のない平和社会、万民豊楽の世界を開く勅願寺の一つとして創建されました。
天皇は讃岐国の名工、定円法眼に命じて曼陀華の香木で尊大日如来像を刻ませ、寛平八年(八九六)に、叡山の高僧 静観僧正を迎え、開山の祖としました。
まず、伊勢内宮・外宮など十五神を勧請し、鎮守神として、三宝荒神社を祀り、蓬萊山七嶺七渓に荘厳な伽藍を造営しま した。
そして宇多天皇より「日本第一清荒神」の称号を賜わ り、蓬萊山清澄寺として栄えました。およそ三百年の後、源平の兵火により灰燼に帰しましたが、勅令により建久四年 (一一九三)、源頼朝の手によって再興されました。それよりまたおよそ四百年の後の戦国時代、再び兵火で荒神社を除く諸堂尽く焼亡しました。
江戸時代末期、一代の名僧浄界和上(号露庵)の諸堂再興に続き、先々代法主光浄和上は昭和二十二年に真言三宝宗を開き、荒神信仰の総本山清荒神清澄寺として新しく法幢をか かげ、創建以来、連綿と続く栄光千年の法燈は一日も絶える ことなく、今日を迎えています。
また、世界の画聖富岡鉄斎翁との機縁により、鉄斎作品の蒐集を行い、国の内外で広く展覧会を開催し、昭和五十年に は、鉄斎美術館「聖光殿」を建設、一般に公開し、その入館料は全額宝塚市へ図書購入費として寄贈しています。
平成二十年には史料館を建設し、布教の場として随時什物 等の展示を行い、ご信者皆様方に公開しています。・・・案内板より引用


右:大日如来 左:清荒神王

左へ
・・よく、整備されています、さすが参拝者が多いだけのことはありますね



拝殿(天堂)
三宝荒神王、大聖歓喜天(聖天)、十一面観世音菩薩他、福徳を授ける諸神諸仏が祀られています。聖天さまは仏教守護の神として、祈れば富貴を与え病を除き、夫婦和合・子を授けると言われています。また十一面観世音菩薩も除病・滅罪・求福を祈れば現世利益を得ることが出来るとされています。


護法堂
小川を隔ててちょうど後ろに「ご本社」とよばれている神殿造りの「護法堂」があり、正面には大勝金剛転輪王(如来荒神)、右に歓喜童子、左に弁才天がお祀りされています


本堂



本堂は、安政年間に旧清の寺域より移築上棟された建物でしたが、当山開創千百年記念事業として、平成元年より5年の歳月を掛けた平成の大改修により、面目が一新されて今日の姿となりました。正面には本尊大日如来、向かって左に不動明王、右に弘法大師が祀られています。


文化財・・・国指定重要文化財

本堂前から境内を望む

帰りましょう

お店は全部閉まりました


本来なら、お正月などの参拝は、阪急、清荒神駅から参道をお店を眺めながら登って行くのが、正式なルートなんでしょう!
さぞかし、参道は賑わうことなんでしょうね


綿貫重吉の刻銘の石柱を探していかなければ、清荒神清澄寺には参拝することがなかったでしょう
生憎の雨、駆け足で、参拝、撮影しました
片手にカメラ、片手にビニール傘・・・難しいです

また良き日にちゃんと参拝いたしましょう


追記:記事、建造物の説明は清荒神清澄寺のサイトより引用いたしました











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