ページ

ページ

2022年12月18日

鶉野飛行場に残る戦争遺跡「無蓋掩体壕」と海上自衛隊「SNJ-5」練習機

兵庫県加西市フラワーパーク近く、鶉野飛行場に残る戦争遺跡「無蓋掩体壕」と、海上自衛隊「SNJ-5」練習機です

この地は二回目ですが、今日は息子と一緒です
プレゼントされた、OLYMPUS OM-D E-M1と単焦点M.ZUIKO DIGITAL 25mm F1.8でパチリします

「SNJ-5」練習機の周りの土手が「無蓋掩体壕」です
土手に上がってぐるっとの回れますので、上からパチリします


まずは、アップで・・・

鶉野飛行場に残る戦争遺跡 「無蓋掩体壕」
大東亜戦争末期、 姫路海軍航空基地では本土決戦に備え、待機する『紫電』他を隠すため、飛行場周辺に土盛りの『無蓋掩体壕』を作りました。
約3m高さの堤体にして飛行機を入れ、木の枝や木葉で覆いして保存していた。
昭和20年7月に入り基地の施設や配備する飛行機に対し、連合軍の戦闘機の攻撃も頻繁になり、海軍第585 設営隊の完璧な作業で1機も破壊される事なく全機無傷で残された。
この掩体壕を含めて飛行場の周辺には55箇所の無蓋掩体壕が作られました。
【今に残るこの 『無蓋掩体壕』 は鶉野飛行場に現存する価値の高い戦争遺跡です。】

海上自衛隊 『SNJ-5 』 練習機
米海軍名 「SNJ」の呼称を海上自衛隊が引き継ぎ、 航空自衛隊では別名 T-6 『テキサン』 とも 呼ばれ米国のノースアメリカン社で開発された傑作機の一つで、世界で最も成功した練習機です。
昭和10年に誕生してから約55年間飛び続け、 総生産数 17,096 機、世界の40ヶ国で使用されました。 戦後、自衛隊発足後、昭和30年 1月、 MSA協定により供与され、航空自衛隊に167機。 海上自衛隊に48機の計215機を保有した。 この機体は、鹿児島県鹿屋市の海上自衛隊『鹿屋航空基地史料館』に展示されていましたが、第1航空群司令のご好意により加西市防衛協会に貸与されたものです。

『SNJ』の要目
速 度: 約287km/h
発動機: R-1340 600馬力×1基
幅X長: 12.81m_8.84m
全備重量: 約2,400kg
乗員: 2名
製造会社: ノースアメリカン社
貸与機関: 海上自衛隊鹿屋第1航空群
展示管理: 加西市防衛協会




真後ろから・・・





一周してきました


この案内板は、前回無かったと思うのですが?

        本土決戦に備えた 掩体壕
昭和20年に入り鶉野飛行場周辺に飛行機を温存するための掩体壕が作られました。
7月には、筑波海軍航空隊より『紫電』が30機、第3岡崎海軍航空隊より93式中間練習機も配備され 米軍機による攻撃に対処するため誘導路 (15.000m) に隣接した55箇所の掩体壕に隠蔽する状況を絵画 にしました。
これらの飛行機は、迫り来る米軍を迎え撃つため 姫路基地が、本土決戦の基地となりこのように温存されました。
(海軍の兵士や、国民学校の生徒達が木の枝を運び 隠すことにより、 米戦闘機からの攻撃を防ぐことが 出来ました)

終戦時鶉野に残った飛行機
紫電57機・紫電改13機、零戦、白菊等を併せ80機が無傷で残った。

この絵は加東市の服部 武司様が描かれました。
一般社団法人鶉野平和祈念の碑苑保存会


と、いうことで、掩体壕と「SNJ-5」を撮影してきました

塗り直したのかなぁ?
機体は綺麗な深緑です

息子は2周してパチリしています
息子のその姿をうれしく眺めています


追記:記事中文言は、案内板より引用しています














0 件のコメント:

コメントを投稿