松尾山 文保寺です
そうなんです、この文保寺本堂の中井権次の彫刻に魅せられてから中井権次の足跡巡りが始まりました
2023年、中井権次の足跡をもう一度、一から巡ってみようと、思い立ちました
そうなれば、スタートは「文保寺」となりますね
同じような写真、文言かもしれません
歳をかさね、カメラも変わり、多少なりとも中井権次の知識も身についたと思うのですが!
さぁ、本堂へ
文保寺寺務所
人気のない、寒い空気のなか、長が~い参道を上ってきました
懐かしいですね
本堂と鐘楼です
松尾山 文保寺 略縁起
文保寺は大化年間(六四五~六五四)に天竺(インド)から来朝された「法道仙人」によっ て開基されました。創建当時は、「聖幡山 長流寺」と称し、多くの僧坊伽藍をそなえていました。平安時代後期になると世情は混乱し、 承平天慶の乱により、全山灰燼に帰しました。
数百年後、花園帝(一三〇八~一三一八) の御代、帝の夢枕に老僧が現れ「都の西に霊地がある、今は荒れ果てているが再興を願う」 と夢告され丹波の地に堂舎を再興し護国と民衆の安寧を祈念する寺を再建されました。再興された年号、文保(一三一七~一三一九) から文保寺と称し、宝鏡寺の宮門跡一品親王直の勅額を下賜されました。爾来多くの僧坊を構え最盛期には二一坊を数えるまでになり ました。時代は降り戦国時代末の戦乱により 再び荒廃しましたが、江戸時代に再興され山 内寺院は六ヶ院となり、明治以降は現在の三ケ院となりました。
数百年後、花園帝(一三〇八~一三一八) の御代、帝の夢枕に老僧が現れ「都の西に霊地がある、今は荒れ果てているが再興を願う」 と夢告され丹波の地に堂舎を再興し護国と民衆の安寧を祈念する寺を再建されました。再興された年号、文保(一三一七~一三一九) から文保寺と称し、宝鏡寺の宮門跡一品親王直の勅額を下賜されました。爾来多くの僧坊を構え最盛期には二一坊を数えるまでになり ました。時代は降り戦国時代末の戦乱により 再び荒廃しましたが、江戸時代に再興され山 内寺院は六ヶ院となり、明治以降は現在の三ケ院となりました。
本山:天台宗 比叡山延暦寺
本尊:秘仏 聖観世音菩薩座像、千手観世音菩薩立像
本堂(観音堂) 鐘楼、林城院 総門、楼門
山内寺院:眞如院、大勝院、觀明院
小雪舞う向拝
美しいです
では、ゆっくりと拝見し、写真に収めたいとおもいます
小雪舞う向拝も美しく、なかなかの光景でした
やはり、スタートで、文保寺を訪れてよかったです
さぁ、次なる中井権次の足跡はどこへ行こうかなぁ?
文保寺の彫刻の写真は、平凡なおっちゃんの足跡 「中井権次一統の世界」で!
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