国指定史跡「西宮砲台」
何度、来たことか!
若き青春時代、遊び場でした
埋め立てで、光景が変わり昔の光景が思い出されません
でも、「西宮砲台」はそのままです
懐かしいです
御前浜・香櫨園浜 御前浜・香櫨園浜
夙川河口鳥獣保護区 (1984年~ : 県指定)
歴史に培われ人と自然のいとなみが共生するかけがえのないこの浜を未来へ
この浜は今も自然の海岸が残る大阪湾でも屈指の貴重な浜辺です。
私たちの生活の変化や海の環境が変わったことなど様々な影響をうけて、海の中の生き物たちにとっては住みにくい場所になり、 昔は海水浴場だったこの海も今では泳げない海になっています。 しかし、地域の住民はこの浜を大切に思い、浜の清掃活動や、
少しでも浜の環境が良くなるように見守っています。 利用者の皆さんもこの浜を大切に使ってください。
「御前浜」 と 「香櫨園海水浴場」
古代、神功 (じんぐう) 皇后が夙川の川尻に上陸された神話や、「広田神社」の「“浜の南宮” の前にある浜」などの意味に敬意をこめて「御前の浜」 と呼ばれるようになったと伝えられています。
また、明治40年に阪神電鉄により香櫨園海水浴場 (1907~1965) が開設されるなど、 当時は連日大変な賑わいを見せ 「香櫨園浜」として多くの人々に親しまれました。
国指定史跡「西宮砲台」
浜に今も残る西宮砲台は、国の指定する文化財で、この浜のシンボル的存在です。
江戸時代の終わり頃 (1863年)、 開国をせまる外国船に備えるため、江戸幕府の指示により勝海舟たちが造りました。 立派に完成した砲台ですが、 空砲を試し撃ちしたところ煙が内部にたまってしまい、 一度も使われないままに 明治に時代が移り砲台の必要がなくなってしまいました。幕末の西宮を知る貴重な存在です。
マーメイド号で有名になった西宮港
この浜に隣接する 「西宮港」 は、 1800年に江戸時代の西宮の商人当舎金兵衛の尽力で 築港整備がなされ、酒どころ西宮の新酒積出港として栄えました。
また、昭和初期からヨットハーバーとして利用が始められ、
昭和31年には西宮港で国体のヨット競技が開催されました。
昭和37年には、初の単独太平洋横断を成し遂げた堀江健一さんのマーメイド号の
出港地として国際的に一躍有名になりました。
御前浜
国指定史跡「西宮砲台」
西宮砲台 国指定史跡
江戸時代末、国防不安を感じた江戸幕府は、 大阪湾に砲台を築き、 本格的な 摂海防備に着手しました。
砲台の位置は勝海舟が計画し、 西宮ではこの「西宮 砲台」 のほか、今津にも築かれました。
西宮砲台の建設は、1863年(文久3)に始まり1866年(慶応2) 後半になってよ うやく完成しました。 砂地に建てるため多数の松グイを打ちこんで地盤をかたくし、その上に、 瀬戸内海中部の島島から運んだ花こう岩を積み上げています。 通常の2倍の賃金を支払って熟練工を集め、 突貫工事で完成を急ぎましたが、 あしかけ4年を要する難工事となりました。
砲台の高さは約12m、 直径約17mで、 外 側には漆喰が塗られています。
2層目に見られる12個の孔は、大砲で四方をねらうための11個の砲眼と窓で、内部には井戸・弾 薬庫が設けられました。 完成後試射をしましたが、 煙が内部に充満し実際に使うことはありませんでした。
内部は、明治17年に焼損。 その後、昭和49年に修復工事が始まり 倒壊しないように鉄骨で補強されている。
管理者/西宮市教育委員会 大正11年3月8日国指定
堤防の上から北面を・・・
堤防を降りたところに立つ碑
六甲山の山並み
若かりし頃の景色とは随分、変わりました
右、レゴのような建物は芦屋市の芦屋浜シーサイドタウン
懐かしき思い出の場所・・・
永遠に忘れませんね
いつまでも、残してほしいものです
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