柏原藩陣屋跡は国指定史跡です
表御殿・表御門 国指定史跡、柏原藩陣屋跡
陣屋は、元禄8年(1695)に、大和国松山藩 (奈良県宇陀市)から2万石で柏原に国替えとなった織田信長の次男 信雄の子孫にあたる信休が、 正徳3年 (1713) に造営に着手し、 翌4年に完成した柏原藩の藩庁屋敷で、明治4年(1871) まで存続しました。
当時の規模は、東西 130m、南北 158m で、現在の崇広小学校、 兵庫県柏原総合庁舎の範囲にまで及び、 御殿のほか庭園や土蔵、馬場、稲荷神社、幕末には藩校も設けられていました。
しかし、文政元年(1818) に火災がおき、 長屋門など一部の建物を残し焼失しました。
現存する表御殿は、文政3年(1820) の再建時のもので、焼失をまぬがれた表御門にあたる長屋門とともに往時の姿を今に伝えています。
このように大名の陣屋で、建物が江戸時代と変わらず当時の場所に現存するのは全国にもわずかしかなく、近世陣屋史上貴重な遺構として、昭和46年(1971) に国の史跡に指定されました。
表御殿
この建物は表御殿にあたり、 玄関から北側を改築部を除き、文政3 (1820)年の再建時の姿が残っています。
表御殿は、藩主が藩士や来客と対面するなど公的な儀式の場として使用されていた所で、檜皮葺の唐破風と鳥破風を持つ玄関が特徴となっています。
玄関、唐破風の懸魚唐、蟇股の彫刻は、六代目中井権次正政貞の作です
玄関
書院上の間
釘隠し
・織田家家紋、木瓜(織田木瓜)である
長柄の間
・新発見の虹梁の刻銘 七代目中井権次正次です
今回は丹波市学芸委員さんに撮影の許可をいただき、撮影いたしました
玄関、唐破風の懸魚唐、蟇股の彫刻は、六代目中井権次正政貞の作は別途記事にします
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